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大切な家族と暮らせる幸せ 【越後湯沢から、新しい働き方を創る】 #2

こんにちは。「目が見えなくてもあちこたねえライフ」の角谷(すみや)です。
「あちこたねえ」とは新潟の方言で、「どうってことない」「大丈夫」という意味です。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。

「越後湯沢へ移住して、変わったことはなんですか?」というご質問に答えるシリーズ、第2弾です。
第1弾では、「自分が1番好きなまちに住める」という充実感が、精神的な幸福度を高めてくれた、ということを紹介いたしました。

2つ目の変化は何かというと、高齢の母の近くに住めて、私も母も安心して生活できるようになったことです。

□ 故郷は 遠きにありて 思うもの だけれど

室生犀星は「故郷は 遠きにありて 思うもの」と詠みましたが、自分の肉親のことは、やっぱり大切ですよね。

地方の実家を離れて都市圏でお仕事をされている方にはわかると思いますが、故郷の両親って、なんだかんだで気になる存在ですよね。
20代の頃は、無邪気に都会で働いていても、何も気にならないかもしれません。私のそうでした。
しかし、自分も歳をとり、親も歳をとってくると、親の様子や健康が気になるものです。

家族の体調が悪いと連絡がきても、「まだ200キロ離れた場所にいるから、すぐには駆けつけられない」というもどかしさを感じたものです。

□ 家族を支えたい 故郷が好き、家業が好きだから

私が越後湯沢へUターンした理由の1つは、「家族、特に高齢の母をサポートしたい」という思いです。
この気持ちは今日までずっと変わっていません。

特に越後湯沢は、世界有数の豪雪地帯。
歳を重ねる親にとって、除雪の負担も無視できません。
それを手伝いたい!という思いがありました。


また私の実家は、60年続く民宿を営んでいます。
祖父母や両親が大切にしてきたお宿ですし、私もお客様と接するのが大好きです。

越後湯沢にUターンすることで、平日は会社員として働きつつ、冬の週末は母を助けて宿を切り盛りする、という生活を送ることができています。


□ 誰と 何をしたいか

移住するきっかけは、人によって様々であっていいと思います。
ただ、「誰と 何をしたいか」が明確だと、移住後の生活がより充実したものになるのも事実です。

・東京の会社員を続ける
・大好きな家業も続ける
・大切な家族と助け合いながら暮らす

こう書いてみると、自分でも欲張りだなあと思います。
やりたいことを全部やる、まさに欲張りライフです。

それも、自分でやりたいと決めて突き進んでいること。
人生の充実感は、ハンパありません。

□ まとめ

「越後湯沢へ移住して、変わったことはなんですか?」というご質問に答えるシリーズ、第2弾。

2つ目の変化は、高齢の母の近くに住めて、私も母も安心して生活できるようになったことでした。

地方へUターンする = 東京の会社を辞める
と考えていた私に、それを両立できるチャンスをくれた、会社に感謝。
支えてくれる、家族や仕事仲間に感謝です。

□ 次回予告

「越後湯沢へ移住して、変わったことはなんですか?」というご質問に答えるシリーズの、第3弾をお届けします。

目が見えなくても、あちこたねえ
そして人生は続く

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