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大川貴史『視聴率ゼロ!』は 「永遠のゼロ」ではない!

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新潮社「波」2016年11月号 掲載

「貴方ぁー、くれぐれも大川をよろしくおねがいしますー。あいつはバカなんだけどホントに悪いヤツではないのよぉー。見捨てないでチョウダイねぇー! お願ぃー!」

 2013年12月21日──。
  六本木・テレビ朝日で「ビートたけしのいかがなもの会」の収録が行われたこの日、ボクはマツコ・デラックスの楽屋へ自著『藝人春秋』を手に挨拶に出向いた。
 初対面だった。

 楽屋のドアをノックして「どうぞー」の返事と共に扉を開けると、マツコは丁度メーク中だったが本を渡すと「まー。ワザワザ、ご丁寧に申し訳ないわー。ワタシ、もうこの本は読ませて頂いていますけど、そんなことより……」と、大きな体を折り曲げてボクの手を握り、冒頭の言葉を告げた。

 この頃、本書の著者、大川貴史プロデューサーは「5時に夢中!」の出演者の降板問題を抱えて、その是非や責任を問われていた。

  一方、マツコはテレビ界の寵児として飛ぶ鳥を落とす勢い、次々に各局のレギュラー番組を射止めていた。

 大川がマツコを発掘したのは、この本にあるとおり11年も前のことだ。 
 マツコは年々、右肩上がりに増えていく超多忙なスケジュールを背負い込みながらも「5時に夢中!」の不動のレギュラーとして大川への報恩を2016年の今も貫いている。

 本書で描かれるように「5時に夢中!」を放送するTOKYO MXは1995年に東京ローカルの地上波最後発のテレビ局として開局されながら永らく視聴率ゼロ地帯を歩んだ。

 そこに登場したのが95年入社の「新卒1期生」の大川貴史であった。
 大川は立教大学野球部上がりで、文化系の素養も教養もなければテレビのことも何も知らない。
 無知の無手勝流で番組制作に挑むことになる。

 東京都がブランド豚「TOKYO X」を売り込むなら「TOKYO MX」はマツコの巨躯をブランド化して売り出す。
 東京都が美味しい水道水をPRするなら「5時に夢中!」は言葉の洪水、美味しい下水を垂れ流すかのように水脈、鉱脈を当ててみせたのだ。

 さて、ボクが大川プロデューサーに初めて会ったのは今から4年前。
 2012年3月26日のことだ。
 それ以来、MXの大川プロデュースの生放送に毎週出演している。
 現在は「バラいろダンディ」の番組開始以来のレギュラー出演者だ。

 初対面の大川氏の印象は、ルックスが藤子・F・不二雄の描く「ジャイアン」そのもので驚いた。
 二の腕が丸太ん棒のように飛び出したTシャツ姿で大声で話し大声で無邪気に笑う。

 これほど漫画のキャラクターと相似形なリアルは、松尾スズキが、かつて「テリー伊藤は赤塚不二夫漫画のキャラクターにしか見えない」と書いて以来だ。

「友達の家に行ってご飯をいっぱい食べて、大きい声で笑って……。食べて、飲んで、笑っていると、不思議と人間関係が良好になる。これも、プロデューサーとしての立派な「武器」だと思うようにしています(笑)」
 と書く大らかさ。
 「社長になるのは俺しかいないだろう」と嘯く「東十条のジャイアン」は見た目、性格を含めて喩えそのものなのだ。

 この頃、既に「5時に夢中!」の特異な番組作りが世間に注目されており、「大川=MXのテリー伊藤」という評価もあった。
 しかし、実際に会ってみると、その才能は全く別種のものであった。

 敏感に最先端の世間の空気や流行を感じ取り、自らがプレイヤーになるのも辞さず、笑いに変換させてみせるテリー伊藤。
 それに比して、大川は驚異的な「鈍感力」でタブーやニューカマーに触り、結果、最先端の空気や流行を尊拝することなく全ての事象を笑い飛ばすことに長けている。
 それもまた才能である。

 それは本書にあるようにコメンテーターの力量頼りであり、彼らの持つ毒や危険因子を深く考えることなく大胆に決断し、発掘、起用するから生まれることだ。

 本書の中で「『5時に夢中!』の面白さの大きな柱は、一つの物事に対して「いろいろな角度からの意見が聞けること」、つまり「意見の多様性」だと思っています」と書いている。
 その結論に至る過程として大川は食事会の重要性を説く。
 「出演者の皆さんは、一緒にご飯を食べても、僕とは全く感想が違います。味を細かく表現したり、食材の産地に触れたり、盛り付けや器の話をしたり……。一方、僕らみたいな人間は、何を食べても、感想は『うまい』か『まずい』の二択。まぁ、大体腹が減っているから、ほぼ『うまい』一択です」
 と書かれているが、なんという明け透けで無邪気なジャイアン的世界観であることか。
 爆笑と共に強く共感した。

 この本では触れられていないが、ボクがMXを「半蔵門の火薬庫」と呼ぶほど、実は連日、出演者の舌禍事件、衝突、降板事件が相次いでいる。

 言葉を換えれば、それだけ地上波テレビの極地に物騒な出演者を生放送で起用し、彼ら彼女らの忌憚のない意見を語る場を用意しているということ。

 その番組作り、キャスティングは他局には真似できないだけに大胆不敵とも言えよう。

 最近も、大川が手がける政治政策バラエティ「淳と隆の週刊リテラシー」(現在「田村淳の訊きたい放題!」に)が都知事選出馬後の上杉隆の番組降板騒動に見舞われた。

 もともと番組を立ち上げる際も、ボクの番組に出演する映画評論家の町山智浩が、そのキャスティングを巡って事前に異議を唱えていた。

 果たして、今やMXと訴訟騒ぎになるほどの「波高し」の中、上杉隆は降板した。 
 大川はスタジオでボクを見つけると「町山さんの予告通りでしたー!僕は人を見る目がたりません!」と頭を掻いた。
 上杉隆の問題性格などハナから考慮に入れていないのだ。

 そして、上杉隆降板翌週の「リテラシー」のコメンテーター席に座ったのは……なんと百田尚樹先生だった!

 思わず「どこがリテラシーなんだよ!」と突っ込んだが、この日のもう一人のゲストは、若き憲法学者の木村草太氏!だったのだ。

 そして、番組が始まると百田尚樹氏の繰り出す素人解釈の憲法論に逐次、木村草太先生が学者の立場から、反論、訂正を施し、番組終了時には、見事な両論併記の理想的なバランスを保つ奇跡を叶えていたのである。

 翌週、大川に会うとボクは「先週の『リテラシー』は理想的でしたねー」と声をかけた。
 大川は声を潜めてボクに問うた。
 「スイマセン。よくわかってないんですけど……百田さんって何か問題がある人なんですか?……」
 ──正直、こんなことが日常茶飯事だ。

 そして、今、人工透析患者に対しての問題発言をブログに綴った長谷川豊アナウンサーのレギュラー番組降板騒動も勃発。
 長谷川が次々と各局で降板を決める中「バラいろダンディ」の月~木の司会者である長谷川豊を最後まで守ろうとしたのは大川だった。

 ボク自身は長谷川豊アナの可燃性の高いマウント・ポジション取りに対し、マスコミ人の一員として大きな危惧を強く覚えるが、それでも彼を最後まで守りきろうとする、大川のその態度には感銘を受けた。

 舌禍筆禍アナほか、魑魅魍魎たちを放し飼いにする大川の心境は常に白装束であり、いつでも自ら腹を切る覚悟はあるのだろう。

 来る日も来る日も、スタッフの先頭に立って、番組の用意や準備を率先として、片付けるセットの椅子は彼の断頭台でもあるのだろう。

 予告をすれば、今後もMXテレビに問題は数々起こるべくして起こる。
 それは無知蒙昧のままで。

 そしてMXと大川を知らない論客からは謗られることも続くだろう。
 しかし、それらの人に対しボクもまた冒頭のマツコ・デラックスのように言うのだ……。
 
 「くれぐれも大川をよろしくおねがいしますー」と。

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」──。

 テレビ番組という日々流れ続ける世界の中で、筋を通してこそ一角の人間であり、仲間を守るものこそが仲間を率いることができるという、ひとつの真理が、この本を読めばわかる。

 この本は、ビジネス書として類書がない。

 人間関係という急流の大川を泳ぐ際、愚直なまでに真っ当なこと。
 そして、苦しさのなかで「藻掻くこと」こそ正しいクロールであることを、後進に教える1冊だ。

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