見出し画像

育てること


「愛とは相手を育てること」

教育学者、井坂行男の言葉である。

1938年東京文理科大学教育学科を卒業し、戦後は東京教育大学で教鞭を執り、1977年に筑波大学を定年退官した井坂はその前年、人間学類の新一年生を対象とした「教育学概論」の講義を担当した。

受講生のひとりに私の将来の夫となる中西昌武がいた。中西はその授業をきっかけに井坂の研究室や自宅を頻繁に訪ねるようになり、井坂の薫陶に与り、数年後に私を妻に迎える時に井坂夫妻に媒酌人を依頼した。

比較文化学類だった私は井坂の授業は受けていなかったが、中西が下宿の壁に掲げていた色紙で井坂の名を知った。ほのぼのと微笑むような筆跡の縦書きで

「愛とは相手を育てること 井坂行男」

とあった。

引退間近の教育学者が若き弟子に伝えた魂のひとことが
「教育とは相手を愛すること」ではなく
「愛とは相手を育てること」。
その一つの事実が心に沁みた。

北陸大学2023年度後期におこなわれた杉森公一の「教育方法論」にオンライン聴講生として参加し、多くの事を学んだ。教育方法の理論の専門家としての杉森の深い見識および高等教育に携わる人々の支援者としての豊かな実践経験によるきめ細やかな指導から、学生を主語とした教育活動の原理と学習者を中心に置いたさまざまな教育方法について多くの新たな知識を習得し、参加したアクティブラーニングを通してスキルの向上を実感することができた。

杉森が日本におけるこの分野での先駆者として研究を積み重ね、数々の理論を紹介し、地道に調査と実践を繰り返し、しっかりとしたエビデンスに裏打ちされた大学改革を主導してきたことが明白に可視化された授業であった。

杉森の授業をオンラインで聴講している期間に自分自身の約20年に及ぶ大学教育の経験を振り返りつつ意識の底から幾度となく浮かび上がってきたのが井坂行男の色紙を見た日の記憶だった。

なぜだろう、と改めて考えてみると、この授業のどの回の内容も自分の今の教育方法や自分が過去から今までに試してきたいろいろな教育方法のリフレクションにつながったからだと思う。テーマがまさに「リフレクション」だった最終回はもちろんのこと、それに至るまでの各回の講義やワークでその都度、自分の今までの授業や教育方法をふりかえらざるを得なかった。

第2回の授業設計の回から、いや、第1回のガイダンスさえも、自分にとっては自分の授業におけるガイダンスやオリエンテーションをふりかえる機会になっていた。

最終レポートの課題には「教育に対する抱負」を書くことという指示もあったのだが、もう残り少ない教育者人生となった私は、

「自分は今までどのような抱負を抱きながら教育をしてきたのだろう」
と振り返っている。

多くの葛藤と失敗と反省を重ねながら試行錯誤と修正改良を繰り返してここまで来たが、「愛とは相手を育てること」の「相手」には「自分自身」も含まれていたことに思い至り、深い感謝の念をおぼえている。

井坂が中西に色紙を書いて与えた年齢に近づいた今、あと数年の教育活動の中でひとりひとりの成長と自立を願いつつ学生たちを育てたい。

*本稿は、文中に紹介した杉森公一の教育方法論に提出した最終レポートに加筆修正したものである。