見出し画像

地方へ移住して起業とかするつもりなら知っておくといい概念:その1

「野良委員会」 「専門性の外部化」

①地方のスポーツ団体(各種競技団体・協会など)とヤクザはどことなく似ている。個々の選手を底辺に、地方スポーツ団体からの公認・後援という“代紋(看板)”を掲げて、競技会という“しのぎ(商売)”に参加させてもらう返礼として、登録料・参加費という“上納金orみかじめ料”を収めるという構造が成立している。

②選手としてスポーツに打ち込んでいた頃を思い出してほしい。打ち込んでいた競技の地域のトップを知っていただろうか?そのトップが監督を務めるチームに所属していたなどの事情がない限り、ほとんどの人は知らなかっただろう。というか興味すらなかっただろう。

③トップやその組織体制に興味がないということは、組織へ納めた登録料などの「お金の使い道」にも興味が湧かず、チェックしようという気も起きない。それゆえ地方スポーツ団体の資金へのチェックは必然的に甘くなりがち。

④市町村や教育委員会が主催する競技大会は、この主催者(行政)が大会実施ノウハウを直接保有している・・・わけではない。このような実施ノウハウを含め、大会開催に必要な競技役員、審判、選手、参加校、競技ボランティアといった人的資源のすべては競技団体が押さえている。そのため大会開催にあたっての競技団体の立場はまあまあ強い。これだと頼みの綱の行政もチェックに及び腰にならざるを得ない。

⑤チェックが機能していない状態で組織のトップが運悪くワンマンだったりすると、このトップは組織のお金と自分のお金の区別がつかない状態になったりする。

⑥なぜお金の区別がつかなくなるかというと、資金拠出の最終決定権を持っており、その気になれば自己都合でお金の使い道を決められるから。例えば、大会スタッフに配られる弁当なんかは、トップの関係者(友人・知人など)が経営している飲食店が何年も独占的に納品してる、なんてことがある。日常的にお金の使い道を自己都合で決めていると、誰だって組織のお金と自分のお金の境界線が薄れてしまう。地方スポーツ競技団体の役員なんて、トップを含め、ほとんどが無償で競技運営に取り組んでいる。「これくらいいいだろ」という気にもなる。お金の区別がつかなくなると、トップの取り巻きが先の例の飲食店のような美味しい状況に乗っかろうと振舞い始める。そうすると取り巻きの点数稼ぎとその点数による序列化が起こり、トップの統制が強まり出す。こうなると取り巻きは何でも言うことを聞く兵隊となり、時としてトップの意向を忖度して行動する。

⑦望むとおりに動いてくれる兵隊がおり、実質的に自由裁量の資金を有し、そのお金も下から勝手に湧いてくる。そんな仕組みの地方スポーツ界では、各競技団体のごく一部のトップがヤクザの組長のように化してしまっていることがある。こうなってしまった人たちの間に立って利害調整をするのは容易なことではない。実際バスケやバレーといった多くの室内競技は体育館の使用で日常的に利害が対立する恐れがあり、大会開催希望日などがバッティングした際、事務方は大変面倒な対応を強いられることがある。

⑧地方スポーツ界において各スポーツ競技団体が一堂に会する会議は重要だ。会議では大会スケジュールの調整、体育館・グラウンドの運用方針、各団体に分配される助成金などについて話し合われたりする。この会議の議決では、競技人口に大きな差があっても一団体一票で、国連に近い議決状態となっている。そのため、もし議題についてガチンコで議論するようなことになると物事が非常に決まりにくい、というかケンカ腰になって収拾がつかない。なぜなら、人気のある施設やその使用日時、助成金といったものには限りがあり、その取り合いは必然的にゼロサムゲームと化す。他人の得は自分の損となると、各競技団体を背負って会議に来ている以上、面子がかかっており闘志むき出しにならざるを得ない。

⑨事務方としては団体同士の争いの火はボヤ騒ぎで留めたいし、可能なら争い自体起きないでほしい。でも相手は超めんどくさいおっさんばかり。さてどうする?・・・となる。実際の運営では、ほとんどこのような争いは起きない。起きない理由は、これを起こさせない存在がおり、この存在によって各種調整手続きが慣例化するからだ。この存在のことを以下“野良委員会”と名付ける。

⑩この“野良委員会”とは何なのか?一言で言うと「政・官・民・学・報などのメンバーで構成された数人からなる複合体」だ。政・官・民・学・報など・・・ってほぼ何でもやんか!と言うツッコミはごもっともで、イメージとしてはちょっと偉い肩書きを持ったおっさんの集まり、といった感じ。その構成メンバー及び人数は流動的で、輪郭がはっきりしておらず、外部からその存在を把握することは難しい。“野良委員会”はいわば地方議会や行政の事業に関わる非公式の委員会みたいなもので、議会や行政の機能が根拠なく一部外部化したような存在だ。このように書くとやたらと仰々しいが、どこにでも存在し、ひょっとすると自分もすでに野良委員の一人になっているかもしれない。

⑪組織のトップやその関係者同士は活動分野が近いとやたらと顔を合わせる機会がある。何度も顔を突き合わせていれば、当然お互いに話すようになるし、話すようになると仲良くなることもある。この仲良くなった仲間が“野良委員会”だ。フツーの人付き合いの延長に生じるものなので、形成不可避だし、法人のように人が特定の目的で集まった組織ではないので、そのメンバーも流動的で捉えどころがない。だから、知らぬ間に自分も野良委員になっていたりする。「大会中に大会役員が待機している部屋」や「体育施設運営団体の忘年会」といった会合で聞き耳を立てると、野良委員同士の雑談(いわゆる野良委員会の会議)の中で、運が良ければ結構大事なことがポンポン決まっていく様子を聞くことができる。その様子が分かる例は以下の通り。

野良委員A:「あんたのところで毎年開催してるあの大会もだいぶ長くやってるね」
野良委員B:「ええ、来年で20周年になります」
野良委員A:「20年!そりゃ記念大会として盛り上げないと」
野良委員C:「それなら、メダリストのX選手を呼んだらどう?俺の出身大学の後輩だから来れるか聞いてみるよ。」
野良委員B:「それは是非!せっかくだから、地元のジュニアチームの子供たちを呼んで交流会を開きたいですね。トップ選手と触れ合う機会なんてなかなか無いから。」
野良委員D:「交流会にしちゃうと時間的に大会当日のスケジュールに組み込むのが難しいんじゃない?やるとしたら前日開催とかになるね。大会当日はどうする?」
野良委員B:「決勝戦の前に1時間程度の間があるから、そこでジュニアの子達とハンディキャップマッチをしてもらうのはどうでしょう?トップ選手の力量を肌で感じられる経験は、一生ものの価値がありますよ。あと、表彰式の部門賞の中に“X選手特別賞”を設けて、X選手から記念の盾を手渡ししてもらえると最高ですね。」
野良委員D:「いいね!そうしよう。」
野良委員E:「X選手を呼ぶとしたら、どのくらいの費用が掛かりそうです?」
野良委員B:「そうだなぁ。旅費、宿泊費、謝礼、あと記念楯くらいだろうから、ざっと30~40万円くらいかな」
野良委員E:「わかりました。記念大会をみんなで盛り上げていきましょう!」

・・・といった感じ。税金の使い道がサラサラっと決まっていく。

⑫このように“野良委員会”は物事を段取りし、それゆえ決める力を持っている。そのため、ヤクザの組長のような存在と化した競技団体のトップも“野良委員会”の意向と威光には逆らわない。事務方が複数団体の間に立って利害調整をするときは、この威光を借りて行うことでスムーズに事が進む。そして、この威光を添えた利害調整のやり取りが数年続くとやがて慣例化し、「“野良委員会”の意向に従う」から「事務方の意向に従う」に変化し、調整はよりスムーズになる。

⑬最近“野良委員会”の存在・機能・役割がはっきり認識できる時期があった。それはコロナ禍による公的施設の全面使用禁止、そしてその後の制限付きでの部分開放が行われた時期だ。この使用禁止や使用制限は、予定行事がほぼ白紙になることを意味する。つまりゼロベースから、それも使用制限で全体のパイが大幅に縮小した状態での調整になる。これにより、それまで慣例化していた各種手続きが、一気に本来の姿(喧嘩腰でのパイの奪い合い)に戻ったのだ。こうなると事務方だけでは、収拾がつかない。この混乱の収拾に動き、事態を終息させたのが“野良委員会”だった。

⑭各スポーツ団体が一堂に会する会議でも、“野良委員会”は事務方にとって大変ありがたい存在だ。会議の実際の運営の流れを記すと・・・まず事前に各団体にスケジュールなどをヒヤリング、この結果をもとに事務局内で調整、協議が必要な部分については事務局の提案を“野良委員会”の意向と威光を「暗に」添えて各団体に送付、各団体からの承諾をゲット、といった感じ。事務方からすれば、利害調整に奔走することに比べれば、手続きの流れが非常にシンプルで効率的だ。実質的に会議前にすべてが決まっているため、会議はいわゆる“シャンシャン総会”となる。

⑮地方に限らず行政は専門性の多くを外部化している(以下このことを“専門性の外部化”と呼ぶ)。高速道路の敷設工事に国土交通省の職員が全員で取り組んでも、道路工事の専門家ではないので完成させることはできない。もしやるならノウハウを全部持っている大手ゼネコンにでも頼む方が早くて確実だ。外部化できない分野は、外交、軍事、治安くらいで、他は外部化または民営化できると言われているし、現に外部化・民営化しているものもある。地方行政のスポーツ分野なんかは、ほぼ全て外部化してしまっているので、行政主催大会の実施ノウハウを外部のスポーツ団体が全部持っていたりする。この外部化は、効率をもたらすとか、市民の自己決定権を拡張するとか言われて、これまで比較的歓迎されて来たように見える。しかし、先の例で挙げたように、スポーツ団体のトップにはクセの強いおっさんが多く、これらを束ねるにはそれなりのエネルギーなりコストなりがかかる。このおっさん達がヘソを曲げたら、行政は“専門性の外部化”で自力開催出来ないから、最悪事業がストップする。一方で、「毎年決まった時期に決まった大会がキチンと実施されて当然」(以下: “行政事業必達の理(ことわり)”)というのが社会の共通認識だ。それが仕事なんだから当然っちゃ当然。以上をやや大袈裟にまとめると「いつ爆発するかわからない爆弾を抱えてマラソンを絶対に完走しなければならない」ような感じ。この爆弾が爆発するのを抑え、完走まで様々なサポートを担う存在が“野良委員会”となる。

この章のまとめ
地方で企業するなら“野良委員会”との関係性構築は是非とも達成したいミッションになる。RPGで例えるなら、野良委員はゲーム終盤近くまで活躍する便利アイテムor強力な助っ人だからだ。親族や友人に野良委員がいるなら超ラッキーだ。ただ、一点難点が・・・見た目では誰が野良委員かわからないし、自ら名乗っているわけでも、周りからそう評されているわけでも、誰かから任命されているわけでもない。見つける術かないのだ。その地域で行政が関わる分野に3年もいれば、おぼろげながらも輪郭は見えてくるだろうが、時間がかかる。効率的なのは、野良委員に見つけて貰うことだろう。キーとなるのが専門性の外部化で、自分の持つ専門性を周りに知って貰うことが大事になる。自分の持つ専門分野の知見を行政が欲していた場合、野良委員から声がかかるかもしれない。また野良委員は行政事業が滞りなく実施されるようサポートする役割も担う。付き合いが良く、フットワークが軽く、面倒見の良い人物も野良委員から声がかかりやすい。地域社会で「何か役に立ちたい!」「貢献したい!」という姿勢や態度を周囲に明確に表明し、実際に行動にも移すことが野良委員との関係性構築の上で重要な戦術となる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?