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「何時よりか飯を炊くのは夫の仕事今朝は五穀米の匂ひたつなり」

突然ですが、私の祖母は歌人です。

というのは頭では長年知っていた知識だったはずなのだけれど、
再認識する機会があった。

祖母が「歌集」を出版したのです。

歌集 「五穀米」

出版とはいっても、書店などで並ぶわけではないのですが。

私の母方の祖母、白石光子さんは、遡ると師範学校の時代より短歌を詠んでいる。今年御年90歳。祖父である巌さんが編集した第一歌集(平成17年出版)以来の第二歌集。今回まとめたのは長女の紀子さん。そして紀子さん(私からは叔母にあたる)から、「さくちゃんのはんこを表紙、挿画に使いたい」というありがたい申し出が。

あとがきの中で、編者紀子さんの言葉が印象的で、端的でありながらたくさんのことを語っているので少し抜粋します。

ー(中略)歌集名も次の歌からとっていただきました。
「何時よりか飯を炊くのは夫の仕事今朝は五穀米の匂ひたつなり」
母は一生自分の机を持たず、食卓の隅で歌稿にむかっておりました。電話、手紙はほぼ歌の仲間とのやり取りでした。「歌稿在中」と朱書した封筒を鹿沼駅の丸型ポストに投函するのは私の役目でした。
先日九十歳を迎えた母に「お母さんの人生は素晴らしかったわね」というと「何言ってるの私の人生はこれからよ。」という答え。

平成四年からの歌をまとめたこの歌集には、酸いも甘いも苦いも、祖母の日常が詰まっている。祖父へのラブラブな眼差しもあれば、自身の子、姉、そして祖父を亡くした悲しみや寂しさ、そして生活の中にその面影を見る祖母の目、祖母を囲む人や環境。そんなものたちが祖母の歌には詰まっている。

もちろん私の知る祖母の側面はそう多くないけれど、少なからず共有していることたち、あ、これは、私のことだ、私の家族のことだ、これはこのときのことだ、あの人のことだ。そういうことを思い出しては、懐かしいような胸がきゅっとするような思いがする。

ちなみにこの「をとめ」「処女」はおそらく私のことだ。以前、祖父が亡くなる前ホスピスで過ごした時間のことを歌を作り、歌ったことがある。「しあわせのうた」という歌だ。
なんだかあまり意識していなかったけれど、そうか、目の前のできごとを歌にするというのは、私も祖母も似たようなことをしていたのか。一緒にしたら失礼というものか。

孫である私は、今もはんこを彫ったり絵を描いたり、細々とでも歌詞を書いたり歌を歌ったりしている。しかし祖母の詠んだ歌はもちろん、この歌集に到底収まりきらない量があって、「詠もう」と決めて詠んだものもないことはないだろうけれど、「気づけば詠んでいた」ものの蓄積なのではないだろうか。

そんな祖母の積み重ねてきたものたちが孫の私の手にまで届いてくれたこと。そしてその作品たちと、微力ながらコラボレーションができたこと。とても奇跡的で、幸せなことだなと思える。本当にありがたい。

なんと豊かな人生かな。なんて言ったら、

「何言ってるの私の人生はこれからよ。」

そんな答えが聞こえてきそうです。


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