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地方へ移住して起業とかするつもりなら知っておくといい概念:その4

「地方零細御用業者」 「監製談合」

①本来、地方の首長や議会は役人がその領分を超えて暴走しないよう監視・監督する役割を担っている。特に戦時中、軍部が暴走したことの反省から選挙を経て市民の信任を得た議員や首長には役人がいらんことをしないようしっかりと手綱を握る役割を期待されていた。・・・がしかし、日本経済が右肩上がりの時期、暴走したのはむしろ議員や首長の方で、放漫財政が各地で蔓延った。こんなことになるのも当然といえば当然で、議員や首長は支援者が新しい体育館を求めていたら、それを建設するための予算を獲得することで選挙で票が入り、議席や地位が確保される。逆に予算を精査して無駄を削っても支援者の要望には応えていないため票や議席の獲得には結びつかない。これでは予算の削減というブレーキを踏むインセンティブは生まれず、暴走するに決まっている。

②この暴走を止める役割を担ったのが役人で、具体的には適正手続とその監査だった。国政レベルだとこの暴走を止める役割はマスコミなんかも担うが、全国に何千とある地方自治体までは目が行き届かない。というか視聴率などの数字に結びつかないので見向きもしない。仕方がないので、本来暴走することが警戒される側だった役人が担当することになる。予算執行の手続きについて、公正・公平で合理的であることが客観的に確認できるようルールを厳格化し、それでも監査において「この部分は疑義が生じかねない」と不備を指摘されれば、その指摘を金科玉条として守り、手続きを厳密化していく。これにより手続きは煩雑化の一途をたどる。

③この煩雑化により議員によるチェック機能は形骸化していく。まず一般的な地方議員にとっては、手続きが複雑過ぎてそもそもルールがわからない。ルールをちゃんと把握している優秀な議員でも、手続きの厳格化により不正・不備はほとんど見つからず、チェックはほぼ空振りに終わる。また手続きの数は膨大であるため、不正・不備があっても埋没化してしまう。これだとチェックに力を入れようとする議員が少なくなり形骸化する。

④不正・不備がほとんどなくて結構なことじゃないかと思われるかもしれないが、これは“形式上は”の話である。監査は基本的に形式上の不備しか見ない。というのも膨大な手続き一つ一つについて、関係者すべてにヒヤリングして記載と矛盾がないか確認したり、添付資料が事実と乖離していないか調査したりといった実態面をチェックするのは物理的に不可能だからだ。手続きを厳密化→形式上の不備を指摘→さらに手続きを厳密化→・・・といった無限ループを数十年繰り返すと、実態と形式とをキレイに分離・精製する技術が高度に洗練されていく。透明なコップで泥水をすくった後、しばらく放置すると上澄みは透明になり、泥は底に沈んでいく。これと同じで、数十年かけて手続きの“形式上”の透明化は進んだが、底に沈んだ泥の中で何が行われているかは分からない。ある意味、手続きの技術面の高度化だけが進んだと言える。

⑤この実態と形式の分離とはどういうものか。例えばある施設の大規模改修工事があるとする。規模が大きくなると作業員のミーティングや休憩スペースとして、プレハブ小屋を設置することがある。そのためこの工事の競争入札では、見積明細書に「プレハブのレンタル費用」が計上される。しかし、この入札を勝ち取った工務店の代表と施設の代表が古くからの友人で、施設内の空き部屋をミーティングや休憩スペースとして提供する約束を取り交わしていた・・・といった場合、この工務店は工事に際してプレハブのレンタル費用が不要になるため、当然入札で有利に働く。これが後に発覚し、便宜供与による不正入札として事件化した場合、同様な不正が二度と起きないよう、「プレハブ設置の写真」や「プレハブのリース契約書類の写し」、「施設使用記録の写し」といった書類の有無が、この事件のあとの監査で指摘されるようになり、手続きが厳密化する。そして、これらの書類を提出しさえすれば、プレハブは設置されたと見做される。つまり書類などの形式が整いさえすれば、“実態が形式通りだったと擬制”されるようになる。もちろん、不正が疑われる場合は集中的に調査されるが、手続きの数は膨大であるため不正の埋没化は不可避で、事実上の擬制になってしまう。不正が発覚→不正防止の新たなルールが誕生→ルールに則り形式手続きを厳密化→新たに不正が発覚→・・・といった無限ループが続いていく。

⑥この“無限形式地獄”と言えるような状況になるのは、「実態を形式に反映させることで後日チェックできるようになる→不正の有無を後日チェックできるので関係者は不正をしなくなる」との素朴な思想に基づく。しかし、すべての実態を形式に反映させることなどそもそも不可能で、これをゴールにすると時間やコストが膨大にかかってしまう。不正の事実の多く(機密情報の提供など)は発生したその瞬間に雲散霧消し、留めることが難しい。仮にあらゆるコストをかけてすべての実態を形式に反映させたとしても、それをすべてチェックすることなど物理的に不可能で、実態が形式通りだったと擬制するほかない。もうこんな馬鹿げたことは止めるべきだ。と言いたいとこだが、残念ながらそうもいかない。

⑦民間企業だと、その運営方法がトリッキーであろうと超正統派であろうと、市場競争での結果で評価される。いわば結果責任だ。トリッキーでも市場で生き残れば正当化されるし、超正統派だったからと言って生き残る保証はない。それゆえ結果責任を条件に、トリッキーな手法もある程度自由に実施できる。一方、地方自治体はその性質上、潰れてはならない存在だ。つまり結果責任は採用できない。責任の所在を結果に置くことができないのなら、過程(手続き)に置くほかない。だからどんなに馬鹿げていようと”無限形式地獄”は続けていくほかない。ただ、過程(手続き)の形式上の正しさは、科学的な意味で正しい結果を保証するものではないので、よろしくない結果は何らかの方法で糊塗されていることになる。

⑧“無限形式地獄”によって、手続きが複雑化すると、それに対応できる業者が地域の零細業者に限定されてしまう(以下このような業者を“地方零細御用業者”と呼ぶ)。全国チェーンの大手小売業者に、指定した様式の見積書や請求書の用紙を送っても、なかなか対応してもらえない。相見積り(官製談合の一種、違法です)など当然ながら相手にもされない。ネット通販会社も同じで、無理に購入しようとすると地元で仲介してくれる業者を探す羽目になる。せっかく安い商品をネットで見つけても、形式手続きに対応してもらえないため、地元の仲介業者から割高で購入することになる。一定額以上の購入決済には、複数業者の見積書を添付する必要があるが、これは最安値の商品を購入した努力の証明書としても機能している。でも実態は、行き過ぎた形式主義により地元仲介業者を挟んだ割高な商品を購入することになる。もはや本末転倒だ。

⑨この形式主義は、見方を変えると地元業者の商売を守っているといえる。公的機関をはじめ行政が関わる施設、組織にはそれぞれ御抱えの“地方零細御用業者”がおり、この業者を通じての商品・サービスの購入は地域経済の数値上の景気を良く見せている。下手にDXを進めて、請求書や見積書、見積合わせ、をネット上で完結させてしまうと、この“地方零細御用業者”の多くが行政案件から締め出される形となり、地域経済は一時的に落ち込むだろう。監査によって“無限形式地獄”が生まれ、“無限形式地獄”のお陰で“地方零細御用業者”が守られるという構図は、さながら“監製談合”といった感じ。ちなみにこの“地方零細御用業者”のほとんどはサービス業で中小企業だ。数こそ少なくなったが、いまだ発注方法は電話かFAXの2択なんてところもある。そして“監製談合”を前提とする癒着構造に依存した経営であるため、その生産性は非常に低い。日本の企業の99%が中小企業であることが、日本の生産性が低い原因と言われているが、この異常ともいえる数の中小企業が維持できる理由の一つは“監製談合”であり、“野良委員会”や“専門性の外部化”“無謬の目的化”、“無限形式地獄”といった地方社会を構成する様々な要素が複雑に絡み合って成立している。“地方零細御用業者”は議員を兼務していたり野良委員だったりすることもあるので、地方における公的機関の事務手続、特に監査が絡む内部手続面でのDXの推進は容易ではない。

⑩この“地方零細御用業者”は以前に述べた、資本主義ではなく民主主義的なものへの依存の一つの表れと言える。地方経済では競争原理が不健全な形で機能しており、「ハイスペックだが地域との繋がりが乏しい若者」より「ロースペックでも親から引き継いだ地域の太い繋がりを持つ若者」の方が成功しやすい。これでは、ハイスペックな若者は、より健全な競争がある地域へ転出し、同時に他地域からの転入もなくなる。これは、過疎化がただ単に人数の問題だけでなく質の面でも進むことを意味する。

この章のまとめ
自治体や外郭団体からの受注を得るためには、提出が求められる書類の様式や作成ルールに、柔軟にかつ機敏に応じることはとても大事だ。書類一式が揃わないと取引が開始できないし、不備の修正に機敏に応じてもらえないと、事務方の手間が増えることになり、次回の取引を躊躇されてしまう。この程度なら、民間企業相手でも普通にあることだが、自治体や外郭団体は民間よりもさらに一段階、厳格で複雑でアナログになる。ここで問題になるのが、指定様式の用紙や作成ルールをどう手に入れるかになる。もちろん単身施設に乗り込んで、親切に教えてもらえる場合もあるが、業務で忙しい中だとなかなか相手をしてもらえない。しかも外郭団体ごとに様式やルールが微妙に違ったりもする。ここでも活躍するのが、野良委員となる。野良委員を通じてなら、これらを比較的スムーズに手に入れることが可能だ。これでめでたく提出書類一式を完璧に整えることができる・・・だけでは実は足りず、商売の安定化のために、もう一つ大事なことがある。それは“御用業者”になることだ。これは言い換えると「相談・依頼は何でも受ける業者になる」ことを意味する。例えば、あなたがホームページの制作を請け負う会社だとする。かつてホームページ制作を請け負った施設から、「うちの20台のパソコンにセキュリティ対策ソフトを入れたいので、やってくれないか」との依頼が来たとする。ホームページ制作会社にセキュリティ対策の依頼など意味不明だ。断りたくなる気持ちは分かるが、それをグッと堪えて受けてみよう。依頼者の半分くらいは、無茶を承知で依頼している(もう半分はホントに分かっていない)。この依頼を翻訳すると以下の三つの意味を含んでいる。

「あなたの会社でセキュリティ対策ソフトの導入サービスをやっているか」

「ウチの様式と作成ルールに則った書類一式を揃えることができるセキュリティ対策ソフト業者を知らないか」

「セキュリティ対策ソフト業者とウチとを仲介する形であなたの会社で受注してくれないか。(あなたの会社なら書類一式が揃えられるから)」

民間企業でも、この手の忖度案件はフツーにあるので営業経験者はすぐに察することができるだろう。民間との違いとしては、「あそこの会社は、何でも依頼を受けるぞ」という情報が他の外郭団体や周辺自治体に水平伝播し、芋づる式に顧客が増える可能性が出てくる点だ。この水平伝播は民間企業よりも早い。無限形式地獄の影響でコストよりも書類一式を揃えられるかが重要になっており、自治体や外郭団体の発注担当者は、融通のきく業者を常に探している。これが御用業者化で得られる利点となる。御用業者化する上で大事なのは、自分の専門領域だけでなく、その周辺領域についても、最低でもアドバイスできる程度に、さらに理想としては仲介できる程度に関係性を広げておくことだ。“専門性の外部化”も相まって、訳が分かってない依頼も多い。これを丁寧に拾っていく努力を怠ってはならない。

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