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就活をしているとき、「自己理解」で悩んだ

こんばんは。

今日は、就活をしていたときの反省っぽいことやら現状の就活(面接)への不満やらなにやらを綴ろうかと思っています。

タイトルにもある通り、わたしは、就活中に自己理解に苦しみました。詳細を話すと、わたしは、普段の生活で、自分のことも他人のこともなにが長所でなにが短所か考えていません。長所も短所も、なんだかんだ言って結局のところ勝手な決めつけでしかないんですよね。どういう性格か、決めつけるのは簡単ですが、実際のところ、それが本当の自分とは到底思えませんし。

そんなことを言っていると、就活の時うまくいきません。なぜなら、面接官は長所や短所というものを聞いてくるからです。面接官としては、長所や短所を聞くことで自己理解できているかどうかを問うているみたいですが、わたしは、そのようなことを聞いたとしても自己理解できているかなんて分からないと思います。

意識できるような材料で言葉を組み上げて自己理解なんて言っているようでは甘いと思います。人間にはご存じの通り意識と無意識があるわけです。この無意識というものは、19世紀終わり頃から20世紀にかけてフロイトが発見したものです。実は人間の歴史上、比較的新しい発見なのです。(正直な話、「発見」されたというのは語弊があるかもしれません。「提唱」ぐらいが正しいかもしれません。)それまでは、人間の行動というものはすべてその人が持つ理性でコントロールされていると思われていたのですが、フロイトは、いや、そんなことはないぞ、と気づき、無意識というものを提唱したのです。そう、無意識というものはそう簡単にわかることがないのです。そういったことに考慮することもなく、面接官が長所と短所をただ聞いたところで、どういった意味があるのでしょうか?

しかし、わたしは、反省しなければならないこともあります。それは、相手のニーズに応えようとしなかったことです。採用するもしないも、結局のところ、相手が決めるのです。ですから、長所も短所も、なんとなくでいいからそれっぽいことを答えれば、もう少し就活も楽にこなせたかと思います。なんて軽々しく言いますが、当時のわたしは、毎日がただしんどかったので、これを当時のわたしに言ったところで、話を聞いてくれるとは思いません。わたしは、サークルの同期や上の学年(あくまでも「上の学年」であって「先輩」だとは思っていません)に人格否定や存在の否定をされた、その苦しみで手一杯でした。今も苦しいですが、当時はもっと苦しかったのです。強烈な否定をされた人に、長所は思いつきませんし、短所はなにを口にしても自らが崩壊してしまいそうな、そのようなメンタル(今もそうですが)で言うのはなかなか難しいです。

というわけで、わたしの就活していた頃のお話でした。

最後に、一応言っておきますが、サークルの同期や上の学年の人間たちが人格否定や存在の否定を意識してやってきたわけではありません。だからこそたちが悪いのです。悪意は、自覚して初めてその悪意をなくすことができるのです。それができなかった、いや、今でもできておらず逆上してしまう彼ら彼女らは、これからものほほんと過ごすのでしょう。それが、どれぐらい稚拙な行為であるかにも気づけずに、または、見て見ぬふりをし続けながら。

今ドキッとしたそこのあなたは、そう思えるだけ素敵だと思います。彼ら彼女らは、この文章に巡り合ったとしてもドキッとしないでしょうから。もし、あなたになんらかの自覚があり、それが他人(ある程度の距離を置いている他人です)から見てもあなたが悪いなら、そのことについて相手に謝るといいと思います。そこでどれだけあなたのことを否定されあなたが傷ついたとしても、それはあなたがしたことで、その傷つきはあなたにされた傷つきですから、味わいましょう。苦味を味わうことであなたは成長できるのです。本当に怖いのは、そこで優しい対応をされたときです。あなたは、自分がした行為を振り返り続けることでしか成長できなくなります。

最後が長くなってしまいました。これがわたしの長所でもあり短所でもあるかもしれません。

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