備忘録のようなもの。

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最近の記事

哀しみについて

あいも変わらず睡眠状態は一向に良くはならず、感情との折り合いが上手くいかなくてこんな時間になってしまった。 一人でいると夜よく泣いてしまうことがあるのだけど、大概の原因は哀しみとの関係が上手くいかないことによることが多い。 哀しみ、悲しみとも書くけど、悲しみの方はなんだかかなしいという感情しかないようで、哀しみにはそんな感情と少し諦めにも似たやるせなさのような、絶望のような何かが混じっているようで、好きだ。 かなしいことに変わりはない。でも、泣いてしまうほどかなしい時、

    • これからについて

       眠りにつくまでの所要時間がだんだんと短くなり、遂には一睡もできずに3日目に突入したので、格闘すること3時間後の今、睡眠を諦めた。今日こそはきちんとお薬もらいに行って睡眠と再会したい所存である。  睡魔と一時的冷戦中なので、これからのことについて考えてみる。これからのことというのは、なにも直近のことに限ったものではなくて、今後5年先、10年先、20年先の自分のことを考えようと思う。ほらよく自己営発本とかで提唱されてるあれあれ。  かれこれ5年ほど学生という身分で居るが、こ

      • 午前二時

         午前二時はいつも、仕事を終えて自転車を飛ばし、途中で野良猫さまたちと戯れ、帰宅し汚れを落として眠りにつく時間だ。明日というか今日も今日とて朝七時には起きなければならないのに、ただでさえ少なすぎる睡眠時間を費やして、これを書いている。というのも、考えても考えても堂々巡りになることを考えすぎたあまり、眠気が家出しかけている。  ずっと考えていたのは、愛のことだ。愛とはなに、という所からはじまり、過去の愛だったと思っていたことについてだとか、そういうきっと正解は存在しえないもの

        • 初手

           noteを書くことにした。このサービスの存在は少し前から知っていて、時おり他人の書いたエッセイ等を読んでいたけど、自分で書こうとは特に思っていなかった。それでも始めたのは、強いて言えば今日何か月ぶりかにすっきり起きれたから。それも朝7時に。  何か月ぶり、というのは正直なところ、その正確な数字すら思い出せないのだ。わかっているのはただ、少なくともここ6か月は午前7時になんて起きれもしなかった、目が覚めてもいなかったということだけ。これが常用している薬のせいか、はたまた患って

        哀しみについて