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地方持ち家無敵一家の概念から思いついたことをつらつらと書いてみた:その1

地方持ち家無敵一家の概念から、日本人は以下の「無敵一家化ライン」で2タイプに分類できる。無敵一家化ラインとは、
条件①:「持ち家がある(将来、相続などで所有できる者も含む)」
条件②:「仕事を得ることができる程度に太い地域との関係性を持っている(将来、親などからこの関係性を引き継げる者も含む)」
の2条件同時に満たすか否かで分けたもので、ラインの上は無敵一家化してる(将来なれる)者、ラインの下は無敵一家になれない者を意味する。

他に「大企業正社員ライン」でも2タイプに分類できる。労働市場において自分の能力を売り、その稼ぎだけで「持ち家」を取得または将来取得でき、これに加えて「家族」を形成・維持できる者はラインの右、そうでない者はラインの左となる。

この二つの分類ラインを合わせると日本人は、4タイプの型に分類できる。
無敵一家化ライン上側の左のエリア「専・無敵一家型」は地域との関係性が太く、その地域にある既得権益へのアクセスが容易。そのためこの既得権益から、ある程度の稼ぎを生み出せる。家族内の働き手割合が高く、個々の収入は少なくても、持ち家に家族が共同生活することで、生活費などの支出を抑えて可処分所得を多く確保する。労働市場での競争力は弱いが、ある程度の豊かさを得ることができる。ただし専・無敵一家型は、無敵一家にならなければ豊かさを得ることができないため、家族・親族間の仲の良さが重要になる。なぜなら仲が良くなければ、同居または共同生活で生活費を圧縮することができないから。専・無敵一家型の場合、家族・親族の仲の良さが数百~数千万円もの価値に匹敵することがある。

同じく無敵一家化ライン上層右側の「地方公務員型」は労働市場価値の高いスキルや能力を持ちながらも、地域との太いパイプも有し、野良委員になれたりもする。典型例は地方公務員だが、特にこれに限らず、「セレブの予約で一杯の山奥にある地元食材をふんだんに使った料理を提供するレストランの料理人」とか、労働市場価値の高いスキルと地域社会との太い関係性をセットで有している者を指す。地方持ち家無敵一家になれるし、後述する都市エリート型も目指せる、この分類では最強のポジション。

無敵化ライン下層は、稼ぐ手段が、自分の能力を市場で売ることに限定される。
無敵化ライン下層右側の「都市エリート型」は、高い労働市場価値を有し、地域社会との関係性に頼らずとも、「持ち家」を所有し、「家族」を形成・維持できる。典型例は大企業正社員だが、特にこれに限らず、「カリスマ美容師」みたいな、労働市場価値の高いスキルと能力のみで稼ぐ者を指す。地域との関係性は細く、野良委員になるのは難しいし、成れるとしても成りたがらない。持ち家があり世帯収入も多いが、支出も多く、その収入から一般に想像できるほどの余裕はない。

「ワープア型」は、労働市場価値が低く、地域社会との関係性も細い。自らのスキルと能力だけでは「持ち家」を購入したり、「家族」を作り維持することが難しい者を指す。親族などから引き継げる有形・無形の資産もなく貧困化しやすい。

この4分類を使って色々と考えてみる

〇地方衰退のメカニズム
地方持ち家無敵一家」とか「野良委員」とか「地方零細御用業者」的なライフプランは、一般には認識されておらず、なんとなく雰囲気を認識していても、あまり良いイメージではないため、これまで将来の夢や人生プランの選択肢として避けられてきた。またテレビなどのメディア、マンガやドラマ、SNS、YouTubeでは「都市エリート型」のライフプランばかり強調されるため、若者は「都市エリート型」を唯一のライフプランと認識してしまう。この誤認は地域社会から若者を引き剥がすのに大きく貢献する。豊かさを得る手段が「自己研鑽を積み、能力を高め、労働市場で高値を付けてもらう」という「都市エリート型」のライフプランは、自己研鑽に集中することが目標実現の確率を上げることから、地域社会への観察的意識を希薄にする。これによりせっかく親族が「野良委員」や「地方零細御用業者」で地域社会との関係性を引き継げるチャンスがあっても、それが見えず放棄してしまい、やがて消滅させてしまう。こうなってしまったら、低能力だと問答無用でワープア化する。「野良委員」や「地方零細御用業者」は地域社会で一定の役割を担っていることから、その役割の引き継ぎ手の喪失は地域社会の運営に暗い影を落とす。市場で通常求められる能力が高度化し、大企業正社員ラインが右方向へ移動。併せて地方の人口流出・高齢化で地方の地域経済が縮小。地域の既得権益から豊かさを得ることが難しくなる。そのため無敵一家化ラインも上方向へ移動。これに伴いワープア型の人口割合が増加する。

〇地方社会が保守化しやすい理由
地震などで地域社会が崩壊したとき、これを再建せずにそのまま放置すると専・無敵一家型の人はそのまま下のワープア型に移動し、経済的な意味で一番割を食う羽目になる。地域社会が崩壊しても、行政や議会が生きているなら、選挙という手段を通じて、たとえ全体的にはコストが高すぎて不合理だとしても、再建の道を突き進むことになる。災害下の地域社会を引き合いに出すのは極端ではあるが、個々の構成員が関係性に相互に強く依存した社会は、その関係性の維持を強く望むことを端的に表してもいる。行政も含めた関係性に依存しているため、地方は公共事業とかのケインズ経済学的なバラマキ型経済振興(税金が地域の関係性を通じて降ってくる)が好まれる。

〇アメリカのトランプ現象
メディアなどでは、都市エリート型が日本におけるスタンダードな生き方、何なら理想的ライフスタイルとして発信される。それを真に受けたり憧れたりして、専・無敵一家型の若者が都市エリート型を目指す。都市エリート型が取り組むのは、果てしない合理化競争で、日々高度化が進むもの。この高度化に着いていけない者が出てくるので、都市エリート型からワープア型への移動が増える。ワープア型は自力救済が難しいため、基本的にその救済には税金が使われる。救済対象が増えると、その対応への抜け・漏れ・不備の数も増える。メディアなどがこれらの抜け・漏れ・不備の増加を掬い上げ、それを社会が認知すると社会課題になる。それを見た都市エリート型は、「税金の無駄遣いだと!」キレたり(新自由主義系エリート)、「もっと予算を付けろ!」と吠えたり(リベラル系エリート)する。新自由主義系エリートもリベラル系エリートも、向いている方向が違うだけでポジションは同じ都市エリート型。そのため互いに罵り合いながらも議論を深め、(都市エリート型のマスコミやアカデミアへのアクセスの良さも相まって)社会構造を複雑化・高度化して専・無敵一家型やワープア型がリーチできない世の中に変えていく。新自由主義系エリートとリベラル系エリートは表層的に反目しながらも実質的に結託し、社会を都市エリート型に有利なものに変えていく。アメリカのトランプ現象は、ある意味やりたい放題な都市エリート型に対し「てめえら、世の中を勝手にワケわからないものに変えてんじゃねえ!」とその横暴に盛大にNO!を突き付けたものだろう。日本では新聞やテレビが都市エリート型と親和的なせいで、専・無敵一家型やワープア型の声を掬い上げる役の政治が、マスコミによって間断なく叩かれる。このネガティブキャンペーンにより、政治は必要以上に信用を失墜している。なので日本では、幸いトランプ現象は極めて起こりにくいと考えられる。

〇都市エリート型ライフプランのリスク
都市エリート型にも弱点がある。都市エリート型の多くが持つ“高度な能力”という力の源泉は、不動産のような資産と違い、我が子に引き継がせにくい。教育という間接的手段を通じてしか引き継がせることができない。結局、我が子の能力を地道にアップさせる以外に方法がなく、そのことを理解しているがゆえ、教育に湯水の様にお金を注ぐ。都市エリート型は、自分から高度な能力という力の源泉を取ったら何も残らず、ワープア型になることを無自覚でも良く理解している。よって我が子が能力を持たないまま大人になることに、恐怖にも似た感情を抱くのだろう。このように都市エリート型は親ガチャならぬ子ガチャを抱え、自助努力と自己責任を絶対とする生き方の中で、子ガチャは最大のリスクであり矛盾でもある。都市エリート型は、我が子を別人格として切り離し、あくまで“個人”単位で見れば強固なライフスタイルだが、我が子を含めた“世帯”で見ると、案外脆弱な一面を有する。

〇地方工業都市の衰退メカニズム
地方工業都市の衰退は、主に空港や高速道路などの交通インフラの不備、産業構造の転換失敗と言った文脈で説明されている。今回の4分類を使うと別の説明もできる。工業都市は戦後の高度経済成長の中、周辺地域から若者をかき集め、人口が増加。この若者が高い経済成長を追い風に、都市エリート型としてマイホームと家族を形成、子供が生まれることでさらに人口が増加。この子供たちを「2世」と呼ぶことにする。この2世の親は高卒・中卒が主で高学歴ではない。それでも都市エリート型なのは、大企業正社員ラインが、今よりずっと左寄りだったから。ちなみに無敵一家化ラインも今よりも下で、ワープア型はあまりいなかった。技術の高度化に伴って、都市エリート型の低学歴層が、ワープア型へ移行するはずだったが、終身雇用制度のお陰で守られる。しかしこれが後に2世が就く職を奪ってしまう。それでも2世の親が地方零細御用業者なら、自分が培った人間関係や経験などを子供へ引き継がせることが十分可能だろう。これに対し2世の親が製造業のサラリーマンの場合、親が有する人間関係や経験は、勤務先の工場や会社の看板ありきのもの、しかも技術の高度化や市場の国際化で陳腐化しやすいものでもあるため、引き継がせることが難しかったり意味がなかったりする。そのため都市エリート型の典型と同様、2世には教育を通じて間接的に能力を引き継がせることになる。2世が受ける教育の内容がその地域の産業構造とフィットした専門性のある独自のものなら、就学後もその地域に残って働いた方が有利だろう。しかし、実際は全国一律の教育体制なので、その地域独自の専門性は出せない。専門性がないので2世のワープア型は、他の地域のワープア型と差がなく、その地域に留まっても大したメリットがない。そうなるとワープア型の2世は仕事がある地域へと流出する。一方、2世の都市エリート型は大学教育でやっと専門性を獲得することになるが、この場合も大学や卒業後に就職する企業が立地する地域へと流出してしまう。このように工業都市は、都市エリート型の親が持つ脆弱性がゆえに、衰退不可避の構造を持っている。この点、商業都市は関係性などを2世に引き継ぎ易いので、若年人口を維持しやすく、接客・サービスなどのワープア型の仕事も生み出し易いので、周辺地域からワープア型の若者が集まる。工業都市はとかく経済振興策で、大規模工場の誘致や新産業の創出に力を入れがちだが、これは宝くじや万馬券に将来を託すようなもの。真に推し進めるべきは、商業都市化なのではないかと思う。

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