イスラム世界の聖者達

イスタンブル在住 イスラーム文化にまつわる建築物や書物、人物紹介。

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パレスチナに自由を:マックルモアー「Hind's Hall」日本語訳

HIND’S HALL Macklemore Translated into Japanese by Naoki Yamamoto 人々は決して退かない 平和を望むことの何が脅威なのか? 抗議が問題なんじゃない。何に抗議してるかが問題 俺たちの国が何に金をつぎ込んでいるか バリケードで塞げ パレスチナに自由を バリケードで塞げ パレスチナが自由になるまで 七歳の時 俺はキューブとEazy-Eに習ったさ なんだっけ?ああ、警察なんでクソくらえだ バッジを付けた役者たちは

    • 弓術とイスラームの精神

      預言者アダムは楽園で胸騒ぎに襲われた。なぜなのか訝しく思っていると、天使ジブリールが彼のもとにやって来た。 アダムは天使に訪ねた。「私に何が起こったのだろうか。」 天使は答えた。「お前の雄々しさは動によって顕れる。お前は弓を学ばねばならない。」 そう言うと、天使は玉座の宝物庫から弓と矢を三本持ってきた。天使ジブリールは矢に弦を張り、アダムに渡し、弓の持ち方、矢のつがえ方、引き方、放ち方を教えた。アダムは最初の矢を放ったが、それは失敗に終わった。 しかし天使はそれを見て喜んだ。

      • 劉智 天方典礼(1) 序文

        劉智(1730年没)は清代のイスラーム学者。字は介廉、号は一斎。南京の生まれ。15歳で学に志して以来、8年間は儒学関係の書や雑家の書を読み、6年間はイスラームの経典、3年間は仏教経典、1年間は道教経典を読み、さらにはキリスト教の書籍も読み込んだという。 天方典礼は、いわゆる六信五行の五行である信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼や倫理道徳、日常倫理などイスラームの「礼」についての概説書である。 天方典礼 劉智 序文 私は亡き父の遺志を継ぎ、ついに『天方典礼』の漢語訳を完成さ

        • ユヌス・エムレの詩『希望』

          ああ神さま、もし私を咎めたいのなら これが私の率直な答えです 確かに、私は出来損ないの罪人です しかし、私は王たるあなたに何をしたというのですか 私は何者ですか?あなたが私を創ったのではないのですか? 慈悲深き神よ、なぜ私を罪で汚したのですか。 目を開ければ私は牢獄に囚われの身 周りは悪魔と誘惑と嘘だらけ それでも飢え死にしたくなくて 何度も何度も 泥水をすすり生きてきました 私のせいであなたの支配は弱まりましたか? 私みたいな人間が神を超えることなど一度でもありま

        パレスチナに自由を:マックルモアー「Hind's Hall」日本語訳

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        • ユヌス・エムレ
          1本
        • 現代イスラーム思想
          3本
        • スーフィー教団の思想
          2本
        • ナクシュバンディー教団の教え
          2本
        • ガザーリー『宗教諸学の再生』第4部「救済」
          2本
        • イスラム政治思想
          2本

        記事

          エシュレフオール・ルーミー『これぞ愛』

          エシュレフオール・ルーミー『これぞ愛』 世界を売り払うこと これが愛 深く深く沈み込み 消え去ってしまうこと これぞ愛 手のひらの甘露は分け与え 自らは毒杯を仰ぐこと それが愛 災いが雨のように降りかかろうと 神慮そのまま受け入れること それも愛 この世はまるで紅炎の海 そのなかに身を投げること それこそ愛 エシュレフオール・ルーミーはかく語りき 忘己のこころ これこそ愛

          エシュレフオール・ルーミー『これぞ愛』

          ユヌス・エムレの詩「何のための学問か」

          本当の知恵とは何なのか 知恵とは己を知ることだ もし己を知らぬなら 何のための学問か なぜお前は学ぶのか 真なる御方を知るためだ 学びはしたが 悟っていない まるで乾いたパンのようだ 「学び悟った」などと嘯くな 「神のために生きた」などと戯けるな 真なる御方を知らぬなら 全ては塵芥の無駄と化す 神より下されし四つの聖典(詩編、トーラー、福音書、クルアーン)は 根源の「阿」を指し示す しかし汝は阿も知らぬ 何のための学問か ユヌス・エムレはかく語る 望むなら千度マッカに

          ユヌス・エムレの詩「何のための学問か」

          ユヌス・エムレの詩 「あなたを愛したせいで」

          愛の渇きに焼き焦がされても、私は歩き続ける 愛は血の泪で私を染め抜く 正気を保つことも、狂いきることもできない ああご覧よ、あなたを愛したせいで あるときは風のように吹きすさび あるときは塵のように這いまわる あるときは洪水のようにあふれ出す ああご覧よ、あなたを愛したせいで 私の思いは水のように流れ続け 心は山のように沈み込む 師を想って泣き続ける毎日 ああご覧よ、あなたを愛したせいで 手を握って ここから出して できないなら せめて傍に引き寄せて 泣いたり笑っ

          ユヌス・エムレの詩 「あなたを愛したせいで」

          王岱輿『清真大学』

           この大いなる教えによれば、義なる理とはまことに精妙巧緻である。 それは真っ直ぐ本原へと達し、唯一つの真理を明らかにする。大いなる理は正しき道を照らす光を顕し、異端の過ちや誤謬を暴き出す。  それは静においては人間の胸の中に潜んでいながら、動においては宇宙をも包み込む。ちりあくたを貫くが細かくはなく、天地を覆うが広くもない。被造物を成り立たせる色も相も奪いながら、空も無も一瞬で満たすこともできる。なぜならその大いなる理は明徳の源へと回帰し、真理の道へと人々を導く存在だからであ

          王岱輿『清真大学』

          近代性という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ(3)精神の隠遁

          イスラームの歴史から見てこのような状態は極めて例外的である。例えばムラドはインドネシアのジャワ島のイスラーム化の過程を例に挙げる。インド洋によって南アジアや中東などのムスリム世界から分け隔たれていたため、イスラームは軍隊の遠征を通じてではなく、ムスリム商人によってジャワにもたらされた。それらの中には、神話的要素も含む「9人のイスラーム聖者(ワリ・ソンゴ)」がおり、ジャワ先住民の間でイスラームの普及に貢献した聖人の説教師であった。ムラドは、ワリ・ソンゴがイスラームの核心を見据え

          近代性という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ(3)精神の隠遁

          近代という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ―(2)近代的アイデンティティの崩壊

          エヴォラについての話に戻ると、ムラドは彼を「預言者のようでありながら悲劇的な人物」と呼んでいる。彼の近代に対する洞察は有用でありその予測は不気味なほどに正確であるが、ファシスト的な観念と「ヨーロッパの第三の遺産」であるイスラームに対する悲劇的なまでの無関心によって汚染されている。伝統主義として知られるエヴォラのイデオロギーは、現代世界の行く末に対する警告を顧みない反近代的悲観論である。ムラドによればエヴォラは自分自身を預言者として見ていたという。彼は「精神の貴族」であり、近代

          近代という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ―(2)近代的アイデンティティの崩壊

          近代性という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ―(1) リベラリズムの虚構

          近代という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ― ティモシー・ウィンター教授としても知られるアブドゥルハキーム・ムラド師は、現代を代表するムスリム知識人の一人である。英国のケンブリッジ・ムスリムカレッジの運営から世界各地での講演、研究活動や論考の発表など多くのプロジェクトに携わっている。2016年にムラドは近代性とその課題について講演を行った。そこで彼は「虎を乗りこなす」という表現を用いて、近代性から退却するのではなく、敵対的あるいは友好的なアプローチをもって立ち向か

          近代性という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ―(1) リベラリズムの虚構

          劉智『五更月』

          Liu Zhi 劉智 (d. 1730) 字は介廉。号は一齋。 中国ムスリム最大の思想家。同時代にはシリアのアブドゥルガニー・ナーブルスィー(d.1745)、トルコのイスマイル・ハック・ブルセヴィー(d. 1725)などがいる。 『五更月』の更とは、一夜を大体二時間ごとに区切る時間の単位「更」に相当する。夜の八時からあくる朝の六時までを初更、二更、三更、四更、五更の五つの時刻に区分する。劉智の『五更月』では、地上より現われ、輝き上昇し、煌びやかな姿を見せ、やがて傾き落ちて

          イブン・アジーバ『神秘階梯』

          回心 回心は、悔悟より厳密な心の働きである。なぜなら回心とは魂を砕き、神に至る旅へと足を踏み出すからである。回心には三つの段階がある。即ち、罪を犯すのを止め悔い改めること、神を忘れていた状態から目覚めること、神から離れていた状態から、神と共にいる状態へと変わることである。 恐れ 恐れとは、神が忌み嫌うものや我欲が望むものを避ける感情である。恐れは神への従順へと人を誘い、神への背反から人を遠ざける。もしそのような日々の行いとして反映されないのであれば、その者の恐れの感情は偽物

          イブン・アジーバ『神秘階梯』

          イマーム・ラッバーニー 「真理に至る七つの段階」

          サイイド・マフムードに宛てた手紙より 真理に至る道は七つの段階に分かれることについて ナクシュバンディー教団の導師達は、修行を命令の世界(精神界)から始める。この偉大なる導師達の手法は、預言者の教友たちの手法であり、次のように説明される。「我々が歩む真理に至る修行法はどんなものであれ、人間が持つ七つの心に従い七つの段階に分かれる。」 七つの段階の内二つは創造の世界(物質界)に属し、人間の祖型(カーラブ)に関係する。即ち四大元素から成り立つ肉体と、魂である。残りの五つの段階は

          イマーム・ラッバーニー 「真理に至る七つの段階」

          『悔悟』の章

          第三十一章 『悔悟』 『救済』の四半分の最初の章である。 悔悟(Tawba)は三つの要素から成り立つ。即ち知識と心的状態と行為である。知識についていえば、それは罪の害悪と罪が人間とあらゆる隠されたものを覆うベールであることへの理解である。この理解に達したとき、その者の心には愛される御方(神)が通り過ぎる畏れの痛みが湧き上がる。それは後悔である。後悔の念に襲われるとき、人間は悔い改め過去に犯してしまった罪をつぐないたいと願う。悔悟とは過ちを犯すのを止め、再び犯すまいと決心し、

          浮世:アフマド・スィルヒンディー『書簡集』

          アフマド・スィルヒンディーがファリード・ブハーリー師に向けた手紙より、 この世は一見すると甘美で見栄えは良いが、その内実は人間を滅ぼす毒のようなものであり、役に立たない偽の硬貨のようなものだ。この世にすがっていでも益するものなどない。現世で受け入れられるような人は実は滅びへと向かっているのであり、現世に享楽するなど狂っている。現世は、金箔で覆われた泥、砂糖で固められた毒に似ている。真に知恵のある者はこのような欺瞞に満ちた財産になど惑わされたり、固執したりしない。イスラーム法

          浮世:アフマド・スィルヒンディー『書簡集』