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映画「私をスキーに連れてって」1987年


○ 20年ぶりの再見

本作の監督である馬場康夫氏のYouTubeは、チャンネル登録もして毎回見ています。
最近では、若い世代の映画系YouTuberの動画も、たくさんアップされていて最新映画情報は色々と勉強になるのですが、僕よりも4歳年上の馬場氏の映画解説の動画は、当然のように、クラシック名作ネタに重きを置いてくれるので、オールド映画ファンとしては、どうしてもシンパシーを感じてしまいます。
その馬場氏の番組に、先日タレントのいとうあさこ嬢が登場。
彼女は、大のホイチョイ映画フリークのようで、そのホイチョイ愛を、本作の監督である馬場氏に熱弁していました。
それに応えるように、馬場氏からも、映画製作時の面白い裏話がどんどん飛び出し、なかなか楽しませてもらいました。
そんな裏ネタを聞いてしまえば、とうしてもそれを確認したくなるのは映画マニアの性というもの。
気がつけば、BSで撮りためてあったDVD在庫の中から、ホイチョイ三部作をすべて引っ張り出しててきて、これを一気に鑑賞。
おもいもかけず、バブル全盛時代の、自分の若き日の思い出も蘇ってきて、気分は一気に35年前にタイムスリップしてしまいました。
とにかくあの時代の最先端にとことんこだわった映画作りは、タイムカプセルとしても極上のエンターテイメント。
おそらく20年ぶりくらいの再見になりましたが、案の定新たな発見もたくさんあり、改めて本作の魅力を堪能いたしました。
当時の僕自身は、スキーはそれほどの趣味でもなかったのですが、やはりこの映画の楽しさにつられて、ゲレンデへはチョクチョク繰り出したクチでしたね。
レジャー白書によるスキー・スノーボード人口の推移は、日本では1993年にピークに達しますが、その火付け役になったのがこの映画であることは、グラフからも歴然。
改めて、ホイチョイ・プロが、若者レジャーに与えた影響力の大きさを思い知りました。

○ホイチョイとの出会い

そもそも、馬場康夫氏率いるホイチョイ・プロダクショントの出会いは、本作製作以前にさかのぼります。

それは一冊の本でした。

1983年に刊行された「見栄講座」というのがその一冊。
スキー、テニス、オートバイからシティ・ファッションまで、当時の流行りの若者文化で、如何に見栄を張るかを、毒のある文体で面白おかしく解説したビジネス書(?)です。
当時、埼玉の浦和で、シティ・ボーイとは程遠い暮らしをしていた田舎者としては、荒川を渡ったあちら側では、こんな生活をしているリッチな若者がいることに愕然。
とにかく、その本に出てくるイロイロな分野の専門用語や商品名がいちいち新鮮で、まさに友人たちに「見栄」を張るという目的のためだけに熟読して、必死に覚えたものです。
ここで、「ホイチョイ・プロ」と「馬場康夫」という名前がインプットされるわけですが、その次にこの名前を発見したのは、当時隔週で出されたていたテレビ情報誌「テレパル」に連載されていたコラムです。
「酒とビデオの日々」というのがそのタイトル。
いわゆる当たり前の映画解説ではなく、その映画で扱われているファッションや文化のディテールの説明に重きを置いた内容でした。
その頃には、いっぱしの映画マニアとして、かなり映画にも精通して来ておりましたが、そんな映画解説は読んだことがありませんでした。
映画のストーリーそのものよりも、その細部にこだわるホイチョイ・マインド全開のコラムで、毎回楽しみにしていました。
このコラムに、ある時期から、映画作りのネタが頻繁に出て来るようになったんですね。
最初のうちは、お得意のフェイク・ネタかと思って読んでいたのですが、今にして思えば、それが本作「私をスキーに連れてって」の撮影日記だったんですね。
まさか、このお気軽おふざけ集団が、天下の原田知世をヒロインにした映画など作れる訳がないと、どこかで思っていたような気がします。
今にして思えば、まことに失礼な話です。

⚪︎ 1980年代のクルマ事情

さて、本作にはもちろんスキーという大きな柱があるわけですが、それと同じくらいに重きを置いていたのが車でした。
あの時代の若者は、今の若者たちに比べて、圧倒的に車への関心が高かったことは実感しています。
僕の周辺でも、「おいおい、その安月給で、その車を買うかよ」というようなクルマ命の友人たちはたくさんいました。
彼らは、三食はカップ麺に切り詰めても、クルマのローンだけはしっかりと払っていましたよ。
クルマを持っていなければ、女子をデートにさえ誘えないというような、男子としては切実な時代の空気も確かにありましたね。
男子にそうさせるエネルギーは、もちろんイケてる女子を助手席に乗せること。
まさに「見栄」以外の何物でもなかった気がします。
もちろん、そんな時代の空気も、本作はしっかりすくい上げています。

映画の冒頭、仕事もそこそこに切り上げてきた主人公・矢野文男(三上博史)が、ガレージで、ノーマル・タイヤをスタッドレス・タイヤに履き替えるシーン。
カメラは、ゆっくりとガレージの壁をなめていきますが、まず「MARIKO LAP 10」というボードが見えてきます。

そして、パンしていくカメラは、レーシング・サーキットでの仲間たちの写真を順番に映していきます。。
YouTube動画で、馬場氏が語っていましたが、この映画には裏ストーリーがあって、レーサーは男子ではなく、この映画に登場する佐藤真理子(原田貴和子)。
映画にはそれを説明するセリフは出てきませんが、主人公の矢野は、そのサーキットで彼女のサポートをしているスタッフらしいということが、このカメラのパンだけでわかるという仕組み。
これは、おそらく、アルフレッド・ヒッチコックの「裏窓」の冒頭からアイデアをいただいていますね。
馬場氏の世代の映画ファンならば、ヒッチコックは見ていてあたりまえ。彼のYouTube番組でも、ヒッチコックはしっかりと取り上げていました。

矢野の愛車は、ハッチバックのカローラ2・リトラL30。
スキー板をルーフキャリアに装着し、カセット・テープをカーデッキに突っ込み、リトラクタブルライトがニョキッとせり出して点灯したところで、ユーミンの「スキー天国サーフ天国」のイントロが流れ出します。


そこまでの矢野の出発準備シーンでは、BGMが一切ないのも効いていて、この導入部には見事にやられました。
とにかく、えげつないくらいのハマりっぷり。これで一気にこの映画に引き込まれてしまった人も多かったはずです。
この曲は、この映画のはるか前の1980年に発表されたユーミンのアルバム「SURF&SNOW」に収録されていた曲なのですが、まるでこの映画のために書き下ろした曲であるような錯覚をしてしまうほどでした。
馬場監督も、曲をかけるタイミングには、命をかけていたと言っていましたね。
矢野の赤いカローラが、ユーミンの曲にのって、夜の都会を抜け、練馬インターチェンジや旭ヶ丘シェルターを通過していくシーンは、マイカーで都内からスキー場へ向かったことのある者なら、みんなワクワクしたのではないでしょうか。

そして、本作に登場する名車がもうひとつ。
トヨタのセリカ GT-FOUR(ST165型)ですね。田中真理子が乗っていたのが白。そして羽田ヒロコ(高橋ひとみ)がのっていたのが赤。
本作の裏設定では、真理子もヒロコも、ラリーに参戦しているセミプロ・ドライバーです。
もちろんこの車は、そんな二人の愛車ですから、ラリー仕様で作られている4WD車です。
映画の中盤で、文男のカローラIIが雪道で往生してチェーンを巻くことになりますが、「先に行って部屋を暖めておくね。」と、二人のセリカは、矢野と優を残して、雪の山道をバリバリと駆け上がっていってしまいます。


「しょせん4駆の敵じゃないね!! 」という真理子の得意げなセリフはなんとも印象的でした。
このシーンを頭に叩き込んだ当時のスキー好きな若者は、無理して4WDを購入し、映画同様に車体にステッカーを貼りまくって、スキー場へ向かったんですね。
当時のマイカーは、中古で購入したオンボロ・ミラージュで、とても雪山などにアクセスできるような車ではありませんでしたが、一度当時の相方の弟所有のランクルを借りて、ドライブしたことがあります。
四駆の威力を実感したくて、スキーセットも持たずに、わざわざ雪山まで出かけたましたね。


真理子とヒロコはロッヂまで賭けレースをするのですが、二台並ぶと運転席が開いて腕がニョキ。
路面の雪をすくって状態を調べます。
このあたりは、ラリーレースに参加していた当時の馬場監督の友人からもらったアイデアだそうですが、車好きにはたまらないシーンでした。

本作のクライマックスでは、車の見せ場がもうひとつあります。
「SALLOT」一式を、志賀高原から万座スキー場のお披露目会場まで二時間半で届けなくてはならないのが、真理子の白いセリカに与えられたミッション。横にはヒロコも乗っています。

「志賀万座2時間半。楽しめそうじゃない。」

そして、出発前の儀式は、あの路面の確認。

「凍ってるね。」

嬉しそうにアイコンタクトをとる二人。そして、バックミラーから下がっているストップウォッチをヒロコがカチリ。
車は勢いよく、志賀高原をスタートします。
しかし、バレンタインの志賀高原は車の大渋滞。これに付き合っていたのでは間に合いません。すると・・・


まるで、007のようなカースタントで驚きましたが、それもそのはず、馬場監督は、本作で商業映画デビューする前に、仲間たちと8ミリカメラ撮っていた自主製作映画が、007映画のパロディなんですね。
Wiki してみたら、こんなタイトルでした。「天皇陛下の007」「007/奴らは死ぬのだ」「007/ドクターシン」
もちろん全て未見ですが、本作では、この頃には、資金力の都合で出来なかった撮影を、ここぞとばかりに実現させたシーンがいくつもあったようです。
ちなみに、馬場氏のYouTubeで、「007映画で、もし一本だけ見るとしたら」というテーマの動画があったのですが、馬場氏が挙げていた一本というのが6作目の「女王陛下の007」でした。
この作品は、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役を降板して、二代目のジョージ・レーゼンビーがボンドを演じた作品です。
一般的には、シリーズの中では、それほど評価が高い作品ではないのですが、馬場氏はこの作品を断然のイチオシで推奨していたのにはニヤリ。
実はこの作品は、シリーズの中でも、雪山でのアクションシーンがふんだんに登場することで有名な一本で、馬場氏がこの作品がお気に入りな理由は、映画ファンとしては理解できるような気がしますね。
おそらくは、「私をスキーに連れてって」の原案を考えるにあたっては、この映画からのヒントもかなりあったと想像できます。
真理子が、池上優(原田知世)を会社前で拾って、夜の都会を、ケツを振って疾走するシーンもありましたが、馬場監督によれば、これがやりたいために、わざわざそのシーンを挿入したとのこと。


ボンド映画なら、当たり前すぎるシーンですけどね。
ちなみに、本作のプリプロ段階では、馬場氏は、映画に登場するクルマは、三菱のギャランを想定していたそうです。
しかし、三菱自動車に交渉に行ったらあっさり断られて、OKが出たトヨタ車を使ったという経緯だそうです。
本作の大ヒットで、セリカ GT-FOUR の売り上げはグーンと伸びたたそうですから、三菱の担当者は相当に地団駄踏んだことでしょう。

○ 原田知世の不思議な魅力

YouTube動画での、馬場氏との対談で、いとうあさこ嬢の証言によれば、本作の大ヒットのおかげで、都内のスポーツ用品店から、白のスキーウェアはほぼ消えたとのこと。
これはその翌年まで続いたそうです。
もちろん、その理由は明白で、映画冒頭の志賀高原焼額山スキー場のシーンで、池上優(原田知世)が着ていた、純白のスキーウェアがあまりにキュートだったからですね。
僕も、この映画が大ヒットした後で、当時の会社の同僚たちと熊の湯スキー場に行っていますが、ゲレンデの女子たちのウエアは圧倒的に白が多かった印象です。
果たして、何人の女子が、狙った男たちに人差し指を向けて「バーン」とやっていたことか。


もちろん、僕はそんなことをやられなくても、一人でゲレンデのあちこちで、派手に転んでいましたが。

とにかく、原田知世という女優には不思議な魅力があるようです。
映画のイラストを描くのが道楽なので、この記事のために、セッセとiPadお絵描きをしていたのですが、ヒロインの原田知世がどうしても可愛くならないんですね。


映画のお気に入りのシーンをキャプチャーして、それをトレースして描くわけですから、もっと美人に描けてもいいはずなのですが、それがなかなかそうならない。
これじゃあまりにブスだなと思って、もっと可愛くしようといじってしまうと、今度は原田知世には見えなくなってしまうわけです。
でも元の画像を確かめると、これがちゃんとキュートな原田知世なので、頭を抱えてしまいました。
むしろ、同僚の恭代を演じた鳥越マリの方が普通に美人に描けましたね。


どうやら、原田知世の魅力の本質は、ビジュアル以外のところにあるようです。
個人的には、昔から清純派タイプの女優は苦手でしたから、世間が言うほどには、彼女の魅力が理解できていないことは自覚しています。
もちろん彼女が角川映画の秘蔵っ子であることは承知していますが、実際は彼女の作品であの当時見ていたのは「時をかける少女」くらいのもので、「愛情物語」「早春物語」などは未見です。

本作撮影時に、彼女は19歳。
ちょうど、この年の3月いっぱいで、角川映画との契約が切れて、フリーの女優として、初めて出演したのがこの映画だったようですね。
ですから、彼女が撮影現場にやってきたのは、そろそろスキー・シーズンも終盤に入ろうという4月1日。
しかもこの年の冬は、記録的に雪が少ないシーズンで、雪を求めて、映画の撮影クルーは、日本一標高の高いゲレンデがある渋峠まで登っていったそうです。

○ ゲレンデの楽しみ方

さて、本作には、クリスマス・イヴ、大晦日、バレンタイン・デーと、冬の三つのイベントに合わせた雪山シーンが登場します。
最初のクリスマス・イブでは、主人公の出会い描かれます。
まずは、ユーミンの「恋人はサンタクロース」をBGMにのって繰り広げられる、矢野と仲間たちによる上級者用「スキー遊び」には、シビレましたね。
おそらくは、馬場監督が仲間たちと楽しんできたゲレンデ・パフォーマンスがそのまま流用されているのでしょう。
スキー板の両方の踵を雪面に立ててターンする技や、真理子とヒロコのシンクロ方向転換ターン。


滑りながら、スキーヤーたちが、ボーゲンでどんどん重なっていくトレイン走行。


後ろから来たスキーヤーが、前を行くスキーヤーの手を借りて股くぐりを繰り返す滑降。

この映画のヒット以降のゲレンデでは、どれもよく見かけた光景です。

ちなみに個人的には、この当時、安月給のサラリーマンとしては、かなり無理をして、発売されたばかりの、かなり大きなビデオ・カメラを購入していました。
ですから、ゲレンデに行っても、自分のスキーはそっちのけで、仲間たちの撮影ばかりしていましたね。
残念ながらスキー上級者ではなかったので、滑りながらの撮影は出来ませんでしたが、ゲレンデの麓でカメラを構えて、仲間たちに一生懸命キューを送っていました。
ですから、個人的にこの映画から拝借して実践したアイデアは、スキー板を雪面に斜めにさして、そこに横になる雪上リクライニング・ベッドくらいですね。


スキー上級者の女子は寸暇を惜しんでスキーのリフト待ち行列に並んでいましたので、まだボーゲンのスキー初心者ばかり誘っていました。


ゲレンデだけではなく、アフター・スキーの楽しみ方も本作はたっぷり教えてくれます。
本作で描かれるのは、ロッジでは賑やかにカクテル・パーティですね。
ここで普段着なのは矢野だけで、ヒロコはバニーガールのスタイルだし、ヒロコの彼氏の泉和彦(布施博)は、タキシードの正装でした。
バブル全盛期のこの当時は、確かにみんな「お洒落着」も持参で、夜のパーティに備えていましたね。
この映画に感化されて、当時付き合っていた彼女と、クリスマスにホテルに泊まりに行った時も、わざわざ正装を持って行ったのを覚えています。


この映画に感化されて、当時付き合っていた彼女と、クリスマスにホテルに泊まりに行った時も、わざわざ正装を持って行ったのを覚えています。

僕が初めてスキーに行ったのは、この映画が公開される何年か前の大学生の頃でしたね。
友人たちが企画したスキー・ツアーに参加したのですが、そのツアーには、六本木の「ピットイン」で演奏していたジャズバンドも同行していました。
当然、アフタースキーは、ジャズ・コンサートです。
実はこのツアーの企画者の中に慶応ボーイが一人いて、参加者の多くが慶応の大学生だったんですね。
僕は三流大学の学生で、参加者の知り合いもその友人一人。スキーもズブの素人。ウエアも直前にロジャースで仕入れた格安の無名メーカーもの。(しかもくすんだ深緑)
場所は、苗場でしたが、完全にアウェイ感に打ちのめされていました。
この映画の仲間たちは、みんな小中高から大学まで一貫の学校に通うブルジョア・ハイソ育ちでしたが、個人的にもそのノリを肌で感じたのがこのスキー・ツアーでした。

とにかく彼らの「仲間感」は圧倒的で、こちらがその中のちょっといい感じの女子に胸をときめかせても、ヨソモノには付け入る隙間は1ミリもないという空気感でした。
もちろん、みんな大学生たちですから、同室の男部屋で、彼らが話していることといえば、女子の話題ばかり。

「○○のロッシの着こなしはセンスあるよ。板まで揃えていたぞ。」
「いやいや、□□のデサントだって悪くなかった。ちょっとゴーグル・ブスなだけ。」

さらには「今夜のパーティで、告白するぞ」なんて会話まで、耳に入ってくると、色気盛りのこちらはもう落ち着きません。
バンドのミニ・コンサートが終わると、彼らの生演奏によるダンス・パーティが始まります。
そして、演奏がスローバラードに変わると、お決まりのチークタイム。
ここでカップルになっていた二人が、翌日のゲレンデで一緒に滑っているのを何度も目撃しているので、サイタマの田舎者としても「負けじ」とここは張り切ります。
ダンス・フロアのカップルは無視して、壁を背にして座っている、お一人様の女子を目で追うわけです。
すると、ちょっと俯き加減で、バンドの演奏に合わせて軽くリズムを取っている長髪の女子が一人。
彼女しかいないと思って、チークタイムに変わった瞬間にダッシュして、彼女の前に立ちドキドキしながら声をかけます。

「よかったら、踊りませんか?」

すると、ゆっくりと顔を上げたその顎には、立派な髭が・・

○ A Happy New Year

映画での二度目の雪山シーンは大晦日。
矢野は自分が仲間と宿泊していた志賀高原から、優が宿泊している万座まで、車を走らせます
最初の志賀高原で聞いた彼女の電話番号はウソだったんですね。


「五時間半かけて、ふられにいくんじゃバカだよなあ。」

このシーンで、かかるのがユーミンの「A Happy New Year」。
1981年にリリースされた、ユーミン12枚目のアルバム「昨晩お会いしましょう」のラストに収録されていた珠玉のピアノ・バラードです。
この曲は、初めて聴いた瞬間から大のお気に入りで、今現在に至るまで、個人的には最も好きなユーミンの楽曲の一つです。
勝負のかかったデートでは、密かにこの曲を仕込んだカセットテープを用意していて、ここぞというときに車のデッキに放り込んでいましたね。
シングルになったような派手なヒット曲ではありませんでしたので、僕にとっては秘蔵の隠れた名曲という扱いでした。
ですから、このシーンで、この曲が流れ出した時には「やられた」「うわっ、使われた」というのが正直な感想。
しかし、映画の挿入曲というよりは、映画のシーンそのものが、この曲のために作られたプロモーション・ビデオのような印象でした。

矢野が万座のロッヂに到着すると、同じように矢野に車で会いに行こうと出てきた優と鉢合わせ。
すると新年を告げる爆竹花火が二人の背後で炸裂します。
この辺りは、オールド映画ファンからすれば、ヒッチコックの「泥棒成金」の花火シーンが浮かんできてニンマリ。


「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

この新年の当たり前の挨拶が、そのまま優の告白になっているという粋なセリフです。
脚本も、じっくり練られたことが伝わるシーン。
一週間前の志賀高原で、矢野にウソの電話番号を教えたという優が、恭代の前でセッセと手書きの年賀状を書いていたのも上手な伏線になっていました。
「原案 ホイチョイ・プロ」。いやいや、なかなかどうして、どう見ても彼らはただのおチャラケ集団ではありませんね。

○ BLLIZARD

3度目の雪山は、バレンタインデー。

矢野の会社が開発したスキーブランド「SALLOT」のお披露目パーティがあるのが万座プリンス・ホテル。
ここに、志賀高原にいる矢野たちが、自分たちが使用している「SALLOT」一式を、時間までに届けられるかというドキドキハラハラが本作のクライマックスです。
万座には、真理子とヒロコも愛車セリカで向かうのですが、居ても立っても居られない優は、矢野が帰ってくるのを待ちきれず、たった一人で、冬期立入禁止の志賀万座ツアーコースに挑みます。
このシーンでかかるのが、ユーミンの「BLLIZARD」。
優のおぼつかないボーゲンが、夕闇迫るダウンヒルコースを滑べり降りていくカットに、この曲のイントロがかかると、一気に胸が熱くなりましたね。
そして、優の置き手紙で、彼女が一人で万座に向かったことを知ると、矢野もすぐにその後を追います。
矢野が、ツアーコースのスタート地点に立って、いざ滑り出すシーンに合わせるように、楽曲の歌詞の「麓で会おうとスタート切った」の部分がシンクロ。
その編集の巧みさは、今見返してみると改めて見事の一言。
馬場氏は、自身のYouTube番組で、この映画は「まずは楽曲ありき」と言っていました。
つまり、シーンに合わせて曲を選んだのではなく、ユーミンの楽曲に合わせてシーンを想定していったというのがホイチョイ式映画作りなのですね。
馬場氏の話によれば、このあたりの技術は、コマ単位で音楽との融合を図った本作編集担当の冨田功の腕だとのこと。
広告業界のサラリーマンから、いきなり映画監督に転身して、まだ右も左も分からない馬場氏は、撮影の長谷川元吉氏をはじめ、多くのベテラン・スタッフの熟練の技に助けられたようです。

特筆すべきは、映画で使用されているユーミンの楽曲全てが、映画以前に発表されていた既存の曲であったこと。
古くは、マイク・ニコルズ監督の「卒業」がそうでした。
映画のためのオリジナル曲は「ミセス・ロビンソン」だけでしたが、主題歌や挿入歌とした使われたのは、「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロ・フェア」「四月になれば彼女は」などの、サイモンとガーファンクルの既存の曲でした。
とは言っても、個人的にはこれらの曲は全て、映画「卒業」を見て知った曲ばかりで、既存の曲という実感はほとんどなし。
しかし、本作で使われたユーミン5曲は、シングル発表曲こそないものの、個人的には、映画以前から、どれも馴染みのある曲ばかりだったので、映画で流れてきた時のインパクトは絶大でした。

当時はこんな音楽の使い方を出来るものなのかと、素人ながらにも不思議に思ったものです。
馬場氏の話によれば、まだこの原案の映画化も決まらないうちから、ユーミンの事務所に再三訪れては、この5曲の使用許可を求めて熱く交渉していたとのこと。
事務所からは、映画化が決まってからまた来てくださいと言われたそうです。
映画製作サイドからは、便乗ヒットを狙った主演の原田知世による主題歌も打診されたそうですが、これは原田知世の「ユーミンがいいと思う。」の一言で決着。
本作は、はじめからユーミンの曲がなければ、この映画は成立しないと決めていた馬場氏の覚悟が結実した映画だったといえそうです。

○ 決死の雪山撮影

全体的にノーテンキな雰囲気が漂う本作をグッと締めたのは、クライマックスの夜の雪山滑走シーンでしょう。
前述した通り、スキーシーズン最終盤に撮影されていた本作は、ゲレンデの雪を求めて標高2000m級の渋峠まで登ってカメラを回していました。
春とはいえ、この標高での夜間撮影は、零下10度以下の極寒です。
それは、出演者たちの吐く息でも一目瞭然。
俳優たちは、立っているだけでも凍ってくる頰の筋肉を、ライターの火で温め合って演技をしたと言います。
俳優たちよりも、もっと大変だったのは撮影スタッフです。
特に、漆黒のダウンヒルを、背負子式モックアップ(映画では、泉と小杉が装着)のライトで雪道を照らしながら、カメラを担いだまま決死の滑降撮影を行ったのが山岳撮影専門の「東京福原フィルム」の仕事。
映画には、当時ワールドカップ5位入賞の実力派スキーヤー海和俊宏や、トップ・デモンストレーターの渡辺三郎も協力。
俳優たちのスキー・シーンの吹き替えや撮影に参加していて、スキー業界全体で、この映画の撮影に協力して、スキーを盛り上げようという、熱い思いがみなぎっていたそうです。

○ アイテム

この映画の魅力の一つが、当時の最先端アイテムの数々。

映画の至るところで、小杉(沖田博之)が「とりあえず」と言ってパチリとやるのは防水カメラ。
当時は、僕もミノルタの黄色の防水カメラを買って持っていましたね。
せっかく防水カメラを買ったのだからと、デートの場所もわざわざプールや海水浴場などを選んでいました。

映画の中での小杉の役は、バイクの整備工場を経営するメカマニア。
ゲレンデで登場した夜間ライト用のモックアップも彼の作品です。

映画内で、仲間たちが通信手段に使っているのはアマチュア無線でした。
僕はこちらの方面には全く疎いのですが、勤めていたのが運送会社ですので、無線機をトラックに持ち込んでいるドライバーはたくさん同僚にいました。
映画では、仲間全員がアマチュア無線の免許を取得しているという設定です。
万座に向かった矢野と優のシュプールを追いかけて来た小杉と泉が、コースから外れてビバーグしようとしていた矢野たちに無線で呼びかけます。

「JM1OTQモービル、メリット5、現在地をどうぞ」

門外漢には、なんのことやらわからないのですが、頭のアルファベット6文字は、使用者一人一人に割り振られたコールサイン。
「メリット」というのは、ChatGPTによれば、電波感度のことで、「5」は、問題なく感知できるという意味だそうです。
こういうような専門的な用語のやり取りは、断然仲間意識を盛り上げるのに貢献しますね。
長年勤めていた運送業界でも、業界団体とは別に、無線仲間の全国組織みたいなものがあります。
その集会のビデオ編集を頼まれたことがあったのですが、厳ついかをしたドライバー連中が、大真面目で、子供のようにコールサイン(ここではハンドルネーム)で呼び合っているのが妙におかしかった記憶があります。

映画には、もう一つ面白いアイテムが登場していました。
それはキーボード。
優に聞いた電話番号にかけようかどうか迷っている矢野を、泉が揶揄うシーンに登場。
泉が「会いたい」という肉声をキーボードに吹き込むと、その音声を鍵盤で弾くキーに合わせて変えアウトプットするというオモチャです。
ピーター・フランプトンが、「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」という楽曲で、ボーカル・マイクをギターに繋げて出力させる「トーキングモジュレイター」というエフェクターを使っていましたが、これはそのキーボード盤ですね。
僕もこの頃はバンドをやっていましたので、安物のキーボードは持っていましたが、果たしてこの機能があったかどうか。
分厚い取扱説明書でしたので、全機能を把握するのは購入早々に諦めて、自分の出来ることだけで使用していた記憶です。

それから携帯電話も、この映画にはチラリと登場します。
この頃の電話は、車に搭載していた車載用か、携帯とはいっても、重くてゴツイ端末を肩からぶら下げるようなタイプでした。
これを持っている知り合いも当時は何人かいましたが、聞けばそのお値段も、維持費も目の玉が飛び出るような金額でしたので、安月給のサラリーマンには、到底手が出せるようなシロモノではありませんでした。

これらは、どれも35年前の最新アイテムですが、よくよく考えてみれば、今やその全ての機能が、老人でさえ一人一台持っているスマホの中に、コンパクトにまとまっているわけですよね。
「私をスキーに連れてって」を今の最新アイテムでリメイクしたら、いったいどんな映画になるのか。
これは考えただけでもワクワクします。
今話題のChatGPTも、関係動画を見る限り、ビジネス利用や、趣味のグレードアップに使われる利用法が紹介されることがほとんどですが、これが恋愛や若者ライフに絡んできたら、いったいどんな使われ方をするのか。
興味だけはムクムクと湧いてきますね。
恥ずかしながら、好奇心だけで人生を生きてきた感のある道楽老人としては、たとえ35年前の映画とはいえ、この映画に溢れている「新しいものには飛びついて、とことん楽しみ倒せ」というスピリッツには、今なおシンパシーを感じる次第。
但し、経済力の許す範囲ということにはなりますが。

○ 脇役たち

主人公グループの他にも、本作には名脇役たちがこの映画を支えています。

田中邦衛は、矢野の会社の先輩で、トータル・スキー・グッズ「SALLOT」の責任者・田山雄一郎役。
この役名は、明らかに映画「若大将」シリーズの加山雄三の役名・田沼雄一と、田中邦衛の演じた青大将の役名・石山新次郎を合わせてもじったもの。
本作には、こういった役名の名前遊びがふんだんに登場していて、ホイチョイの「遊び心」にニンマリさせられます。
田中邦衛は、本作撮影時には、青大将というよりも、むしろ「北の国から」の五郎さんのイメージが定着していて、1987年といえば、ちょうど「北の国から‘87 初恋」がオンエアされた頃。
本作の役は、五郎さんとはかなりギャップのある役ですが、どちらも、同じ田中邦衛臭で演じ切ってしまうあたりがこの人のすごいところです。


この映画の悪役を一手に引き受けていたのは、安宅物産株式会社のスポーツ部員で田山の部下を演じていた竹中直人。
あの当時の彼の顔芸で「遠藤周作」というネタがありましたが、本作ではそれを彷彿させるキャラ設定で、憎々しいばかりの悪役顔を披露していました。


これは、馬場氏が自分のYouTubeチャンネルで言っていたことですが、この映画を製作するにあたり、商業映画作りド素人の馬場氏に、プロデューサーたちはしっかり配慮してくれたようです。
つまり、まだ右も左も分からない新人監督に、役者への演技指導は無理だろうとの判断で、演技力には定評のある俳優を意識的に選んでキャスティングをしてくれたとのこと。
ですから、役者の演技に関しては、馬場氏の場合、現場では一切俳優たちにお任せだったそうです。
「うまい!」「さすがプロ!」「オーケー!」
彼が、撮影現場で俳優たちにかけていた言葉はこれだけだったようです。
しかし今や名監督になったクリント・イーストウッドも、北野武も、よほどのことがない限り、ファーストテイクでOKを出すことでは知られています。
確かにその方が、現場の役者たちの間には、いい緊張感が生まれるような気もします。
馬場監督の場合は、それを狙ったというよりは、新米監督として「図らずも」というところなのでしょうが。

ビックリしたのが、玉乃ヒカリという女優です。
Wiki で確認したのですが、この人が、あの叶姉妹の妹である叶美香の旧芸名だというわけです。
全然気が付かなかったので、これは再チェックしました。
矢野のオフィスで、矢野の隣に座っているOLという説明があったので注意して見ていたのですが、後のグラビア写真でのゴージャスな外見やビジュアルとは、かなりかけ離れたイメージでした。
その流れで、旧芸名の頃の彼女をGoogle で画像検索もしてみたのですが、やはりだいぶイメージは違いました。
女性はメイク次第で雰囲気はガラリと変わるとは言いますが、やはり彼女は・・・


〇 トレンディ・ドラマのはしり

本作の大ヒットは、後のトレンディ・ドラマ隆盛の走りになっていますね。
一般的には、フジテレビがダブル浅野で大ヒットさせた「抱きしめたい」が、トレンディ・ドラマの走りといわれていますが、このドラマが作られたのが1988年。
つまり本作公開の翌年ですね。
主演の二人には、はっきりとした説明はないものの、どこかブルジョア小中高一貫学校出身の親友同士という匂いが漂っていましたし、出演者の中には布施博の名前もあります。
主題歌は、カルロス・トシキ&オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」。
既存曲の使い方も、かなり本作に近いものがあります。

本作主役の三上博史は、映画の翌年「君の瞳をタイホする!」というトレンディ・ドラマに出演。
主人公の役は刑事でしたが、ここには「太陽にほえろ!」や「特捜最前線」のような、これまでの定番刑事ドラマお決まりの泥臭さや、汗臭さは一切なし。
刑事たちのアフター・ファイブがオシャレに描かれていました。
三上博史は、本作を経てこの辺りから人気も急上昇で、トレンディ・ドラマの顔になっていった感があります。
一方のヒロイン原田知世の方は、この2年後のホイチョイ作品「彼女が水着に着がえたら」の出演を最後に、トレンディ系の作品には出演していません。
バイオグラフィをみると、この後は音楽活動に軸足を移していますね。
確かに、トレンディ俳優というイメージは、彼女のキャラにはそぐわないかもしれません。
しかし、年齢を重ねても、彼女の透明感のある魅力は健在で、色々なドラマや映画には、今でも出演を続けています。

○ 原田貴和子

原田貴和子は、主役の原田知世の実姉です。
彼女は、この作品公開の前年に、大林宣彦監督の「彼のオートバイ、彼の島」という作品でヒロインを演じています。
この作品は、僕も見ていますが、彼女はこの作品でオールヌードも披露。
しかし、このときには、妹の原田知世は、同じ大林宣彦監督の「時をかける少女」で、押しも押されぬ角川映画の売れっ子アイドル女優として大ブレイク中。
残念ながら、姉の女優としての人気は妹までには届かず、本作では、そのヒロインである妹をサポートする脇役を演じることになるわけですが、個人的にはどうしても、その心中は如何程のものかと考えてしまいますね。
姉妹共演は話題は呼ぶでしょうが、考えてみればちょっと残酷なキャスティングではあります。

似たようなケースが最近にもあります。
若手人気女優の筆頭である広瀬すずの、実姉広瀬アリスです。
芸能界デビューは、姉の方が早かったようですが、遅れてデビューした妹の方は、是枝裕和や三池崇史といった、日本を代表するトップ監督に抜擢されて、次第にその女優としてその存在感を発揮していきます。
気がつけば、広瀬アリスは「すずの姉」という立ち位置に。
広瀬すずの作品はかなり見ていて、その実力と魅力は、オジサン(オジイサンか)としても認めるところなのですが、こうなってくると心情的には、姉の方を応援したくなります。
Amazonプライムで彼女主演ドラマを見る限り、コメディエンヌとしては、なかなか非凡なものがある気がします。
1994年生まれの広瀬アリスは現在28歳。

そういえば、本作の原田貴和子のセリフの中に、こんなのがありましたね。

「女26。(そりゃ)いろいろあるわ。」

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