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映画「アパートの鍵貸します」1960年アメリカ

映画「アパートの鍵貸します」1960年アメリカ

ビリー・ワイルダーが、二度目のオスカーを獲得した傑作ロマンティック・コメディです。
ちょうど今頃の季節にぴったりな一本です。
初めて見たのは、テレビ放送だったと思います。中学生の頃でしょう
テレビはまだ、一家に一台の頃だったと思いますので、おそらく父親と一緒に見ています。
かなり際どいお話ではありますが、ビリー・ワイルダーの絶妙な語り口で、中学生でも楽しめました。
我が父親は、ジャック・レモンがかなりお気に入りの俳優だったようで、彼の演技を評してこう言っていました。

「可笑しさの中にも、絶妙なペーソスがある」

中学生の僕には、そのペーソスとやらがなにものかはわかりませんでしたが、この年になるとそれなりに理解はできます。
笑いと表裏一体の哀感みたいなものと解釈すればよいでしょうか。

自分の出世とバーターにして、課長たちの愛人との逢引のために、自宅のアパートを提供する保険会社の社員バクスター。演じるのはもちろんジャック・レモン。
映画の冒頭は、このあたりのドタバタがテンポよく描かれていきます。
ただ日本の感覚でいいうと、この展開はちょっと首をかしげるところです。
わざわざ部下のアパートの一室をかりて不倫をするなんていう面倒なことをしないで、普通にラブホでも使ったらどうよと思うわけです。
しかし、世界広しといえども、エッチをする目的だけのためにあるホテルが、そこらじゅうにある国なんて、実は日本だけなんですね。
このあたりは、家が狭くて、プライバシーもへったくれもないという日本の家庭事情が大いに影響しているのでしょう。

映画の舞台は大都会ニューヨークです。
ラブホはなくとも、密会に利用できるようなオシャレなホテルはたくさんあったでしょう。
ただ、当時のホテルには、ホテル・ディテクティブというのがいて、愛人との密会や浮気調査を依頼され、不倫の証拠を収集するなんてことを仕事にしていたんですね。
お楽しみの尻尾を掴まれたくないお盛んな重役たちは、信頼できる部下のアパートを利用する方が、自分の地位を脅かされるリスクは、はるかに少ないと考えたわけです。

夜中に電話でたたき起こされて、渋々部屋を提供し、公園のベンチで、鼻水をすするバクスター。
そんな彼には、密かに思いを寄せる女性がいます。
それはフランというエレベーター・ガール。
演じるのは、シャーリー・マクレーン。
ベリーショートのピクシーカットでボーイッシュな彼女は、映画では21歳という設定でしたが、ちょっと気になって年齢を確認してみました。
1934年生まれのシャリー・マクレーンは、この映画撮影時で26歳ですね。
ちなみに、ジャック・レモンは、この時すでに35歳。

ある日、人事部長から呼び出されるバクスター。
日頃の苦労の甲斐あって、自分もこれでいよいよ昇進かと、足取りも軽く部長室をノックします。
そこで待っていたのは、シェルドレイク部長。
演じているのは、フレッド・マクマレイです。
ビリー・ワイルダー作品としては、彼の出世作「深夜の告白」にも出演していました。
その時の役は、保険会社勤務の営業マン役でした。
15年かけて、彼も同じ業界で出世していたと言うわけです。
シェルドレイク部長から、昇進の内示があるのを期待していたバクスターですが、彼の要件は違いました。
彼から、回りくどく言われたこと、それは、「悪いようにはしないから、自分にも鍵を」でした。

結局彼にも、アパートを提供することになるバクスター。この部長にも不倫相手がいたわけです。
実は彼は、社内でも有名なプレイボーイで、不倫相手の女子社員は、社内にも数人いました。
そして彼の現在の相手は、なんとバクスターが思いを寄せているフランでした。

これをバクスターが知るところとなる展開で、活躍した小道具がコンパクトです。
このコンパクトが、最初に登場するのは、フランとシェルドレイク部長が、別れ話をしているチャイニーズ・レストランのシーン。
フランが、涙でグチャグチャになったメイクを確認するシーンでさりげなく登場します。
この「さりげなく」が、伏線としてはかなり重要。
次に登場するのは、二人がバクスターの部屋で、密会した翌日です。
バクスターが、アパートのソファーの上に忘れてあったコンパクトを、部長室に届けに行くシーン。
そのコンパクトは、アパートでの二人の修羅場を物語るように割れてしまっています。
そして、3度目に登場するのが、昇進して個室を与えられたバクスターの執務室にフランが案内されるシーン。
ここで、有頂天のバクスターは、購入してきたボーラーハットを被って、フランに似合っているかどうか意見を求めます。
愛想笑いの彼女は、「お似合いよ」と、自分のコンパクトを取り出して、バクスターに渡します。
すると、そのコンパクトは割れていて・・


つまり、ビリー・ワイルダーは、シェルドレイク部長の不倫相手が、実はフランだということを、コンパクトという小道具ひとつで、観客に伝えてしまったわけです。
このあたりの語り口の見事さは、もちろん、初めて見たテレビ放送では、まったくわかっていませんでした。
2時間以上ある本編を、テレビ放送枠に収めるには、本編はかなりカットされていたはず。
伏線のための、さりげないカットならなおさらです。
やはり、この名監督の熟練の技を堪能するには、ノーカットで見るべきですね。
使われた小道具は、この他にも、テニス・ラケット、拳銃、シャンペン、重役用トイレの鍵、トランプ・ゲームのジン・ラミーなどなど。
これらを駆使して、ビリー・ワイルダーが、この時の相棒であるI.L.A ダイヤモンドと一緒に、練りに練った伏線が見事に回収されていく脚本は圧巻ですね。
今回再見してみると、新しい発見がたくさんありすぎて、ニンマリでした。

ちなみに、シェルドレイク部長を演じたフレッド・マクマレイという人は、テレビシリーズ『パパ大好き』で典型的なアメリカのよき父親を演じた俳優です。
このイメージが定着している彼に、ヘイズ・コード破りの、不倫部長役をオファーするあたりに、ビリー・ワイルダーのキャスティング・センスを大いに感じます。
この人は、「サンセット大通り」でも、サイレント時代の大女優であるグロリア・スワンソンに、その彼女自身を彷彿させるノーマ・デズモンドという役をキャスティングしています。
「お熱いのがお好き」では、強面のギャング・スターとしてイメージが定着していたジョージ・ラフトに、セルフパロディをやらせるようなキャスティング。
ワイルダーは、「意地が悪い」スレスレのキャスティングを、確信犯としてやっている節があります。
しかし、それによって、映画に絶妙な味わいが醸し出されてくるあたりはまさにワイルダー・マジック。
映画監督のキャメロン・クロウが、彼の映画術に心酔して、ワイルダーとのロング・インタビュー本「ワイルダーならどうする」を出版したのもわかる気がします。

本作は、1960年度のアカデミー賞で5部門を獲得しています。
作品賞、監督賞、脚本賞、美術賞、編集賞ですね。
スタッフ主要部門独占という感じです。
本作の美術を担当したのは、アレクサンドル・トローネという人。
この人の関わった作品としては、フランス映画の傑作「天井桟敷の人々」「霧の波止場」「北ホテル」などが有名。
戦前のフランスで、マルセル・カルネ監督の絶大な信頼を得ていた人です。

その彼が本作で、その職人技を披露したのは、バクスターが務める保険会社のオフィス・フロアの美術です。
彼は、遠くへいくほど、セットのサイズを小さくするという手法で、それほど広くないスタジオを、どこまでも続く広大なフロアに見せるというマジックを披露。
一番奥で動くエキストラは、背広を着た小学生だったといいます。
トリックアートとでも言うべき、職人技です。
この手法は、次第に、コストパフォーマンスを迫られるようになったハリウッドで、この作品以降定番の演出になったとのこと。
これは、映画評論家の町山智弘氏が、解説動画で熱弁していました。

俳優陣より、スタッフ陣に評価が集中したアカデミー賞でしたが、個人的な感想を言わせてもらえば、本作でのシャーリー・マクレーンの魅力は光り輝いていましたね。。
この人のデビューは、ヒッチコック作品の「ハリーの災難」でした。
バレエ・ダンサーから、女優に転職した人で、演技はもともとまったくの素人だった人です。
演技開眼したのは、まさに本作。ワイルダー監督には、相当鍛えられたようです。


クリスマス・イブの夜、バクスターのアパートで、シェルドレイク部長にプレゼントを渡すフラン。
しかし、彼女へのプレゼントを用意していなかったシェルドレイクは、何か買ってくれと裸の100ドル札を手渡します。
この時の、部長を見上げるフランの表情が、なんとも怖いのなんの。
ホラー映画級でした。
これは、男として、絶対に女性にやってはいけない行為だということは、初めて見た時、中学生だった僕にも理解出来ました。
後年、僕も付き合っていた女性と、クリスマスの夜に、プレゼントを交換することになります。
6年も付き合っていた女性でしたから、そろそろプレゼントのネタもつきかけていました。
何をプレゼントしたかは、もう忘れてしまっているのですが、僕がプレゼントしたものは、彼女にしてみれば、かなり微妙なものだったようで、言われたことはハッキリ覚えています。

「これいくらしたのかわからないけど、現金でもらった方が嬉しかったかも。」

その彼女とも、この翌年には別れることになりましたが・・
現実は、映画のようにはいきません。

さて、このクリスマスの夜に、バクスターのアパートで、フランは睡眠薬を飲んで、自殺未遂をしてしまいます。
約束の時間になって部屋に戻ったバクスターは、ベットで横たわるフランを発見。
アパートの隣人が医者だったこともあり、その素早い対応で彼女は一命をとりとめます。

48時間は安静と医者に言われた彼女は、バクスターの献身的な看護を受けますが、彼女が戻ってこないことを心配した義理の兄が、会社を訪ね、そのままバクスターのアパートに乗り込んでくるという展開に。
立場上、隣人の医師にも、義理の兄にも、自分の潔白を説明できないバクスター。
彼は、自分がフランを自殺未遂に追いやった女たらしであることを引き受けることで、シェルドレイク部長を守り抜きます。
そして、その甲斐あって、彼はついに部長補佐の椅子をゲット。
ついでに、この一件で、部長にとっては、やっかいなお荷物となったはずのフランも、自分が引き受けるという本懐成就の妙案を思いつきます。
ところが・・

このあたりから、ラストに向けての、たたみかける展開は、ワイルダー監督の傑作ミステリー「情婦」を思い出させますね。
回収されていく伏線は、映画マニアとしてはすべて説明したくなってしまいます。
しかし、それはここでは、やめておきましょう。
気になる方は、是非本作をご覧になってください。
「よく出来た映画」とは、こういう映画だということが、よくわかるはずです。

ただ、ニューイヤーズ・パーティの夜、シェルドレイク部長がふともらした言葉で、バクスターの想いを知った瞬間のフランの笑顔は一見の価値あり。
「サンセット大通り」ラストでの、グロリア・スワンソンの鬼気迫る形相にも、引けを取らないくらいのインパクトがありました。
彼女は、シェルドレイク部長をその場に残して、大晦日の街を全力疾走。
バクスターの部屋に駆け付けた彼女は、ソファーに並んで座り、トランプを配り始めます。
その彼女を見ながら、ついに愛の告白をするバクスター。
しかし彼女は、満面の笑顔を浮かべたまま、こういいます。

「はい、あなたの番よ。」

普通のロマンティック・コメディなら、ここはキスを交わして終わる展開てしょう。
しかし、そうはしないところが、実にいいんですね。
考えてみれば、この二人は、映画の中で、最後までキスすら交わすことがなかったことに気が付きます
それでいて、なんだか妙に艶っぽい映画を見せられたような不思議な印象が残るんですね。
このあたり、会話による艶笑コメディを極めたビリー・ワイルダー監督のいぶし銀の職人技。
映画は、脚本が八割と言う彼の面目躍如です。

とにかく、裸の100ドル札を受け取った時の彼女の鬼のような表情と、このラストの破顔一笑を持って、シャーリー・マクレーンは、この年のアカデミー賞の主演女優賞をゲットしていてもおかしくなかったと確信する次第。

良い映画を見た後は、大抵主演女優に感情移入してしまうタイプなのですが、これで年内いっぱいは、彼女の素敵な笑顔が頭にちらつきそうです。

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