松本人志のVISUALBUM(ヴィジュアルバム)はアンディーウォーホルのパクリでは?

VISUALBUMより『古賀』(※動画はyoutubeから)

辛いのでちょいちょい摘んで三分ほどだけ見た。こういう見方はレンタルビデオで借りたエド・ウッドのZ級映画『死霊の盆踊り』以来だった。それくらい辛かった。もうこれ一本でギブだった。とても他のものまで見る気になれない。
たぶん松本信者も、押井守原理主義者が押井守のつまらない実写映画までチェックするような義務感で見てるのだと思う。「私はガチな人なのだ」そんなアリバイだけの為に。

ヒエラルキー的には映画>VISUALBUM>テレビ、みたいなカンジだと思う。松本人志が一番ガチでやってるのは理屈でなら映画になる。最も制約が無いから。
自分は松本人志アンチなのだが、きちんと見た上で批判しようと映画館でお金を払い『しんぼる』と『さや侍』までは見たのね。ほとんど予想通りだったけど。『R100
』まではさすがに付き合えなかった。
おそらく一作目の『大日本人』が一番マシなんでしょ。へんに映画にしようと媚びてないから。普段のノリ「映画の作法なんざ知るか!」そんな俺様ちゃんの態度で臨んでるから。
「映画という権威に認めてもらいたい」そういう媚びたスケベ心がわずかでも覗いた瞬間、チンピラはいっぺんに魅力を失う。チンピラが小賢しい知恵つけたらおしまい。チンピラはチンピラであり続けなければならない(ビートたけしというロールモデルに縋るのもいけない)。

実際には「コンセプトだけで作れる丈」と「テレビというマスな制約」が無いVISUALBUMが一番松本人志のガチな笑いのイデオロギーみたいなのが出来てる筈。映画は丈の問題で笑いの要素だけではもたず、どうしてもカサ増しの不純物が入ってくるからブレる。そっちの方に意識がいくぶん取られる。マルチタスクになるから。

あとサブカルチャーのスノッビズムって判で押したようにハイカルチャーのキッチュな模倣になるんだよね。そもそもそサブカルチャーなんてのが本心ではハイカルチャーを欲しながら酸っぱいブドウ根性で「あんなのくだらない」と口では貶めながら一見は違う方向、むしろアンチなモチベーションで始めても、だんだんキッチュな模倣になってくるんだよな、無意識に隠してる本当の欲望に引っ張られるから。
コマーシャルクリエイターが偉くなると仙人きどりな、ひっつめに作務衣など着て、(教養ない人がイメージする)ステレオタイプな芸術家チックなナリになる(タオル鉢巻に黒Tシャツで腕組みの意識高いラーメン屋と同じメンタリティ)。「サブカルチャーで偉くなるとハイカルチャーに裏口入学させてもらえるのでは」そういうスケベ心がありありと見抜ける。わかりやすい。
「知識無い方が型にはまらない自由なクリエイティブ出来る」なんて嘘だから。

アンディー・ウォーホルがバーガーキングのハンバーガーを食べるアート(※動画はyoutubeから)

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