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選挙権をもらいました

 こんにちは、スミレです。
 大人/子供の言葉の定義は別問題として、18歳になり一応成人の身となりました。同時に選挙権を得たので、選挙について考えてみました。

 選挙権って結構便利だと思います。こういうことを実現してほしい、この人なら叶えてくれそうだから票を入れよう、当選したらば自分の代わりに試行錯誤してくれる。
 他力本願ではありますが、変えたい何かがあっても生身で行動することにハードルを感じる私としてはこれ以上ない仕組みです。

 以前までは全くの無関心でいた選挙、あるいは政治ですが、「変えてほしい何かがある」と考えるようになったのは、学校での探究活動のおかげです。
 探究のテーマはまあ色々と手を出していて、国(というよりは法律?)に異が唱えられている問題にも多々触れました。特に同性婚や選択的夫婦別姓(氏)制度が認められないがゆえの不利益・不平等や、かといって事実婚を選んでも何も解決しないし、事実婚だからこその不利益・不平等もあるという問題は、国に変わってもらうしかないような要素が多くあると感じています。もちろんこれ以外にも問題は山積みなのでしょうけれど。

 実際のところ、変化を望む人たちと国に起きた変化がいい感じに噛み合ったケースばかりではないのでしょう。新しい制度を作ってくれたと思ったら意外なところに穴があったり、そもそも真面目に検討されなかったり。

 特に私が「なんだかなぁ」と思うのはコレ。
 今までこれで国が成り立ってきたんだから、変えてしまってはメチャクチャになってしまう、という意見。
 そりゃあ、その通りでしょうけども。急な変化で置いていかれる要素を出さないために慎重さを忘れるな、と教えてくれているのなら、特に異論はないのですけれども。
 ここで少し紹介したいのは、私の以下の解釈です。

✖️法律に従うために人間がいる
⭕️人間のために法律が存在する

 今までの基盤を守るためにという意見を聴くと、法律を守るために不利益・不平等くらい飲み込みなさい、と言われているような気持ちになってくるのです。私の思い込みも大いにあるとは思うのですが、言っていること・実情では結局そういうことなのではないかと邪推してしまいます。
 いやいや、不利益・不平等で苦労させられる人を出さないための基盤でしょうよ、と。逆効果になっている現実がある以上、もう少し親身になって考えてくれてもいいじゃないか、と。

 そんなことをここで書いたって、毒にも薬にもならないのは承知の上です。
 だからこそ、選挙権って便利だなぁ、と感じるわけです。結局国に変わってもらうしかないのなら、国を変える側の人たちが自分にとっての味方サイドであればいいのですから。そしてそれを選ばせてくれるのですから。

 便利そうと言ったって、期間中は大変そうな気もしています。選挙カーや演説の音量がデカすぎるという個人的な愚痴は置いておくとして。
 特に、誰に投票したいかを見極めること。
 よく家の郵便受けに入れられている、政治家さんのPRチラシ、あるいは冊子。いつかは自分も選ぶ側になるのだから読んだ方がいいのだろう、と思って熟読しようとしたことがあります。
 まあ、キツイ。活字は所狭しとミッチミチに詰め込まれ、馴染みのない難しい言葉も盛りだくさん。これを何人分も読んで比較してって、大変すぎませんか。もっと賢い探し方もあるのでしょうけれど、初めから高難易度の方法を試してしまいました。
 それに「ここは賛成だけど、こっちはイマイチだな」と、応援したい部分とそうしたくない部分のハイブリッドにも直面するでしょうし。「この人だ!」にたどり着くまで時間がかかりそうです。
 まあ「この人だ!」を見つけられなくても、白紙で投票してしまえばいいらしいので、あまり身構えすぎない方がいいのでしょうね。「貴方たちじゃイマイチなんよ」という意思表示も大事、多分。

 以上、自らのアクションが苦手で、そんな自分をいい方に変えたいと思い、note以外で他に何ができるかをもっと探したくて、選挙に行き着いた話でした。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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