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本気の笑顔

中学生時代、部活動の仲間はそのまま親友でもあった。
いまの中学の部活動は時間が短縮される傾向にあるが、25年前当時はそういった規制もなく、練習はハードだったが、放課後の時間がくるのが楽しみでしょうがなかった。

仲間に恵まれたことが大きかったと思う。

その仲間のひとり、Y子に一度こう言われたことがある。

「(あなたの)笑顔が好き。幸せな気分になる」と。

それまで、自分の笑顔を客観視したことがなかったわたしは、鏡を見て、自分の笑顔のどこが魅力的なのかを探ろうとしてみた。

たしかに、悪くない。
でも、鏡の前の笑顔はなんとなく余所行きなので、本気で笑っている顔をむりやり作る。

そうすると、さっきの笑顔よりも歯ぐきが見えてブサイクになるが、なんとなく本気で笑っている感じがわかる。

ただ、「笑顔」というのは、人によって、それほど大きな違いがでる表情だろうか。どの笑顔も、基本的には良い気分にさせるものであるだろうし、よほど表情が恐い人でない限り、笑顔はやさしいもののはずだ。

わたしの笑顔の何が彼女にとって特別だったのだろうか。

そうやって、すこし自分の笑顔を研究して気づいたことがあった。
他の人の笑顔とわたしのそれにひとつ違いがあるとすれば、かもしれない、と。

「目が笑っていない」という言葉があるが、わたしの場合はその逆で、「目がすごく笑ってしまう」のだ。

そしてもしかすると、笑顔と普通の表情に差があり過ぎるかもしれないとも。

もしかしたら、彼女はその普段の表情とのギャップもふくめて、「笑顔が好き」と思ったのかもしれない。

たとえば、わたしの顔は口角が下がりぎみで、真面目な顔をしていると「怒っているの?」と言われることがある。普段から微笑んでいるようなやさしい顔であれば、笑顔だけがそう際立つわけではない。

頬骨が少し高めのせいか、笑うとタコ焼きのように盛り上がり(そういえば「タコ焼き!」とつままれていた)、それも「本気の笑顔」になる要因かもしれない。


大人になるにつれ、よほど親しい間柄でない限り、自分の表情や顔の造作について言及する人はそうそういない。

少女が大人になっていく過程で、他者と自分との違い、それも内面的ではなく外観的なところに目がいく、そういった成長期に、自分の特徴を肯定的に伝えてくれた言葉。

わたしはあれから何十年も、無意識しろ意識的にしろ、人との関係性において自分の笑顔を武器にしてきた気がする。

そして、自分の笑顔が、あの数十年前と変わらずに、またはそのころ以上に、だれかを幸せな気分にさせるものであればと願う。


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