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あの日、『辞める』を決断できなかった私へ

皆様、こんにちは。ねずみです。

私は社会人になってから約10年間、看護師として働いていましたが、メンタル不調をきっかけに約半年前に退職。
現在は療養しながら『人生の夏休み』で自分探しをしています。

私のメンタル不調がここまで悪くなったのは、
病院を辞めることを決断しきれず、ズルズルと働いてしまったことが背景の1つにあります。

今回は『仕事を辞める』ことについて、私の経験、あの頃にタイムスリップできたら自分に伝えたいことを書いていきたいと思います。

今も「仕事を辞めたいけど…辞められない。」と思ってこのページを開いて下さった読者さんもおられるのではないかと思います。
そんな読者さんに1つの体験談としてご参考にされば幸いです。


今まで『辞めた』ことが無かった私。

はじめに皆さんは人生の中でどのくらい「辞めた」経験がありますか?
習い事を辞める、学校を退学する、仕事を辞める…。
人それぞれに大なり小なり「辞めた」経験があるのではないかと思います。

当の私はと言うと…
小学校の時に通い始めた習字教室は、その教室の対象年齢の中学卒業まで毎週通っていましたし、
中学の数学と英語の塾も最後まで通った。
看護学生時代は実習が辛かったけど、ここで辞める訳にはいかない!と意地と根性でやりきりました。

そうなんです。
私は人生の中で『辞める』決断をした経験がほとんどなかったのです。

私は小さな頃から不器用で、何をするにも人一倍努力と時間を掛けないと人並みになれませんでした。
小学校の頃、クラスで私だけ補助輪なしで自転車に乗れなくて。
悔しくて泣きながらお父さんと放課後練習したのを覚えています。

逆に言うと辞めずに努力すれば、私は大丈夫なんだと無意識に沁みついていたのではないかと思います。

病院で働き続けて、募っていくモヤモヤ

そんな私は無事に看護師免許を得て、地元の総合病院に就職しました。
やはり私は出来の良い新人ではありませんでした。
でも仕事が辛いと思っても、看護師を辞めたいとは思ったことがありませんでした。
そうして学生時代憧れだった緩和ケア病棟に異動する機会が得られました。

緩和ケア病棟は末期癌の患者さんとご家族が残された時間を「自分らしく」過ごすための病棟です。
時にはシビアな場面も多かったです。
でもお話をじっくり聞かせて貰ったり、身体が動けないけど外に散歩に行きたいという患者さんに、ベッドごと外に行って花見をしたり、全身の浮腫みが強くて動けない患者さんに皆で力を合わせてベッドの上で足湯をしたり…。
患者さんやご家族のために皆で意見や力を出し合い関わっていくことは私にとってやりたい看護ができていると実感していました。

ですが、緩和ケア病棟で働く中で徐々に病棟全体の雰囲気が変化していきました。

まずコロナウイルスの感染対応により、ただでさえ看護師不足だったのにさらに拍車がかかりました。
私の部署は入院人数が変動することも多く、私たちは各部署の欠員を埋めるために色々な部署に応援に行く必要がありました。
時には別の部署の夜勤をすることもありました。
それくらいギリギリの現場でした。
もちろん組織の人間として協力することは必要だと思っていましたが、慣れない部署で慣れないことをしていく事が個人的にとてもストレスになっていました。

そして自分の部署で働くスタッフも必然的に少なくなるため、時間をかけて患者さんと関わることができなくなっていました。

そしてもう1つ、影響が強かったのが働き方改革です。
病院でも働き方改革を進めようとされていました。
ですがとにかく早く業務を終わらせることに重点が置かれる雰囲気が強くなりました。
もちろんダラダラ仕事をすることは良くないし、業務時間内で終わらせる意識を持つことは大切だと思います。
ですが、段々「良い看護をしている人」より「業務を早く終わらせる人」が評価される雰囲気を肌で感じるようになりました。

もっと患者さんとゆっくり関わりたい、でもここで時間を使うと記録をする時間が無くなって時間外の業務が増えてしまう…。
そんなジレンマを抱えながら
ごめんね、また伺いますねと言って患者さんの病室を去るのが辛かったです。

そんな状況の中、私の中でモヤモヤが強くなっていきます。

今の私って「やりたい看護」ができているのかな。
あと30年、このまま辞めなければきっと老後は安泰でしょう。
でも30年、こんな「やりがいのない」思いが続いていくの…?

モヤモヤが募るにつれて、心身のバランスが崩れていき1週間お休みを頂きました。
その後は少し体調は回復したものの、モヤモヤは全く晴れませんでした。

そして私は『病院を辞める』決心をしたのです。

でも今まで「辞める」経験をしてこなかった私、
簡単なことですぐに決心が揺らいでしまうのです。

揺らいでしまった『辞める』決心

年末に辞める決心をし、上司にその旨を伝えると特に引き止められることはありませんでした。
でもその後の看護部長との面談で、かなり引き止められました。

もし強い決心があったら他者からの言葉なんて気にせず、自分の思いを貫いたら良かったんです。

でも私はそれができませんでした。

自分の本当の心は『辞めたい』とずっと叫び続けていました。

でも今まで『辞めた』ことが無かった私にとって、
こんな道半ばで『辞める』ことに対して
ずっと一緒に頑張ってきた病棟のスタッフを裏切る行為だと思っていました。

そして入職当初、ここで長く働いて地元の医療に貢献したい、看護師としてスキルアップしたいと思っていた過去の自分をも裏切ってしまう罪悪感を強く感じていました。

そうして私は他者と自分への罪悪感の苦しみから、年度末までは働くことにしました。

でも年度末を迎えるまでに心と体に限界が来てしまい、メンタル不調が悪化し退職しました。

あの日、『辞める』を決断できなかった私へ

メンタル不調から退職して約半年。
これまで急に仕事を辞めた罪悪感が辛くて、毎日のように泣いていました。
そんな私に夫はいつもこう言っていたのです。

「仕事を辞めたのが1番許せないのは、他の人達じゃなくて、ねずみ自身なんだよ。もうちょっと自分を許してあげて。」

と。
この言葉を聞いた頃はメンタルがボロボロだったこともあり、言葉の全てを受け入れられませんでした。

少し前に病院で一緒に働いていた同期数人と飲みに行きました。その時に私が辞めたことを始めて知った人もいました。
もっと病院中に噂が広まっていると思っていたので、あれ?と思いました。

そして私はポロっと
「急に辞めちゃったから、病院の人に会うのちょっと気まずいんだ。」
と言っちゃったんですよね。
そうすると友人は
「そうなん?辞めた本人はそう思うかもしれないけど、別に周りは何とも思ってないよ。」
とサラッと答えたんです。

あまりにサラッと返答したので、一瞬私は固まってしまいました。

私は病院を急に辞めて、何か罪を犯したような気持ちになっていたけど、
周りの皆はそんな風には思っていないんだ。

人生を電車のレールに例えるなら
車両は職場、そして一緒に乗っているのは同僚や先輩。
そして辞めた私は、途中の駅で別の電車に乗り換えした子。

これくらいの感覚なのかも。
と飲み会の出来事を思い返して、初めて夫の言葉をちゃんと受け止めることができました。

あの日、『辞める』を決断できなかった私へ。

自分の心の中の本音を信じて下さい。
周りに色々なことを言われると思うけど、それでも信じて行動して下さい。
『辞める』ことは決して悪いことじゃないんだよ。

始める、続けると同じくらい『辞める』ことも大切な1つ選択肢なのだから。

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