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吉本ばなな「キッチン」における主題の考察

ここのところ取り組んでいた「作品の主題を考察する」という授業の課題が完成しました。

文章の構成、使われている単語…などを少し意識するだけで、今まで見えてなかった意図や主人公の心情が見えてくるのが楽しくて仕方ありません。ドラマでも小説でも、分析しながら見るのが最近のマイブーム。

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「吉本ばなな『キッチン』『満月』における主題の考察」



1・あらすじ

 幼いころに両親と祖母をなくした桜井みかげは、祖母と二人で暮らしていた。唯一の肉親だったその祖母が亡くなったことで天涯孤独になったみかげに、生前祖母と知り合いだったという田辺雄一が同居を提案する。雄一とその現母親であり父親であるえり子と何気ない日常を過ごすうちに、みかげは肉親の消失という絶望から立ち直っていく。(キッチン)

 絶望から立ち直ったみかげは田辺家を出て、料理研究家のアシスタントとして働き始める。そこに、雄一からえり子が殺されたという連絡が入る。雄一にとっての最後の肉親であり、みかげにとっても家族以上の存在だったえり子の死によって、みかげと雄一の関係性が変化していく。(満月―キッチン2-)



2.主題

この小説は「絶望からの再起」の物語である。曾根(1991)が「吉本ばななの世界はいつも死に囲まれているが、主人公の少女や少年は孤独の底から自分を立て直して生きていこうとする健気な向日性に輝いている」と述べているように、「キッチン」にも「死」が根底に存在するし、みかげと雄一は親しい人の死に対して絶望しながらも、前を向いて必死に生きていこうとする構成になっている。

 武田(2001)は、この小説には「緑」「水」「光」が繰り返すと書いている。この3つすべてのキーワードが登場する場面の多くに、えり子の存在がある。さらに、えり子の口からこの小説の鍵となる「絶望」について「すべてのことに絶望して初めて楽しいことがわかる、全て失うことから全て始まる」といった趣旨が語られており、えり子の存在の重要性がうかがえる。みかげと雄一にとってえり子の死は絶望であり、すべてを失うことと同義として描かれる。そのため、彼女の死が物語の最大の鍵であると考えた。



3.みかげの祖母の死

みかげはこの物語で2回の絶望を味わう。最初の絶望は唯一の肉親である祖母の死で、2回目は家族同然の存在だったえり子の死だ。みかげにとっては祖母の死の方が絶望の度合いが大きかった。最後の肉親である祖母が自分よりも年を取っている以上、先に死んでしまうのは理解していた。しかし、理解していたからこそ、祖母が死んだ後に天涯孤独の身になってしまう淋しさが身に染みていたのだ。それゆえ、みかげは「私は、いつもいつでも『おばあちゃんが死ぬのが』こわかった。」(p31)と言っている。そして、みかげと祖母の関係・心情と、雄一とえり子のそれが同じものだから、みかげは雄一に親しみを感じた。

雄一にとってみかげの祖母の死は、親しい人が亡くなったという事実でしかなく、そのことによって絶望するほどではなかった。祖母がみかげに雄一のことを何度も話していたことから、みかげ祖母は雄一に相当な信頼を置いていたことがうかがえるので、雄一は祖母から「自分が死んだらみかげを頼む」という趣旨のことを頼まれていたのではないか。また、雄一もえり子が死んだら天涯孤独になるという同じ境遇にあるので、みかげに手を差し伸べたと考えられる。

みかげにとって、祖母の死を認めることは「自分は一人きりである」というつらい現実を認めることである。物語冒頭で祖母の死に対して涙を流していなかったこと、部屋を探すという次の生活へのステップが踏み出せていなかったことから、みかげは祖母の死に向き合えていなかった。また、向き合おうとしていなかったと考えられる。だからこそ、「ばりばり私をひっぱり回して新しいアパートを決めさせたり、学校へひっぱり出したり」(p40)する宗太郎と一緒にいるより、孤独を感じさせないように一緒に“いる”だけでみかげの気持ちに干渉してこない田辺家にいることが心地よいと感じていたのだろう。田辺家の二人が、みかげのその気持ちを理解していたので、あえて何も言わずに家においていたことが雄一と共通の夢を見たときに語られる。そのみかげが祖母の死を認めたのは、部屋を引き上げた帰りのバスの中で、見知らぬ女の子とおばあちゃんのやり取りを見たときである。祖母の死を認めて、はじめてみかげは絶望と向き合った。

 「キッチン」の最後で、えり子からみかげに人生哲学を語る場面があるが、えり子のこの哲学こそが小説の主題である。ここでえり子は「人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんない」(p66)と語る。全てを失った状態で残ったものこそがその人の核であり、その核を見つけるためには本当の絶望を味わう必要がある。つまり、絶望することは終わりではなく始まりなのだ。祖母の死という絶望を経て、みかげに残ったものは「料理」だった。「私はそうして楽しいことを知ってしまい、もう戻れない。」(p91)とあるように、みかげは自分のすべてを懸けて命を燃やすように料理をすることに、自分の幸せを見つけていた。自分の核を見つけられたのである。これは、みかげが絶望から立ち直れたことを表している。

 まとめると、みかげが祖母の死で絶望して、すべてを失ったと感じるが、雄一とえり子との生活の中で、自分には「料理」という核があることに気が付く。「キッチン」では絶望の中で自分の核に気づくことができたみかげが、再起する姿が描かれている。自分が辛いときにそばにいてくれて自分と境遇が似ている雄一と、絶望から立ち直るための糧となる言葉を掛けてくれたえり子は、みかげにとって家族と言えるくらい大切な存在になる。



3.えり子の死

武田(2001)は、この小説には「緑」「水」「光」が繰り返し登場すると書いている。この3つすべてのキーワードが登場する場合の多くにえり子の存在がある。

・「その全体からかもし出される生命力のゆれみたいな鮮やかな光」(P17)→えり子自身が光

・みかげが水音で目覚めるとえり子がいた(P26)

・「美しいお母さんは出勤前のひととき、窓辺の植物に水をやっていた」(P65)

・「きつい瞳で闇に光る街を見つめていた」(P73)

・えり子の初めて買った植物であるパイナップルに関する話(P121)

・「えり子さんはそこに輝く太陽だった」(P133)

物語を読み解く鍵となる言葉とともに登場するえり子の存在も、また物語の鍵である。「満月」の冒頭で、そのえり子が殺されたことが雄一からみかげに伝えられる。えり子は前述のように雄一にとっての最後の肉親であるので、その死は雄一にとって最大の絶望である。みかげにえり子の死を伝えることは、えり子の死を認め孤独と向き合うことになる。そのため雄一は、みかげにその事実を伝えるまでに季節が変わるほど時間を要したのだ。みかげも絶望に向き合うつらさを理解しているので、えり子の死にショックを受けたものの雄一を責めることはしなかった。

えり子のことを何度も光と例えていたことから、みかげはえり子を「生」の象徴として見ていた。そのえり子の死はみかげにとっても非常に辛いものだったが、みかげは祖母の死という絶望をきっかけに「料理」という自分の核を見つけられたので、えり子の死という絶望で心に傷を負いながらも、どん底まで落ちることはなかった。なので、「満月」では絶望の中心にいる雄一を支える立場になっている。

雄一はえり子の死という絶望を味わったものの、未だ希望を見つけることができず苦しいだけの毎日を送っていた。みかげは、雄一が絶望から立ち直るためには、雄一自身の希望を見つけることが必要だということは理解していた。みかげがえり子に声を掛けてもらったように、雄一にも希望を見つけるきっかけが必要だったが、それが何なのか、どうしたらそれが見つかるのかはみかげにも分かっていなかった。さらに、みかげ自身もえり子の死で疲れており、雄一との関わりが負担になってしまっていた。二人とも疲れ切っていた状況で、雄一は現実から一人で逃げるように旅に行くという選択をし、みかげもまた仕事で旅にでた。

雄一が希望を見つけたきっかけは、みかげが夜中に旅先から雄一の宿までカツ丼を届けたことである。みかげが祖母の死という絶望を乗り越える時に、田辺家の二人は何か言葉をかけるわけでもなく、ただみかげと一緒に“いた”のである。それと同じように雄一にカツ丼を届けた際に、みかげは雄一に対して何も語っていない。何も語らずに、自分の希望である「料理」を雄一に分け与えていた。それが雄一に対してみかげができるすべてのことだった。その翌日雄一はみかげと迎えに行くことを約束する。絶望に打ちひしがれて距離を置こうとしていたみかげと「会う」約束をすることは、雄一が絶望から立ち直ったことを意味している。雄一にとっての希望は、同じ境遇にあるみかげと一緒にいることである。このことで雄一は「一人」でいることから抜け出せるからだ。



4.まとめ

 この小説の主題は「絶望からの再起」である。絶望を味わうことは辛く苦しいことだが、すべてを失うことによって、自分の中の核となる部分を見つけられる。つまり、絶望は終わりではく、始まりだというメッセージである。みかげは祖母の死という絶望を体験したが、田辺家の二人に支えられたこと、えり子に言葉をかけてもらったことをきっかけに「料理」という自分の核を見つけた。ここでの支えとは、言葉をかけることではなく、一緒に“いる”ことであった。雄一にとっての絶望はえり子の死だ。みかげもえり子の死によってダメージは受けるものの、自分の核を見つけているため絶望まではしていない。絶望から一向に希望が見つけられない雄一に対して、みかげは以前の自分がそうされたように、言葉をかけるわけでもなく雄一と同じ時間を過ごした。雄一は「みかげといれば自分は一人ではない」という希望を見つけたことで、日常を送るための活力を取り戻した。それぞれ最後の肉親を失うという絶望を味わうみかげと雄一だが、互いの存在が支えとなり、絶望の中から生きる希望を見つけだすことがこの小説の主題となっている。



〈参考文献〉

・曾根博義「解説」1991年 福武文庫 吉本ばなな「キッチン」p227-237

・武田信明「『緑』の『光』の『木』の―吉本ばなな『キッチン』論―」

2011年3月25日

http://ir.lib.shimane-u







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