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妖怪道中膝栗毛✶旅行記

 4月10日に鳥取県内で初めて新型ウイルスの感染者が出てまもなく、友人のもとに昨年宿泊した鳥取の旅館から、LINEが届いた。ウイルス感染の拡大防止のため、7月まで営業を停止して、和牛の取り寄せなどの通販事業だけを継続するそうだ。それではその和牛を取り寄せて支援したいと思ったが、まさかここでお肉券の活用法が見つかるとは夢にも思わなかった。その後7月4日に営業再開したとの知らせを聞き、ほっと胸を撫で下ろすとともに、ちょうど一年ほど前になる鳥取旅行のことを色々と思い出した。

 2019年3月。旅行は私の自宅から始まった。鳥取県にある空港は、東部の鳥取市にある鳥取砂丘コナン空港と西部の境港市にある米子鬼太郎空港の2つ。鳥取県出身の2人の漫画家、青山剛昌と水木しげるの代表作を冠したこの空港に発着する航空会社は全日本空輸ANAのみでLCCは無い。そうとなれば、できるだけ安い時間帯を狙うしかない。と言うことで、6:40発の便を予約したのはいいが、6:40の飛行機に間に合うためには、東京駅に程近い都心に住んでいる私の家からでも始発に乗る以外に方法がなかった。そのため同行の友人2人も私の家に前乗りし、朝イチ夜が明ける前から出発することとなった。

 6:00前に空港につき、チェックインを済ます。6:40に飛行機が離陸したところで、国内だから1時間もあれば鳥取についてしまう。朝の早起きのために、離陸前から意識は無かったのでさらに体感時間は短くなり、瞬きしている間に鳥取コナン空港に到着してしまった。事前に予約していたレンタカーを受け取り、まずは旅のハイライト、鳥取砂丘へと向かった。

 大学時代、自動車の免許を取るために友人と合宿教習の案内を見ていた。その時鳥取の教習所が目に止まり、宿舎からは海が見えるし、訓練の休みの日には砂丘でラクダに乗れるという触れ込みに感動し、鳥取で自動車免許を取りたいと思った。結局その計画は実行できずに私は地元でヤンキーに揉まれながら自動車免許を取得することになったが、鳥取砂丘への思いはそれからずっと続いていた。満を辞してこの度鳥取に行けることになり、やはり、憧れの地鳥取砂丘は是が非でも行きたいと思っていたのだが、事前に行ったことのあるひとの話を聞くと、期待をしすぎるとそれほどでも無い、と口を揃えて言う。あまりに憧れを持ちすぎてもいけないと、道中自分自身に言い聞かせた。

 鳥取砂丘コナン空港から15分程度、程なくして鳥取砂丘についた。何の装備もしていなかったが、足を踏み入れた瞬間に靴が砂にまみれる。8:30と言う早い時間の割には案外人はいて、みんな長靴を履いていた。このままだとどうにもこうにも進めないので、その中の1人に話しかけたところ、丘の上からリフトを使って降りてきたら、そこで長靴を貸してくれたとのこと。早速リフト乗降場に行くと、確かに長靴がずらりしている。スタッフの男性に声をかけると、リフトに乗った人に貸していると言う。それでは砂丘を見て回った後にリフトに乗るので貸してくれないか、とお願いすると了承してくれた。

 初めての砂丘は、当初の心配を他所に素晴らしかった。朝の澄んだ空気と晴れ渡る空が良さを倍増させたのかもしれない。風が強くて目を開けているのが大変ではあったが、目の前に広がるのは砂丘と海と空ばかりの光景は現実とは思い難く、ため息が出る。朝8:30だと言うのに砂丘に来ている他の人たちというのは自分も含めて何か事情があるのだろう。スーツ姿のサラリーマンがいたり、早起きの老夫婦がいたりと気になる人が多かった。中でも砂山の中スーツケースを持って歩いてきて、海岸をスマートフォンで撮影していた人がいたのが一番印象に残っている。

 砂丘を堪能して予告通りリフトに乗り、砂丘を上がった先には土産物屋とカフェテリアがあった。まだ時刻は10:30で、席に人はいなかったが、5:00過ぎから稼働している私たちにはもうすでにランチタイムだったので、食券を買ってご飯をいただいた。それでも時間があったので、海岸沿いを少し散歩したが、関東では見られない浦冨海岸の青い海はまさにリゾート。南の島のような景色にも関わらず、海岸に植わっているのは松の木で、ここが日本古来の海水浴場であることを感じる。この松の木は、江戸時代にその地を開墾するに当たって、塩の害の少ない樹木を植え、風をしのいで作物を砂や塩から守るために役立ったものだそうだ。

 さて早々に最大の観光を済ませた私たちは、ひたすらに海沿いの山陰本線をまっすぐに、本日お世話になる旅館がある皆生温泉へと車を走らせる。途中、印波の白兎で有名な白兎神社に寄る。その日は生憎お店は開いていなかったが、タイミングが合えばウサギの今川焼きもいただけるようだ。隣接する「道の駅神話の里 白うさぎ」には、スタバがなかった鳥取県民の憩いのカフェ「すなば珈琲」も併設している。


 チェックインの15:00前に皆生温泉街にたどり着いた。皆生温泉は、目の前に海水浴場にもなっている日本海が広がり、部屋や温泉のどこからでも雄大な海が見えるのが魅力だ。次の日はここ皆生温泉から米子の植田正治美術館、水木しげるロードを巡る予定で、時間もあるのでサイクリングでもしながら巡ればいいだろうと考えた私たちは、鳥取空港からお供をしてくれた愛車に別れを告げ、歩いて旅館に向かった。

 皆生菊乃家は創業50周年の老舗旅館。私たちが到着すると、まだ少し時間が早かったのか、私たち以外に宿泊客はおらず、スタッフ総出でチェックインをしてくれた。チェックインを済ませると、奥で、浴衣を選ばせてくれる。それぞれに好みのものを選んで部屋へと向かう。

 部屋につくなり早々に1度目の入浴を済ませると、じきに夕食の時間となった。思った通りのオーシャンビューの客室での部屋食。食事を用意しに来てくれた女将さんに、景色や砂丘への感動を伝えると「いやいやこんな田舎で何も見るところはないんですよ」と謙虚におっしゃる。次の日の観光に最適な場所を聞いても、「島根の方にいったらどうですか?」と鳥取の見所を教えてくれない。私たちが自転車で米子に向かおうと思っていることを伝えると驚いて、かなり時間がかかると思いますよ、と言われた。そこまで頑なに謙虚な受け答えをしてくれていた女将さんが急に断定的な物言いをするので、こちらも少し焦った。確かに鳥取県全体の写った広域地図で丼勘定していたので実際よくよく地図の縮尺を考えてみれば国道を1時間走って県の反対側に来るよりは、近い、と言うレベルの距離感であった。だんだんと車を返してしまったことを後悔し始める。

 夕食を終え、2度目の温泉へと向かう。最初の入浴で露天風呂に入った際、その垣根が柵1枚で、立ち上がっただけで海岸を歩いている人に見つかってしまうのではないかと思うくらいの開放感に危機感が募ったが、日が落ちれば特に気になることもなく。日本海を間近に感じながらゆっくりと時間を過ごす。しかし入浴後、散歩がてら海岸側を歩いたが、やはり外からでも露天風呂は目立っていた。

 散歩から戻ると、チェックイン時に浴衣を選んだラウンジで、弾き語りが行われていた。なんと社長が直々に、夜になると弾き語りを披露しているのだという。立派な旅館にも関わらず、アットホームな従業員の方々の人間性がここにも表れているように感じた。

 翌朝、テレビをつけると、昨日ちょうど足を運んだ鳥取砂丘の様子がテレビで中継されていた。昨日行った時も風が強いと思ったが、テレビに映る風の様子は、昨日のそれとは比較できないほどで、昨日のうちに訪れておいて良かったと思った。

 チェックアウトに際して、この後の足について女将さんに相談すると、バスはあまり来ないし自転車で巡れる距離ではない、ということでタクシーを手配してもらうことになった。しかし一日中タクシーで回ってもらうくらいなら、もう一度車を借りた方がいいのではないか、とこの後に及んでクヨクヨ考える。結果的にレンタカーを借りる値段より安く、1万円以内でいけることをタクシーの運転手さんに念押しして、タクシーに乗り込んだ。結局膝栗毛計画は失敗である。

 温泉街を出るとすぐ、かなりの田舎道に突入する。この時点で自転車で移動できる距離ではない。目的地に到着して、一時間後にタクシーの運転手さんと待ち合わせることに決めて車の外に出る。運転手のおじさんもまさか1日コースに巻き込まれるとは思っていなかったと思う。車から降りると相変わらずの突風で、記念撮影などをしている余裕もない。急いで入った先は鳥取が産んだ天才写真家植田正治の作品を主に所蔵する「植田正治写真美術館」だ。

 地元鳥取で写真館を営みながら、砂丘でマグリットなどシュルレアリスムに影響を受けたミニマルで奇妙な家族写真を撮り一躍有名になった植田正治。彼のスタイリッシュで助けいるとこの無い砂丘写真はもちろんのこと、鳥取の街を独特の視点で切り取ったシリーズや、鳥取の子供達のリアルな表情をフィルムに収めたスナップなど、彼の写真家としての生涯を振り返るのには十分な、満足のコレクションであった。かの有名な、シュルレアリスムな自画像のパロディショットを撮影できる準備があったので、もちろん1人ずつ撮影する。

 一通り美術館を堪能したのちに向かったのは境港市にあるこれまた鳥取が産んだ稀代の妖怪水木しげると彼の功績を町中に散りばめた「水木しげるロード」。植田正治写真美術館から車を走らせること30分強。既に9000円を超えたメーターを見て「1万円超えるねえ」「ああ大台乗ってしまうねえ」とほぼ嫌味にしか聞こえない会話を後部座席でしてしまったがために、気を利かせたタクシー運転手さんが、9,900円で「間も無く着きますから」と言ってメーターを切ってしまった。そこから多分10分くらいは走ったと思う。本当に心が狭い人間で自分が嫌になる。

 水木しげるロードに着いて、ここまでよくしてくれたタクシー運転手さんに別れを告げ、水木しげる記念館に向かう。記念館から手紙を出すと、妖怪の消印を押してもらえるとのことで、ミュージアムショップで葉書を買い、家族に手紙を出した。記念館の中から、水木しげるロードに点在するブロンズ像を見つけていくスタンプラリー台帳を手に、水木しげるロードを進んでいく。まあまあな長さのある商店街は活気があり、商店街が妖怪とともにあるのを感じて心が温まる。

中ほどにあるパン屋には、妖怪パンが充実していたのでここでランチをいただく。水木しげるが描き下ろしたショッパーもあったのでこちらもお土産にいただいた。

  最後に商店街の終着点JR境港駅(通称:鬼太郎駅)に着いた頃には、予想以上に疲労が困憊していた。観光案内所でスタンプラリーの完走証をもらい、次の電車がくるまで観光案内所の4階にある「さかいポートサウナ」で汗を流す。先客がいなかったのでゆったりと、窓から見える港を見ながら湯につかり、水木しげるロードで背負ってきた子泣き爺を下ろす。

そこから妖怪列車に乗って米子空港駅へ。空港では時間があったので、夜ご飯を食べに店に入ると、空港のご飯屋というよりは、地元の居酒屋のような空気が流れていた。そういえばあまり飲んでいなかった鳥取の地酒を飲み始めたところから、その後の記憶が無い。

tyl✶

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