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『March winds and April showers bring May flowers.― 阿部昭短編集―』収録作「いのち」全文試し読み

弊社が2019年4月に刊行した『March winds and April showers bring May flowers.― 阿部昭短編集―』の収録作の一作「いのち」の全文を公開致します。阿部昭は「内向の世代」の代表的作家であり、私小説の書き手であり、短編小説の名手でもある作家で、数多くの短編小説を残しています。簡潔で平明な文章ながら、鋭い観察眼で人々の生活を表し、人生の一部分を切り取ったような珠玉の短編小説集となります。今回公開する「いのち」は、人間に飼われる猫との生活を取り扱った作品になります。阿部昭の視点から素描される猫の行動形態は秀逸で、猫好きの方にもオススメの作品です。

「いのち」

   一

 私のところには、目下、三匹の猫がいるが、近頃の子供は現実的だから、「猫は一体何の役に立つの?」などと父親にたずねる。
 私としては返答に窮する。
 なるほど、そう言われれば、犬は泥棒の番をするとか、投げたボールを拾ってくるとか、多少とも人間の用事をする。が、猫と来たら! このごろは鼠も出ないようだから、食べて、寝て、出歩いて、お腹がすくと帰ってきて、また食べて寝る、というだけで、人間にはなんにも奉仕しない。
「全然何の役にも立たないところがいいじゃないか。そこにいるだけで面白いんだから」とでも答えておくしかないが、これでは子供への解答になるまい。
 それはともかく、動物の行動を見ているだけでも、私には楽しい。彼等が、松やいぬアカシヤの幹を、垂直に、一気に、何メートルも駆けのぼったり、飛んでいる虫を捕ろうと宙高く躍り上がったりするのを見るたびに、動物ってなんと無駄のない正確な運動をするんだろう、といまさらのように感嘆するのだ。
 畜生のあさましさ、などという言葉が人間にはあるが、そうとばかりは言えない。人間の母親でさえ、子供を生むこと育てることをいとい、捨てたり死なせたりする世の中なのに、猫の育児は細心の情愛と無限の忍耐そのものである。
 育児といっても、猫の親は子供におやつを食べさせるわけでも、おもちゃを買ってやるわけでもない。自分か草はらでつかまえた蜥蜴をくわえて来て、仔猫に与えるぐらいのことである。奇妙な鳴き声で子供を呼び、子供が行くと、目の前にぱっと獲物を放してやる。そうして、自分は、子供が蜥蜴で遊ぶのを眺めるともなく眺めている。ちょうど、人間の母親がわが子を見守る時の、満ち足りたような、放心したような表情で、ぼんやり見ている。
 また、親猫は、子供が皿の物を食べているあいだは、離れてじっと待ち、子供が食べおわると、その残り物にありつく。
 仔猫をたしなめる際には、親はどんなに柔かく子供を咬み、爪を引っ込めた前肢でどんなに手加減して子供を叩くか。けっして折檻なんかしたりはしない。
「ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ」という実朝の歌は、実に実に本当のことだ。
 その上、かわいそうに、彼等は日夜人間の文明におびえている。掃除機の音にすらびくつき、頭の上をジェット機が低空で通り過ぎでもしようものなら、あわてて物陰にかくれ、平身低頭、身の置きどころがないといった風情で小さくなっている。
 人間が生きにくくなれば、彼等もまた生きにくくなるのである。

   二

 猫がふえてから、家の中のあちこちに、蜥蜴をはじめ、蜻蛉、ばった、かまきり、蜂、かなぶん、蝶、蛾、蟋蟀、時には螻蛄のようなものまで、小動物の死骸が散らばるようになった。外で遊べばよいものを、猫にも都合があると見えて、かならず屋内に持ち込んで処理するのだ。
 海辺の暖い草地には、蜥蜴が沢山いるらしい。猫の手にかかった蜥蜴は、たいてい尻尾がちぎれている。これは、猫は食べるのではなく、長い時間をかけておもちゃにするのである。相手が猫の爪で負わされた傷で弱り果てて死んでしまうまで、ちょっとくわえてみたり、前肢で突っついてみたり、逃げると追いかけて押さえ込んだり、両肢で挟んで宙にほうり上げたりする。そして、遊び飽きると、その場にほったらかしにして、もう顧みもしない。
 運よく命びろいをして、からがら這い出した蜥蜴もいるにはちがいないが、多くは逃げるに逃げられず、家具のうしろや敷物の下で干物みたいにからからになっている。
 ひょっとすると、それ以後、家のどこかに棲みついているのも居るのではないかという気がする。ある日ある時、突然、物陰から蜥蜴が走り出て、びっくりさせられることがあるから。
 お蔭で、私はすっかり蜥蜴と親しくなってしまった。元来爬虫類は目にするのも気持が悪く、棒ででも始末するのがやっとであったのに、このごろは、生きているのも死んだのも手で持てるようになった。
 そうなってみると、蜥蜴というのも、見かけによらず可愛い動物なのである。
 それどころか、私は、蜥蜴もなかなかのやつ、というふうに思うようになった。
 ある日、いつもは猫にもてあそばれるだけでひたすら逃げ回っている蜥蜴が、勇敢にも猫に対抗している場面を見たのだ。
 その蜥蜴は、小さな顎で、猫の前肢に―蹠の皮膚の露出した部分に―しっかりと食いついていた。
 猫は、相手の思わぬ逆襲にたじろぐというよりは、むしろ閉口の体で、しきりにその肢を振って蜥蜴を払い落そうとするのだが、蜥蜴は断じて放さない。
 私は、おもわず笑ってしまった。窮鼠猫を嚙むどころか、蜥蜴ですら土壇場になれば、猫のような大きな相手に必死で刃向うものだと知って、内心拍手を送らずにはいられなかった。
 また別の日には、蜥蜴が猫の髭の先端に食いついてぶら下がっているのを目撃したこともある。
 私は、何度か、そういう気の毒な蜥蜴を猫から取り上げて草むらに帰してやったりしたが、彼等とて早晩また猫につかまる運命にあるのだろう。
 この辺りは、野鳥も多いところで、猫はしばしば雀をくわえて持ち込む。
 明け方は、雀にとっては受難の時刻である。猫は早くから草かげや木の枝にひそんで、雀を待ち伏せているのだ。
 朝起きて見ると、廊下の一角がまるで羽根蒲団かクッションでも破いたみたいに、鳥の羽根だらけになっていることがある。猫は、小鳥を丸ごときれいに平げてしまうから、嘴も脚の一本も残ってはいない、おびただしい羽毛のほかは。
 猫が草の中にうずくまって、生きたままの雀を骨ごとばりばりと?み砕いている音を聞くと、そぞろに戦慄を禁じ得ないが、いっそさばさばした気もしないでもない。彼等のやり方はまことに単純明快である。
 ところで、ついこのあいだ、よく晴れた日の午後、自分の部屋で仕事をしていると、すぐ横の草むらで、キ、キ、キ、キ、キ、……という何者かの鋭い悲鳴がした。
 虫にしては、その声は大きく、しかも聞き慣れない声だ。
 見ると、仔猫が―といっても身体つきはもうおとなの猫並みなのだが―なにか獲物を追いつめている。
 私は縁側から出て行った。地面すれすれに這った松の枝と下生えの雑草との間に、押し込められたような恰好で、一羽のセキセイインコがもがいていた。
 私が鳥を助けてやろうと手を伸ばす、それよりも早く、猫は唸り声とともにインコをくわえて、茂みのもっと深いところへ逃げ込んだ。
 こうなると、もう私の手には負えない。それ以上猫を追いかけるのは諦めたが、その代りに、こんなふうに考えた。―猫が捕ったものは猫のものだからな。あいつが所有権を主張するのはもっともなことだ。それに、どうせ五分もすればきれいに食べてしまうんだろうから。
 ところが、インコの悲鳴は一向にやみそうもない。猫としては、久しぶりの御馳走だからゆっくり料理しようというつもりであったかもしれない。キ、キ、キ、キ、キ、……という絶体絶命の叫びが断続的に聞えてきて、私はだんだん落着かなくなった。
(筆者がインコの救出にやや不熱心であったことに、愛禽家の方々は、あるいは憤慨なさるかもしれない。しかしながら、もともとどんな動物も人間の愛玩用では決してなかったはずだ。彼等を安楽にしてやっているのも人間であるが、閉じ込めて不自由な生活を強いているのも人間である。それに、一部の動物を食用に大量飼育し、文明の力で能率的に殺戮している人間に、猫の残忍を言う資格があるだろうか。動物同士がおたがいに食べたり食べられたりするやり方のほうが、人間の殺生よりもよほど自然の理にかなっているのではあるまいか。)
 それでも、私はもう一度外へ出て行き、庭じゅう猫を追い回して、遂に彼の口からインコをもぎとることに成功した。インコは、翼の付け根の、人間で言えば脇の下にかなりひどい傷を受けていたが、まだ元気のように見えた。
 それが証拠には、彼女はいきなり私の指の叉に嚙みついたほどである。命の恩人かもしれないところの私の指の叉に! しかも、なんという渾身の力をこめて嚙んだものであろう!
 インコは、しばらくは私の部屋の畳の上に横倒しになっていたが、やがて起き上がれるようになり、つぎにはよちよちとその辺を歩きはじめた。敷きっぱなしの私の蒲団に、桃色の糞さえこぼした。私は、これなら籠を用意して飼ってやってもいい、という気持になっていた。
 しかし、やはり猫から取り上げるのが遅すぎたのだろう、二、三時間後に見ると、また横倒しになって、すっかり冷たくなっていた。

   三

 動物のことを書く―と言っても、私の場合はごらんの通りで、書く資格もないようなものであるが、読者としては、たくみに小動物の姿を写したルナールの『にんじん』や『博物誌』などは愛読してやまない。
 一般に、むこうの作家のものを読んで、とてもかなわないと思うのは、彼等がわれわれと違い、親子代々、子供の時分から鉄砲になじみ、狩猟を通して動物に親しんでいることである。獲物を仕留めるには、相手の生態をよく知らなくてはならないから、自然、観察も真剣で、眼も肥える。いわば彼等は、獣との血なまぐさいつき合いを重ねながら、自然への理解を深めるのであろう。
 ルナールにしてもそうで、猟は日常茶飯事であり、『博物誌』などもただの風流な自然観察の産物ではない。彼の文章は、優しく、かつ残酷である。
 ところが、ルナールの『日記』を読んで行くと、三十代の半ばごろになって、ある時急に、無益な殺生をするのが嫌になった、という感想が出てくる。大決心をしてもう猟をやめよう、息子にもやめさせたい、と。それに続いて、彼一流の栗鼠の描写がある―
 ……栗鼠。栗鼠には鵲のやうな性質がない―棒と銃器との区別が出来ないのだ。樹に攀ぢ上つて身を隠し、それで安全なつもりでゐる。私には鼻しか見えない。最初の銃声で、栗鼠は、びつくりして滑り落ち、枝にとりつき、しがみつく。死んだのだ。さうぢやない、動いてゐる。第二の銃声。栗鼠は落ちる。私は、雨の降る時には、尻尾を顔の上へ引き寄せて雨を避ける、この無害な優しい獣を殺したのだ。
 冷血漢!                      (岸田國士訳)
 そうして、悔恨が心のなかをのたうつ、ともルナールは記している。
 彼が、その言葉通り、以後一切の殺生を絶ったかどうかは知らない。しかし、栗鼠のことを「雨の降る時には、尻尾を顔の上へ引き寄せて雨を避ける、この無害な優しい獣」と言う時、その言葉ひとつにもルナールという人のやさしい心根は見てとれる。その心根は、「ものいはぬ四方のけだものすらだにも」と詠んだあの歌人の心根にかようものであろう。ここを読んで、私は、日頃敬愛しているこの作者がまた一段と好きになった。
 とはいえ、人間はやはり人間のことで精一杯だ。動物のことまで考えてやる余裕はなかなかない。飼ってやるだけのなさけは持ち合せながら、一方では、心ならずも冷血漢たるの不名誉に甘んじている。
 一日鎖でつながれて、垣根の隙間からしょんぼり往来を見ている飼犬たち。
 打ち棄てられて、雨の中でいつまでもきりなく鳴いている仔猫たち。
 空を飛ぶことも忘れたまま、籠の中で冷たくなって行く小鳥たち。
 物言わぬ彼等の不幸は、なんとわれわれ人間の不幸に似ていることか、そらおそろしいまでに!
 それでも私は、ときおり彼等に向って、しみじみと話しかけたくなる―
「お前たちは、いいね、言葉もお金も持っていないお前たちは。よけいなおしゃべりもしないし、明日のことを心配する必要もないんだから。?つきで、欲ばりな人間よりどれだけいいかわからない。……」
 もちろん、何を言っても彼等は答えない。うるさそうに、私の顔を、ちらと見るだけである。

書誌情報
タイトル  『March winds and April showers bring May flowers.―阿部昭短編集―』
著者    阿部昭
刊行日   2019年4月22日頃
価格    1600円+税
ISBN  978-4-909758-01-9
判型    四六判(128mm×188mm)/324P
製本    並製
装幀    水戸部功

目次
天使が見たもの
幼年詩篇(I馬糞ひろい II父の教え IIIあこがれ)
未成年
ふくろぐも
人生の一日
十年
子供の墓
あの夏
三月の風
いのち
あとがき

著者プロフィール
阿部 昭 (アベ アキラ) (著/文)
小説家。1934年広島県に生まれ、翌年より神奈川県藤沢市鵠沼で育つ。東京大学仏文科を卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社。62年に「子供部屋」で文學界新人賞を受賞。68年に処女短編集『未成年』を刊行。その後、71年にTBSを退社し、創作活動に専念する。73年『千年』で毎日出版文化賞を受賞。76年に『人生の一日』で芸術選奨新人賞受賞。幼少より暮らした鵠沼を舞台にした作品が多く、また、短編小説の名手として知られ、数多くの作品を残している。

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