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「自立」と「社会資源」〜渡邊渚アナウンサーさんの言葉から学ぶ

フジテレビアナウンサーの渡邊渚さんのInstagramの記事がニュースになっているが眼に入りました。

わたしは今テレビを持っていない生活をしているので、最近のアナウンサーさんをあまり存じ上げなかったのですが、以前にも療養中という記事を眼にしたことがあったので、認知していました。

メディアによって記事の取り上げ方は異なる面も多少あります。
わたし個人は投稿を通じて、

病気やその影響による生活障害自分が何か欠けていることは別のことだと区別され、自立について再定義した上で、世の中にある資源を主体的に使い日々の生活を築いていらっしゃる姿が眩しく光るメッセージでした。


介護や福祉に限った話ではなく、どんな人も何かを頼って生きています。
当たり前なんですが、当たり前としては私たちは生きていなくて、なんでも自分でやれている気がしてしまっているところがあると思います。


病気や怪我をしていなくても、今わたしは30代ですが、10代や20代の頃と比べて体の衰えは感じていますし今後はこの感覚も加速していくでしょう。
わたしは猫背で首も長く、肩や首周りの日常的なハリやコリは素手に辛いです。
若かった頃は全然平気だったんですが苦笑

今からこんなで60、70代になった時はいったいどれだけの体の不調感を日常にして生きていくのだろうか、、、と不安になります。

体の硬化も感じているので、昔だったらストレッチしないで全力で走ってもまあ大丈夫でしょって思ってました。
今はそういう気持ち半分、肉離れやアキレス腱を痛めたりするっていう今までになかったことが、若かった時と同じようにしても起きてしまうんじゃないかってビクビクはするようになりました。
(傲慢なので、まだいけるだろって、あんまりストレッチはしないで走ることもありますが….)



少し横道にそれましたが…。

出来ていたことが出来なくなったり、以前はつまずかなったことでつまづくようになったりすると自分が人間として何か欠けてしまったような気持ちや考えに苛まれがちですが、どんな人にも平等に訪れる衰えについては私たちはまだ受容できる面もあります。

しかし特に今回の渡邊さんのように年齢的にも、それまでの人生の歩みの流れから見ても、自分の身に起き得ないと思うような状況が突然我が身に降りかかったとき、その状況を受け入れることは難しいですよね。

わたしも福祉の仕事に就いていて利用者さんに支援、助言する立場にいて、
「社会資源を活用しよう。」
「自立は一人で何でもできるっていうことだけじゃないよ。」

なんて伝えたりします。

でも、常にその言葉を伝える裏側で不安があります。
自分に同じ状況が降りかかった時に、すぐに今伝えているように視野を広く、何の偏見も持たずに生活を再構築していけるだろうか?と。
こればっかりは自分がその境遇になって初めて試されることでもあります。

今回の投稿は見方によっては、療養生活の一部と便利グッズの紹介として読むこともできるかもしれません。

ですが、今回でいえば「介護グッズ」に対する自分の偏見、以前できていたことができなくなってしまった自分を欠けていると受け取り抵抗する気持ち。
それを見事に切り分けて、「グッズ」の定義と「自立」の定義を再構築。
軽やかに世の中にあるものを目的のために使っていく感覚。

まさに社会資源を存分に使って自己実現を目指していく、モデルを示してくださっているように思いました。

今、自立することに関して格闘がある方にも、何かの拓きになる体験シェアが多くの方に広がって欲しいと思いましたし、わたし自身もそのように苦しい時に物事を再定義して前に進み、それを伝えられる人でありたいと思ったのでした。

また、ご本人が意図してはいないかもしれませんが、療養中であってもアナウンサーとしてこうした体験を届ける立場に感銘を受けました。。


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