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大切なものに汚されて。

大切だと思えるモノについては、傷がつかないように丁寧に保管しておきたくなる。それと同様に、人生のピークだと思える程に感じた幸せな気持ちについても、その状態で保管するようにして。永遠に自身の中で抱き続けられるようにしていたくなる。

しかし、そうした思いとは裏腹にも現世には同じ状態のまま残るモノなんてモノはなく。どんなものでも風化していく。小手先の技術だとか努力だけで、到底綺麗なままを維持出来ることなんて無い。

それは経年劣化していく様々なモノを見て感じて思う。それでも努力すること。それ自体は褒められることかもしれないが。努力をしたからといっても、無くなったモノについては、執着するように努力していると、まるで自分の意地を守る為だけに頑張る様のようにも見えてくる。

保管したくなるのは結局自分のエゴなのだろう。自分を含めて人生はムダなくらいに進んでいく。そうして進むにつれて、失っていくだろう人間関係も発生してくる。そうして離れていく物理的距離感には、新しい感情としてネガティヴな影響なんかが芽生えて。同じ物事を見ていたはずなのに、思い出すたびに違った感情に塗り替えられるようにして気持ちも変わっていく。

同じと言うものは今にしかなくて。今その場にいる環境に合わせるようにして、気持ちのあり方も変わり始めていくのが人生の流れのようだ。美しいものは美しいままに、それが変わらなければいいと願っていたとしても、次第に変わらざる負えなくなるのが人の心であるのだろう。変わっていく環境に対して器用に生きてく為に編み出した人間の本能的な術のようなものとして、そう理解した方が執着しなくていいのだと思う。


「もう別れようよ。」そう切り出した彼女の言葉は、僕と付き合い始めた頃の気持ちなんてとうに無くなくなったと伝えたいようだった。

彼女の気持ちを無くならせたのは僕のせいなのだろうか?僕には、何かが足りなかったのだろうか。そうやって自問自答するようにしたら、考えればキリがないような、足りない自分のダメな部分に気がついて、情けなさを感じウンザリするようにもなってくる。自分に対して、嫌悪感でも抱いてしまうくらいには、僕は今でも彼女に依存するような感情が残っている。

彼女から別れを切り出されたけど。こうして彼女から別れ話を聞いたのは二度目のことで。一度目は数年ほど前に聞いて、二度目については今だけど。結局の所、好きと言うものが彼女は維持ができないから、別れるという最善の選択に彼女は至ったのだと思う。

僕は一度目の時に別れ話を切り出された時、引き留めるようにしたけど。でももう、二度目を聞いてからは、三度目の正直を繰り返しているほど他人の人生を振り回すのも億劫になってきている。引き止めるにも罪悪感が湧いてしまうようにもなったからだろう。

幸せになれないのなら一緒にいるべきではないと結論は自分の中で出せるものの。それはまだ納得できない形としてあって。腑に落ちないけど、自分のすべき事に目を向ければ答えが出てきたような程度。

僕は相変わらず気持ちが変わらないままで居続けられたけど。皮肉なことに、それは彼女も同じように気持ちも変わらないままで居続けたと言う事だろう。二度目を繰り返したところで、一度目の頃と同じ結果に至るほど、上手くいかなかった。

大事にしたいものを失ってしまうような僕に、彼女は気の毒にでも感じているのかも知れないが。そう感じてくれていたとしても、きっとそれは別にやり直す為に必要な感情とは別物だろうと分かる。

彼女が浸ってしまう感情というのは、切り出した別れ話について相手を傷つけるかもしれないという、加害者としての罪悪感についてだけで。

僕については、本当に時間だけを無駄にさせてしまったという罪悪感の感情が芽生えていて。

どこか、自分が望む大切なモノと言うのは。別に自分を必ず幸せにしてくれる類なんかでは無いのだろうと感じさせられていた。

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