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近況報告は"幸"も"不幸"も含めて。

ガヤガヤしている大衆居酒屋で、年末の長期休暇の間に集まった、昔からの友人達と各々の近況報告をしていた。

長期休暇に入ると、いつもこうして近況報告をしている。

毎度のことの、この近況報告に何の意味があるのかと問われると、特に意味はないだろう。しかし、この集まりについては前々から、少しでも楽しみにしていた自分が確かにいて。皆もそう思っているのかもしれない。この楽しみが、常日頃生活を頑張れている一部のような気がしているくらい。

普段の忙しない日常を過ごしているより、こうした、とてつもなく意味もない会話をしている方が。人生としては充実できている瞬間として、なっているんじゃないかと思えている。そうやって今年も近況報告をしていた中で、毎度毎度の事、何処かに盛り上がるようなポイントがあって。そうしたポイントというのは、その人の人生の大きな分岐点になっていることが多い。

僕ら20代後半の盛り上がる話題については、結婚に交わる話が色濃かった。友人のAには、最近に第二子が生まれたようで。友人のBに関しては、逆に離婚をして独り身になったようで。それでもお互いに、生活を楽しんでいるように語っていた。

各々の心情としてはこう言いたげで。Aは、結婚してからというもの、ストレスが多くなる毎日を送っていると語り。Bとしては、ようやくストレスのある生活から解放された気になり、自由な生活を手にして満足していると、言いたげにしていた。

僕は、それを聞いてから「結婚は墓場」だなんて良く聞いたなぁ、と感じたけれど。何も別に、結婚の全てが心底悪いことだとは思っておらず。逆に、そうした言葉をタダ鵜呑みにしてしまったら、ただ無性に結婚願望が薄れてしまうように思うから。それと、結婚は墓場だなんて、そんな単語を素直に飲み込んで思えてしまえるのは、若い頃だけの特権なようにも考えている。

僕は何となくだけど。もしも、結婚をする選択が出来なくなった時に、何の趣味もなく、生き甲斐のない人生を一人で生きて、ポツポツと毎日を潰すだけの日々は、それはそれで墓場なんじゃないかと思う節もあるし。人生各々歩むべき道は違うだろうけど、その道が各個人の性に合うかどうかなんて、その場に立たされてみなければ分からないだろうと考えてしまう。

後になった時に、笑っているのはAのパターンかもしれないし、Bのパターンかもしれない。まぁそれだけでなく、別に二人とも意外とただ呑気に過ごして最期を終えてるかもしれない。僕は、その当事者でなければ、外野でそれを聞いて、自分に当てはめるだけにすぎないのだろうし。本人達がその当時に決めた決断にケチをつける程別に責任は負えもしないと感じている。どちらかを悲観して、つまらない今後の人生を想像している方が無駄なように思うから。

そうこうして気がついたら、時間なんてあっという間に過ぎているもんで。心のどっかに名残惜しさも感じてしまうが、この名残惜しさは次回の繋ぎとしてしまっておこうと毎度思いながら帰宅する。

帰り際には友人達に手を振り、人通りも少なくなってきたところで。「今回も楽しかったな」とか感じながら、また、どっかのタイミングで近況報告でもしているのだろうなと思って、眠る。

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