見出し画像

私はなぜ安定したキャリアを捨てたのか

私は俗に言う「安定した」学歴とキャリアを持っている。
東大・理系・工学系修士で就職には困らないし、新卒で選んだ会社は富士フイルムである。ド安定である。ところが、30代で転職を3回繰り返し(つまり4社経験し)、さらに40歳になるころには極めて不安定な状態になっていた。具体的には、1人会社で細々とコンサルティング案件を受け、まともに営業をしないために収入が下がり、収入は下がったというのに会社員時代の何倍になったのかという社会保険料を支払う羽目になり、贅沢はできなくなっていた。

これに対し、なぜそうなったのか、そのような選択をしたのか、と問われることがある

私の周りの人は上品なのでこうした質問が来る場合は馬鹿にするのではなく、「自分もそのようにしたかったが勇気がなかった」というニュアンスになる。

しかし、なぜと問われると難しい。転職をしたことがある人は分かると思うが、転職一つとっても25個くらい理由がある。つまり3社転職と独立を合わせると100個くらい理由がある。問われたときに色々話すのだがどうも不完全燃焼だし聞いてる方もあまり納得している感じがしない。そこで、noteに一度まとめてみようと思い立った。



前提:強いギャップが強い妄想を作る

私は、論文や報告書を書くときはまじめに構成を考えるのだが、noteを書くときは割と適当な書き出しで適当にCloseしてしまう。そのため熟考した結果でないことは承知いただきたいのだが、このnoteを書こうと思い立って自宅から大船駅のスタバまで歩きながら考えた時点での結論は

心配に立脚した将来見込みで動き、
その見込みが全部外れている

といったところだ。

分かりやすく言うと、「この会社潰れそうヤバイ」→潰れない とかである。仮に私が所属した会社が潰れていれば「なぜそのような選択をしたのか」などと聞かれず「なんと素晴らしい先見の明だろうか」となるところなのだが、まあ、聡明なみなさんは考えずともわかる通り、会社(特に大きな会社)というものは簡単には潰れないし傾きもしないのである。

もちろん、あり得もしない想像で言いがかりのように「潰れる」「傾く」予想を立てるのは、自分の人生と会社の方針が合ってないといった根本的原因がある。辞める理由を探していて、辞めたい気持ちが強いほど辞める理由がエクストリーム(=会社が傾きそう)になるのである。毎回見込みが外れるほどエクストリームなのは、つまり常に辞めたい気持ちが強いのである。辞めたい気持ちがなぜ強いのかは後述する。

ちなみに富士フイルムは当時の会長(高齢)が有能すぎて「この人がいなくなったらこの会社は終わる」と思い込み、デロイトトーマツコンサルティングは「コロナ禍が終わったら社会構造が大きく変わるだろうに元に戻る前提で経営をしているからまずい」と思い込んだ。知っての通り富士フイルムはその会長が退いても好調にやっているし、デロイトトーマツはちょうどいろいろ言われているところだが少なくともポストコロナの社会構造の影響ではない。


何が合ってないか1:時間の【自由】

自分の人生と会社の方針の何が合ってなくて辞めたい気持ちが強くなりすぎるのかと言うと、これもまたこれだけで10個くらい出てきてしまうのだが、おそらく一番致命的なのは「自由でないこと」である。

これは、個人的に人生の選択上で取り返しのつかないミスを踏んでしまったと思っていて、いまでもどうにかするべく取り組んでいる課題である。

私は東京大学を受験するにあたってきわめて自由にだれの介入もなく勉強を遂行してきた。どのような勉強をするべきか指示する人間も、何時間勉強すべきか強要してくる人間もいなかった。女だと嫁に行けず損するぞといった足引っ張り干渉をしてくる者もいなかった。行くのは歓迎するが、成果を出す方法は分からんから勝手にしろということである。一般的にあまり多くない状況かと思う。そのため私には、人から押し付けられる無為な努力をする代わりに、成果を出すための戦略を考える自由な時間があった。東大に入るのが非常に難しいのは知っていたので、このプロジェクトでこうであるなら、入学後、卒業後、就職と、さらに人の介入がなくなり自由になるものだと思っていた。いや大人になるにつれて自由になってるでしょうと思う人は次の文章を読んでほしい。大学時代はおおむねそのような温度で過ごせたのだが、私は就職後、企業が、まさか残業時間などで優秀な人間を縛るのだとは全く予想していなかった本質的にはそうしたいけどなかなか難しいよね、とかでなく、本当にマジでないものだと思っていた。そしてここからが取り返しがつかないポイントなのだが、難しい大学に入学した人の多くは1日10時間12時間の勉強をしてきた経験があり、残業時間で縛られることに苦がないのである。私は、気づけばそのような人に囲まれてしまった。もともと1日2~3時間しか集中が続かず、高校→大学→社会人でそれがさらに短くなるものだと思って2~3時間の受験勉強すら将来の自由への投資と思って「我慢」してきた身からすると、詰みであった。

富士フイルムからコンサルティング業界に進んだとき、この「自由」を少し得ることができた。勤務時間は長くなったと思うのだが、やらなければならないことを納得してるうちなら私は動けるからである。そしてコンサルティングファームは、事業会社よりプロジェクトという仕事のゴールが明確であり戦術はロジカルであった。つまり納得材料が多かった。

ただ、昇進すると会社の運営のための会議などが急激に増えていった。管理職になったのだから責任感を持って組織や会社を運営せよという話だし、若手や平社員が無駄に残業時間で縛られることに対する反論は記事一つ書けそうな私でも、そこに関しては反論を持っていない。しかし、私が「組織や会社を運営する」のために自由を犠牲にできるなら「なぜそのようなキャリアの選択をしたのか?」などと聞かれない。17歳から自由になるために生きてきた身としては、会社員としてやっていくのが難しいと結論付けざるを得なかったのである。

余談:私の父は医師であるが、私は4歳時点で医師にはならないと決めていた。父が夜中に呼び出されるのを見て私には無理だと悟ったためである。


何が合ってないか2:世の中を良くするという【希望】

企業・事業というものは誰かがお金を払うことで成立しており、そういう意味ではすべて誰かを幸せにするために存在している。なのでお金をもらっている以上はすべての仕事に意味があるのだが、私にはこだわりがある。

「世の中を良くする」である。

それも世界的イノベーションとか、○○的革命とか、そういったクラスのものを成し遂げたい、成し遂げなくても少なくとも志向したいという考えがある。会社という共同体に志向を説明する際には「新規事業がやりたい」と説明してきた。良い説明ではない気がするが「世の中を良くする」系は新卒時エントリーシートで富士フイルムの役員層に刺さった可能性がある以外本当に理解されない。そして、役員層に理解されても部課長に理解されなければ組織の中では機能しない。したがって、未だに代替ワードが思いついていない。

なお短期間で大きな問題を起こしがちだったのが【自由】が得られない場合で、長期間かけてじわじわ組織とずれていくのがこの「世の中を良くする【希望】」に向かっていない場合だった。そして私は、組織に所属してこの【希望】に向かっていたことは一度もない。


終わりに

お気づきの方も反発を抱く方もいるとおもうが、【自由】も【希望】も一種貴族のような態度であり、日々の生活のために働かなくてはいけないというプレッシャーから自身を遠ざける条件があるからこそこだわれるポイントである(私の場合は条件=貯金。なので有限)。貴族よろしく【自由】を欲しがるのも、【自由】な時間が長くなく日々の課題に忙殺されているようだと、【希望】のある仕事ができないためである。

何をしても安定した給与が入ってくるというのはいま思うとやはりすさまじいメリットだ。その面あってか、同期や先輩を見ていると今の私よりむしろ【自由】に見える部分もある。経済的に不安定になって取れなくなってしまった選択肢はやはりあるからだ。例えばお金のかかる遊びもそれに該当するが、それ以上に、人に業務委託費を支払うという選択一つとっても、正直、会社員の副業として扱った方が楽だったかもしれない(コンサルティングファームの給料がいいから言えることだが…)

そんな不安定な状況でも、いまの方が充実していると言えるのは、【希望】にいかに近づくかということに集中できるからなのだろうと思う。【希望】の内容によっては会社員でももちろんできるし、会社員時代に散々言われ、実際にそのような事業なりサービスなりを作ってみろと何度かチャンスももらったのだが、やはり会社が得する枠で考えると私の【希望】枠には入ってこないらしく、どの会社でも「ここでこれ以上は無理だ」という判断を加速させるだけで終わってしまった。

私にとって大事な価値観が会社員としてやっていくには大きくズレていた。今風に言えば社不(社会不適合)。いまとなってはそこまで深刻に考えていないが、会社員時代はそのようにとらえていた。

自分を社不だと考えている安定キャリアの持ち主の参考になればいいなと思う。

この記事が参加している募集

転職してよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?