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漫才と介護の親和性

昨日はM-1グランプリでした!
ひとまずウエストランド優勝オメデトーゴザイマス!!

M-1は第1回目から欠かせず見ています!
M-1は、単純に笑いの勉強になるというのもありますが、いろんな意味で仕事に役立つことが多く、毎年勉強させてもおてます!

勉強させてもおてる内容はツイートのとおりです!

漫才には型がない!?

今年の敗者復活戦、決勝戦を見ていて、改めて漫才は毎年進化しているなと感じました。
マヂカルラブリーが優勝したときは、どこまでが漫才なのか論争が巻き起こりましたが、その自由さこそが漫才であり、だからこそ学びが多いのだと思います。

漫才は、落語のように細かな型がなく、その型はますますなくなってきています。
とはいえ、あまりに自由過ぎると「これは漫才じゃない!」という気持ちにさせてしまい、面白く見ることができなくなってしまいます。
何となくある「漫才」という枠のなかで、見る者に「これは漫才だ!」と思わせられるような絶妙さが求められます。

介護にも型がない!?

この感覚、「介護」に似ているなと思いませんか?

どこまでが「介護」なのか??

食事介助、入浴介助、排泄介助。
認知症ケア、医療ケア。
買い物支援、余暇支援。
ただのおしゃべり、ただの旅行、ただのカラオケ…。

いったいどこまで「介護」はしなければいけないのか?
どこを頑張っていれば良い「介護」と言われるのか?

「漫才」を見ていると、そんなことを考えさせられます。

漫才から学んだ職場作り

そんな「漫才」と「介護」の親和性のなかで、私はツイートのとおり漫才で学んだことを仕事に生かしてきました。

笑い飯のようにボケ合うことで生まれる対等な関係性。
ハライチのようにボケを認めちゃったり、ぺこぱのようにボケにノッてツッコミを入れない優しさ。
霜降り明星のようにボケを一言で分かりやすく解説してしまうトゲのないツッコミのワードセンス。

これらは介護そのものに役立つだけでなく、育成やマネジメントにも役立ちます。

漫才で学んだスキルで職員との関係性がうまく作れ、ついでに笑いが生まれ、その笑いは仕事がうまくいく潤滑油となってくれるのです。

とはいえ、年々うまくいかないことが増えています…。
私たちに求められるスキルはどんどん高度になっていると感じませんか?
職員は世代によって価値観はさまざま。
考え方が違う人たちをまとめるのは大変です。
利用者の世代も変わってきましたし、家族の世代もさまざまで、暮らしのあり様もさまざま。
理解できない変なことを言われたり、自分が変なことを言ってるように受け取られたり…。
そんな変なことを受け入れ合い、理解し合いながら介護に向き合い、育成をし、チームをまとめていくわけですから、当然高度なスキルが求められます。

一方でM-1グランプリはどうでしょう??
漫才は、ますます多様化していますし、レベルが高くなっています。
何がウケるか分かりません。
想像を超えたことをしていかなければウケません。
漫才は、どんどん変なことを生み出して、どんどん変なことへの対応の仕方を広げてくれているのです!
漫才は、変なことへの対応の仕方を教えてくれているのです!

変なことが言える職場作りをしよう!

現代は当たり前が当たり前ではない世の中です。
多少の変なことで驚いている場合ではありません!
漫才は、ますます変なことに慣れさせてくれて、その変なことへの対応のヒントを教えてくれます。
今年のM-1もまた、変なことへの対応をたくさん教えてくれました!

というわけで、今年のM-1で私が学んだことはこちらです👇🏻

変なことが言える職場作りを目指しましょう!


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