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#118展示で何を見せるのか

 先日、時間があったので近くの文化財の建築物を見に行ってきました。「旧上田家住宅」という二〇一九年三月に国の有形文化財に登録された建物です。この建物は明治四三年(一九一〇)に主屋や内蔵、外蔵が建築された建物ですが、昭和一七年(一九四二)に旧国鉄の新線計画のため現在の位置へ一九〇mほど西へ引き家して移転し、移転後に新たに門、塀、離れが増築されています。
 最近整備されて綺麗になっているなと思って、前を通ると無料で入場できる施設としてオープンしていたので、今回見学をしてきました。

 こちらの建物は、二〇一六年に長岡宮跡の公有化に当たって所有者から寄贈を受けて、整備されて公開に至ったと施設のHPには記されています。
 実際に現場に行ってみますと、施設の西側に道路があり、そこから入場するのですが、ちょっと不思議な位置に入口があります。通常ですと村の道路に面して門がしつらえられると思いますが、そこから一筋入って、建物の南側の細い道から入場するような体裁になっています。以前の状態を知らないのですが、もしかすると改修前は西側道路に面して門があったのかもしれません。
 敷地内に入ると、足元に長岡宮跡の建築物の柱跡を記すように地面に模様が付されており、さらに北側へ進むと中庭がありますが、そちらにも柱跡の模様が付されています。
 受付前を通り、奥へ進むと台所の土間に行き当たります。ここには六口もある大きな扇形のかまどが配置されています。かまどの全体は黒色の耐火煉瓦で表面が覆われているので、かまどとしては割合新しいように見受けられます。
 靴を脱いで主屋に上がると、四部屋の和室で構成されており、建物内から外へ出ずに別棟の内蔵、離れへと廊下伝いに進むことが出来る作りになっています。 

 全体的に観覧してみての印象ですが、シルバー人材のガイドがいるからかもしれませんが、建物そのものの解説が少なかったように思えました。それに比べるとその敷地が長岡宮跡であるために、地面の下の話の解説ばかりが目につきました。この建物を所有していた家がどのような家か、農家であるならどのくらいの規模の農家であるのか。あるいは大きなかまどを持っているので、この家の家族構成が何人でどのようになっていたのか、あるいは人を雇って何かされていたのか、など、明治以降のこの家のことが判る解説がほとんど見受けられませんでした。地域的に長岡宮跡が史跡としてあり、重要視されていることは判りますが、この建物を文化財に指定する際には、明治時代以降のこの家のことも調査して、そのことも含めて文化財として評価しているかと思うのですが、その点には触れていない。折角公開しているこの建物そのものや家についての情報が非常に少なかったのが非常に残念でした。

 今回見学してみて思ったのは、その展示施設で何を見せたいか、ということでした。この施設の場合、長岡宮跡は地面の下にあり、実際には見えない状態になっています。そのため、柱跡などを明示することで遺跡を感じてもらう、という狙いは良かったかも知れません。とはいえ、その土地の上物としての建築物についてはほとんど解説が無かったので、上物の建築物を観覧に来ているはずなのにその情報が得ることが出来ない。この家はどのような家族構成で、どのような生業をしていて、どういう生活をしていたのか。それらについては解説は、元所蔵者の思い出話のパネルが一枚あった飲みにとどまっていました。もしかしたら、来場した当日に著者は利用しませんでしたが、無料のガイドによる説明にそのような情報が含まれていたのかも知れません。しかし、ガイドを活用しなかった場合はそれを聞かなかった人には情報が提供されないため、このような展示方法をとることは来場者に対して不親切なのではないかと思えます。そのため、今回見学した施設は、庶民の建築を見せたいのか、長岡宮跡を見せたい(感じさせたい)のか、というのが、どちら付かずでかえってあいまいになっていると言えるでしょう。この解説が無い、あれについて述べていない、というのは観覧者のわがままだとは思うのですが、主たる展示物が近代の建築物であるために、やはり建築物についての解説はしておいて欲しいところです。古代の遺跡がお好きな方には大変申し訳ないのですが、著者としては、せっかくの建物があるのに、どちらを見せたいのかという力点があいまいになったことにより、展示施設としては残念な結果になっていると思いました。自らの展示の際にもこの点には注意するようにしたいと思います。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。