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「あなたからなら何を貰っても嬉しいよ」なんて絶対に言わないと思っていた。


束になった広告に、白い封筒が挟まっていた。


80円切手が一枚と、2円の切手が二枚。

それを見て、今は84円だったかと思い出す。

手紙や葉書を出すことが少なくなった今日では、新しく変わった郵送料金に中々慣れないもので。手紙を書く度にいくらだったかと首をかしげている。

届いた封筒は真ん中が少し膨らんでいた。
そこに小さな生き物が入っているかのように、私はそれをそっと抱えてテーブルに置いた。
見慣れない文字で書かれた自分の名前に見惚れる。
彼女は字まで綺麗なのかと思いながら、封を切るのは後の楽しみにしようと決めた。


「あなたからなら何を貰っても嬉しいよ」

そんな台詞を心の底から吐くなんてことは、自分の身に起こらないと思っていた。
悲しい人間だと思うだろうか。
いや、同じ台詞を小さな子には向けることはできる。
「あげる!」と渡されたものが枝だろうがダンゴムシだろうが、笑顔で「ありがとう」と言う自信がある。小さいなりに、その頭のどこかであげようと考えたのが愛おしくて微笑んでしまう。
けれどそうではない場合、心からその台詞を吐くなんてことはあり得ないだろうと思っていた。


私はプレゼントを貰うのが苦手だった。

正確に言えば、プレゼントを貰ったときにリアクションをとるのが得意ではなかった。

目の前で開けてと言われると、たとえ贈られたものが欲しかったものだとしても、こんな反応で喜びが伝わっているだろうかと考えてしまう。
そのひとが大切であるほど、そのリアクションがぎこちないものになっているように思える。
さらに言えば、見られていると「嬉しい」よりも反応を求められているという「焦り」が勝ってしまい、手放しで喜ぶなんてとても難しいことだった。
だから、そんなぎこちなさのない、心からの「嬉しい」を伝えることなどないだろうと思っていた。

「何を貰っても嬉しいよ」なんて無責任なことは言えないと思っていたのである。

白い封筒は口がしっかりと留められていたから、頭の方にはさみを入れた。
中を傷つけないように、静かに刃を進めた。
「ちょきん」と小気味良い音がして、紙の端が落ちる。大きな口を開けた封筒から小さな包みを取り出した。
透明の袋に入っていたのはモノクロームのピアスだった。
正方形で、タイルの欠片のようなそれは、よく見ると木で作られていて、私の好きなものをよく分かっているなぁと差出人のことを思った。

説明でも書いてあるだろうかと裏を向けると、ピアスの背にクラフト紙が5枚入っていた。

それは私に宛てた手紙だった。

元気ですか!
近頃寒くなったと思ったら、また暖かくなったりして。お天道様コロナにでもかかったのかしら。

そんなふうに始まる手紙は封筒よりも丸みを帯びた字で書かれていて、小さな紙に収めようとする姿を思うと堪らない気持ちになった。

差出人である彼女は大学でできた友人で、私より背が高く、ショートカットと暖色がよく似合う素敵な子である。お洒落なカフェや古着屋さんに詳しくて、美術館巡りとカレーが好きな憧れの友人だった。

コロナが収束すると見せかけていた頃、彼女は数日一人で旅に出ていた。
その途中、自然豊かで温かいひとばかりの町だと言って写真を送ってくれた。
旅が終わるであろうときにもう一度、

「ちょっとしたお土産を送りたいから住所を教えてもらえる?」

と連絡が来た。そのお土産こそ、同封されたモノクロのピアスである。



彼女は数か月前、私が世の暗い空気に参っていたときに突然、

「元気~?」

と連絡をくれた。

そのときの私はあんまり余裕がなかったもんだから、様々な世の繋がりを絶っていた。
誰に相談することもなく、静かに耐えているという感じだった。
唐突な連絡に甘えて、本音を少し漏らしたら

「やっぱり!?何かそんな気がしたの」

と返ってきて驚いた。
対面授業がない今繋がりを絶ってしまえば、一人のことなどどうにも知る術がないのに。
何かを察してくれたことが嬉しくて、一層の感謝と好きが募った。

手紙にはこう書いてあった。

意味もなく考え込んでしまって、どう付き合えばいいのか分からなくなるときがあるけれど、今日もこうやって、お日様を浴びて、ほかほかのご飯を食べて、あったかい布団でぬくぬく寝て、ひとつひとつの幸せが散らばってるんだったら、少しくらいのもやもやにスペースあげてもいいかなって。
私たちらしく、気持ち良い空気を吸えていたらいいなと思う。

読み終える頃には涙が浮かんでいた。

自惚れて良いならば、きっと彼女は以前の私のことが過ってそんな言葉をかけてくれたのだろう。

なぜ彼女がこれほどまでに、自分を気にかけてくれるのか分からなかった。
私が何か返せる訳ではないのに、やさしさを向けてくれる理由が分からなかった。

手紙への感謝と共にそのことを伝えたら

「それはね、好きだからだよ」

なんてさらりと返ってきて、ますます分からなくなってしまった。
ただ、私を甘やかしすぎていることと、彼女は私にとってとても大切な存在であることは間違いなかった。


彼女が笑顔で、幸せであればそれでいい。

無条件のやさしさに触れたら、恋愛での愛情とか友情では収まらないものが湧き上がった。
少なくとも彼女は見返りなんて期待していなかった。
ものを贈るとき求めていたのは大きな反応ではなかった。

それが理解できたのは彼女が控えめに、でも強く、私と、自分自身に言い聞かせるような言葉を綴ったからだ。手紙と一緒に、身も削るような真っ直ぐな言葉を添えてくれたから。
いつかもし仲が変わってしまっても、この中にはずっと、そのときの心が包まれている。

過去が残るのは恥ずかしい。
かく言う私も彼女のやさしさに甘やかされて書いた、この、自分の世界全開な文章が直視できないのだけれど、彼女だけはそんな私も許してくれると信じて、このまま書き切ってしまおうと思う。

手紙は、その気持ちを温かいままに届ける手段のひとつだ。
封筒から、筆跡から、そこにある全てから、相手が見えないからこそ伝わるものがある。

何もかも便利で手間ないように変わる時代に訪れた、どうしようもない混乱。
モニター越しではどうにも繋がることができず、心細さを感じていた。
そんな中、手紙というアナログな手段で届いた言葉に救われた。
この記事を読んでいて思い浮かんだ顔があるならば、その方に手紙を送ってほしい。

文字にすれば、面と向かっては言えない言葉を届けられるかもしれない。
普段見せない一面が、直接では育めない友情を生むかもしれない。
誰かを思って書いた手紙はどんな薬よりも効くのかもしれない。
このやさしい文化が日常のように残ってほしい。

手紙には「何を貰っても嬉しいよ」と言えない私を溶かす、温かい魔法が掛かっていた。
私は彼女になら「何を貰っても嬉しいよ」と心から言えると確信したのである。


この大きな好きという気持ちを全てしたためたら、手紙というより文書になってしまう。
だから彼女への返事を書くより先に、ラブレターのような記事をここに。
彼女も同じことを言って筆を置いていたなんて惚気も添えて。

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