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働き者の胃袋と怠け者のこの肢体

朝起きたら必ずお腹が空いている。アーユルヴェーダの本では、朝起きてすぐ食事することは推奨されていなくて、まず、寝床からいきなり起きることもいけないという。初めに、手足を擦って末端神経から意識を起こしていく。次に顔を軽く擦るかパンパンと優しく叩いて顔に意識を持ていき、伸びをしてやっと起き上がる。いきなり起き上がると心臓にも負担がかかるのだろう。アーユルヴェーダでは、それから消化器官を起こすために、舌磨きを推奨している。また鼻うがいとか、オイルプリングとか、朝の食事に至るまでに一連の儀式(のような習慣)が必要なのだそうだ。わかっている、わかっているんだ、より健康になりたい私は。アーユルヴェーダのその基礎ぐらいは実践したい。のだが、朝の食欲には勝てない。眠気と共に、それ以上の食欲が湧いてくる。夢でも食事している情景や、料理が並んだ情景が出てくるんだから、わたしの食欲って化け物並みにすごい。ある意味我ながら尊敬する、(自負と云うのか、いや違うだろう)


まあ、つまりアーユルヴェーダ云々の推奨とは相反して、朝起きたらパンかご飯をいきなりいただく。父親が起きていたら、そこにレタスとかトマトとか、卵とかが調理されてお皿に乗るのだが、私の取り急ぎ用意するご飯は、ご飯の場合は納豆卵かけご飯、パンなら、蜂蜜だけをそれにかけて、一気に頬張る、「召し上がる、味わう」のではない。頬張っている。あっという間に平らげて、コーヒーをいれ、またガブっと飲み込んで、朝食が終わる。粗雑な人間になってしまったものだ。


よく噛まなきゃいけないのになぁ。そんなことをたまに反省しつつ、しかしまぁ。この36年間懸命に働いてくれている消化器官全てに、心から感謝する。いくら食べすぎても「胃薬」と縁遠い、この立派な胃袋よ、今日もありがとう。内臓って忘れがちだけど、本当に働き者だと思う。自分がこの内臓たちの所有者だと思うのはおこがましいと思うくらい、彼らは私と肢体と違ってとても働き者である。


嗚呼、ありがたや。食べるのに困る生活を強いられてないことも、朝のアーユルヴェーダ儀式をしなくとも、今のところ問題なく健康に過ごせているのは奇跡だ。嗚呼。なんと恵まれているのだろう。今も炭酸水を飲んで消化器官をいじめて刺激しながらこんな文章を書いている。感謝、感謝。さあ、昼食は何にしよう。

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