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言葉にする前、どう思われるかばかり気にして、自分が分からなくなってた

お昼ご飯食べてお腹いっぱいでボーっとしながら、電車に乗って次の目的地に向かってた。

東福寺駅を通過したときに「東福寺駅には...東福寺があるのかな?」って友人に投げかけて、言ってからアホなことを言ったということに気がついて笑った。

この名前なのに、なかったらいかつい。

友人は、「跡地になってるとかならあるかもね」って言ってた。

※東福寺は超有名な寺でめちゃくちゃ現存してます。



何気ない会話だけど

あのとき、自分はすごくリラックスしてたと思う。
何かを言う前に考えなかったことが久しぶりだった。
口に出す前に、こう言ったらどう思われるか、言う必要があるか、そんなことを考えなかった。


気遣いというよりも、嫌われたくないってよく思う。
去年、久々に色んな人と関わる機会があって
そのたびに相手に合わせようとして話してたら、自分のことがよく分からなくなってた。

自分らしいままで好いてもらえるはずがないって思ってた。
それならそれで勝負するしかないのに、悪あがきというか、取り繕ってたと思う。

頭でっかちにならないで、下らないことで笑い合える人『合う人』と関わっていけたら、きっと私は穏やかに幸せに生きていける。
それなのについ見栄をはって、慣れない人とも仲良くしようと頑張ったり..。

たとえほとんどの人から好かれないとしても、自分らしくあるべきだった。
自分らしさから逃げたら、誰ともいい関係になれない。




そんなこと思った。

東福寺過ぎたあともずっと下らないことばかり言い合ってた。
いろんな大人の気遣いや人生の話も大事だけど
下らない話に飢えてた。

これだけ日々、バラエティ番組を見たりラジオを聞いては下らないことで笑ってるのに。
聞いてるだけとは充実度が違った。

下らないことの面白さの尊さを知ってる自分が、それを噛み砕いてくれる友人が、誇らしかった。


そういえば中山功太がBKBの動画の中で遊びに誘うときに 「飯行こ!」だけじゃなく
「飯行こ!それで、ちょっと笑おうや」ってところまで言うのが好き。笑 
「ちょっと」ってところがポイントらしい。
※ピンポイントすぎて、分かる人いるんだろうか。


私も「お茶しよう」「どこどこのご飯いこ」
ではなく「下らない話して、ちょっと笑おうや」って誘いたい。
友人と会う一番の目的は笑い合うことだと思うし。


もういい大人だからこそ大人な話をせずに、大人な空間にもいかず
それで下らない話できたら、豊かだな。

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