スメシシ

フリーライター | インタビュー記事と個人的なエッセイ

スメシシ

フリーライター | インタビュー記事と個人的なエッセイ

マガジン

  • interview

    あらゆる人をインタビューし、記事にします

  • Personal Essays

    こども時代のこと、旅の話、家族の話など、ありふれた日常におもいを寄せた、これまでのエッセイのまとめ。1981年うまれ。

最近の記事

信頼される人 | 対面接客だからこそ得られる情報を組み立てて、本当に似合うファッションを提案する

 Yasunori Tokawaさん アパレル販売スタッフ 卵の殻からランボルギーニまで、ありとあらゆるものがネットで購入できる時代となった。日本にネットショップが開設されて早30年近くが経ち、今やネットショッピングが我々の生活に定着したといえるのではないだろうか。日用品や食材が足りなくなれば、スーパーやコンビニに足を運ぶことは普通だが、すぐに必要ではないお目当ての服を買うのに、わざわざ店頭まで足を運ぶ理由はなんであろう。試着をしてから買いたい。デートや街ぶらの一環で寄る

    • ロンドンからの乗継ぎドーハ国際空港で飛行機に置いていかれた話②|新婚旅行2015

      7年前の6月に、新婚旅行に行った。 行き先はイギリスで、私たちはマンチェスターとロンドンに滞在した。夫は海外旅行が初めてで、休みが取れたのは5日間。それでもイギリスを選んだのは、彼が好きな音楽と洋服の文化が楽しめる場所だと思ったからだ。 おかげで弾丸だった5日間、トラブル多発の5日間であった。 あれからもう7年も経ってしまったが、備忘録として忘れたくないことを記しておきたい。 ロンドンからの乗継ぎドーハ国際空港で飛行機に置いていかれた話① ドーハ国際空港に取り残された二人

      • ロンドンからの乗継ぎドーハ国際空港で飛行機に置いていかれた話①|新婚旅行2015

        7年前の6月に、新婚旅行に行った。 行き先はイギリスで、私たちはマンチェスターとロンドンに滞在した。夫は海外旅行が初めてで、休みが取れたのは5日間。それでもイギリスを選んだのは、彼が好きな音楽と洋服の文化が楽しめる場所だと思ったからだ。 おかげで弾丸だった5日間、トラブル多発の5日間であった。 あれからもう7年も経ってしまったが、備忘録として忘れたくないことを記しておきたい。 ロンドンから帰国する日、私たちはドーハ国際空港で羽田着便に乗り継ぐ予定だった。ドーハに着き、乗り継

        • 彼岸花に思う

          彼岸花が咲いていた。まだ暑い日もあるが、しっかりと夏の終わりを告げられた気がする。「もう楽しい時間は終わり」という幼少期のセンチメンタルが蘇る。あの日も、彼岸花を見つけ何とも言えない寂しい気持ちを抱いた。 私の母の故郷は、新潟にある。毎年、夏休みに入ると幼い私たちを長いこと新潟に連れて帰った。2~3週間位の期間だっただろうか。滞在期間が長かったので、帰省前母は決まって着替えなど段ボールにつめて宅配便で送った。 行くときは、両親と弟の4人で新幹線に乗ったが、仕事人間だった父は

        信頼される人 | 対面接客だからこそ得られる情報を組み立てて、本当に似合うファッションを提案する

        マガジン

        • interview
          1本
        • Personal Essays
          14本

        記事

          忘れられない、マンチェスターのビーフパイ|新婚旅行2015

          7年前の6月に、新婚旅行に行った。 行き先はイギリスで、私たちはマンチェスターとロンドンに滞在した。夫は海外旅行が初めてで、休みが取れたのは5日間。それでもイギリスを選んだのは、彼が好きな音楽と洋服の文化が楽しめる場所だと思ったからだ。 おかげで弾丸だった5日間、トラブル多発の5日間であった。 あれからもう7年も経ってしまったが、備忘録として忘れたくないことを記しておきたい。 大切な思い出の一つ、それはビーフパイだ。 久しぶりの海外を楽しみにしていた私は、事前に行き先周辺の

          忘れられない、マンチェスターのビーフパイ|新婚旅行2015

          オデコにキッス

          なにから書き始めよう。 とにかく今、我が子がかわいくて仕方がないのです。ポイントは「今」。赤子のときよりもはるかにかわいい。 3歳と5歳。 永遠にこの年齢のままでいいんじゃないか、君たち。 5年前の私に伝えたい。 「大丈夫、頑張りすぎないで。なにより自分を大切に。5年後のあなたは子育てに楽しさを感じています」 子育中は楽しいと思えることがなく、気づいたら子育てが終わっているのだろう。本気でそう思っていた。 しかし、自分の気持ちや思っていることを言葉で伝えられるようにな

          オデコにキッス

          日記

          もし、世界中の、すべての時代の、これまで生きてきた人々が日記をつけていたとしたら。それがすべて残っていたならば。どれほど意味のある、興味深い資料になっていただろうと思う。 そこには、時代時代の文化、思想も反映されており、つなげれば詳細な人間の歴史書となる。何を思い、どんな行動をとったのか。どんなものを好み、食べ、何を手に入れたのか。夢中になっていたことは何か。生きるために何をしたか。何を望んでいたか。それは、膨大な人間の移りゆく記録。 日記は自分のために書くものかもしれな

          エレベーターでピンク・レディーと鉢合わせた父

          私の父、81歳。 カラオケの十八番は「倖せはここに」(※1)と「嵐を呼ぶ男」。 未だに毎日、晩酌しているらしい。ビール、焼酎、日本酒、ワイン、オールオーケイ。 じじいにしては足が長く、姿勢も良い。 夜中足が攣ったり、物忘れが進んだり、身体のあちこちが痛くなってきてはいるようだが元気に仕事も続けている。 彼の仕事は、仕立て屋。テーラーである。お客様の寸法を取り、仮縫いまでを行い、本縫いはお抱えの職人さんに依頼している。時代と共にオーダーメイドの洋服をつくる人が減っていき、厳

          エレベーターでピンク・レディーと鉢合わせた父

          はじめたウクレレ

          ウクレレをはじめた。 昨年末から月一で教室に通っている。体調不良や仕事でお休みをした月もあるので、まだ5回しかレッスンを受けていない。 まったく分からないことが楽しくて、嘘みたいに出来ないこともまた楽しくて、少しずつ弾けるようになっていくのがもう最高に楽しくて、ウクレレは楽しい、だけの8ヶ月を迎えた。 元々楽器は何も出来ない。強いて言えば、小学校の課外授業であった金管クラブで練習したコルネットくらいだろうか。今ではもう吹けなくなっているに違いない。 きっかけは、息子で

          はじめたウクレレ

          相棒

          5歳の息子には相棒がいるという。 ある日、「相棒ってしってる?」から始まり、同じ園に通う彼の相棒について話してくれた。息子は転園組だが、相棒も後に転園してきたお子さんだ。息子は、新しい園での色々なことを彼に教える係になったようで、そこから気が合う彼と仲を深めていくには時間はかからなかった。 園でのとりくみでバディーを組むような場面では、阿吽の呼吸で二人はお互いを探し、手を繋ぐらしい。 想像しただけでかわいいが過ぎる。 先月の保護者面談の際に、担任の先生からも相棒の話が出

          割り切る

          割り切るということがなかなか出来ない。割り切ったと思っても、実際はできておらず密かに悶々とする。 先週より上の子が酷い風邪をひき、1週間仕事が止まった。下の子に移らないよう細心の注意を払っていたものの1週間後にまんまと移り、仕事ができない2週目に突入した。 「ふだん、1対1で子どもと過ごす機会がないからそういう時間にしよう。仕事は後で取り返せる」 そう心したはずなのに、昼寝をさせたらその間少しでも仕事をしようと考え、必死に添い寝とんとん。寝ない。1時間半がんばってみても

          割り切る

          社会とつながる

          毎日、仕事と子育てで精一杯、大袈裟に聞こえるかもしれないが、生きてるだけで精一杯な自分がここに居る。noteの存在も割と最近知った次第である。 下の子を産んで1年が経った頃、職場に復帰した。平日は子どもたちと離れ仕事をしているにも関わらず、どこか社会と繋がれていない感覚が続いていた。 基本的に黙々とする仕事だったが、時折職場の人と他愛もない会話をすることが日常のストレス発散にもなり、それはとても有難いことだった。日々タスクをこなし定時を過ぎると、必要であれば食材の買物をダ

          社会とつながる

          ダイニングテーブルがフライパンみたいな感じ

          この春、ついにabien MAGIC GRILLを購入した。 我が家には少々お高めなお買い物。 でも必要だったの。 料理が好きではない私が選ぶ上で重要視したのは以下3点だ。 ・見た目が好き ・お手入れが楽 ・収納時、場所をとらない 以上。 家族で外食はハードルが高い。 子どもが小さいので、度重なる離席、ちょろちょろと店内を走り回るのは当たり前、大声・奇声を出すなど、子連れの外食は大人が疲労困憊する。 さらに、このご時世だ。 必然的に「家でごはん」が大半を占める。 あー、

          ダイニングテーブルがフライパンみたいな感じ

          国語の先生 

          今まで私は何人の「先生」と出会ったきたのだろう。 学校の先生、習い事の先生、病院の先生。 顔も名前も思い出せなくなった人もたくさんいる。 そんな中、先生と聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのは中学の国語の先生であった。40代、女性、確か2人の男の子の母親でもあったと思う。 とにかく彼女の授業が魅力的で、引き込まれ、あっという間に時間が流れた。授業に対する熱量が高く、私たちに「伝えたい」という気持ちをストレートにぶつけてくる50分だった。 なんと説明したらいいのか分からないが

          国語の先生 

          少女時代を支えてくれたアン

          レンタルビデオ屋は家から自転車で5分の場所にあった。 家から一番近かった、個人経営だったであろうその店舗のレンタルカードは向日葵のような黄色で確かZOOMだかズームインと黒で印字されていたように思う。 もう30年も昔の話になる。 映画好きの母は、こどもの頃よく映画館に連れて行ってくれた。その影響か、なんの予定もない休みの日には一人でレンタルビデオ屋に行くようになる。10代前半の頃だったろうか。店に入ると何にしようか長時間ウロウロするのだが、結局最後に選ぶのは決まって【赤毛

          少女時代を支えてくれたアン

          私の中の水が沸騰するとき

          これまで生きてきた中で、居てもたってもいられず気づいたら行動に出ていたという経験は少ない。 鮮明に蘇る私の沸騰の記憶は13歳、中学一年生に遡る。 夏休みの宿題の定番、読書感想文をやっつけるため、近所の本屋に行った。普段、本を全く読んでいなかった13歳の私は、悩みに悩み、何とか読めそうな宗田理先生の「あたしのノラ猫日記」を手にする。 家に帰り本を開くと、最後まで一気に読み切ってしまった。詳細は覚えていないが、壮絶ないじめを受けていた女の子の話であった。 この本を閉じたと

          私の中の水が沸騰するとき