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ざっくりとしたマイノリティ

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それでもまあまあたのしい
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目を覚ませ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ

もともとそんなに仲良くなかった母の訪問看護とめっちゃ行きたがらない病院のつきそいとやっかいかけているサ高住のスタッフさんとのやりとりで今月の脳内の音楽はこれがガンガンかかっています。

メンタルが侵略されないようにバリアの張りかたをセンパイに教えてもらって、母が訪問看護に慣れるまで持ちこたえなければ。

【よくなってるかもしれない】
コロナ禍で市内のホテルがめっちゃ安くなっている間に仕事のセンパイにトラウマ処理をしてもらったら、神経系が安定してきたので、今精神科と相談して薬を徐々に減らしています。足かけ20年位は通った病院、こんなことなら早い時期にさっくり処理してもらえばよかった

Youtubeで月見をしました。
仕事帰りに六花亭の月見団子とお花を買って供えました。机埃かぶってるけど。こうやって毎年旬の物食べたり飾ったりしながら年をとっていくのだなぁと。

自粛生活も2ヶ月
(仕事がない分はどうにかする方向でエージェントにお願いしたほうが良さそう)
午前中がらがらのカフェで試験勉強して買い物して帰り
家に着いたら徐々に家を片付けたりして
晩ごはんを作って食べて終わる日々
写真は昨日のちょい咲きした桜です

20代ですごくお世話になり、その後も手紙のやりとりを続けていた心理士さんが去年末にこの世界を旅立ったことがわかり、今日は手紙を書いていました。まだいなくなった気がしないのです。わたしがいつか向こうの世界に行くことになったら、こちらでどんな仕事をしていたか、色々話したいなと。

【また明日】
仕事に行けない私と仕事ができない私は死んだ方がいいと思っていた事があった。トラップから抜ける方法は同じ戦場に戻らないことと拘束時間を減らすこと。誰でもいいから人の肉声をきくこと。いつでもいいから眠ること。1日呼吸して生きられたらそれでいい。また明日ね。また来週ね。

【ダイエットこわい】
今の仕事始めた頃に病院の摂食障害の専門外来のドクターについていて、いろんな患者さんをみてきたので、自分が体重落とそうと思うのもちょっとこわいです。4キロくらい落としたら血圧落ち着くって聞いたからまんじゅうこわいみたいなこと言ってないで、体重毎日はかります。

この課題
https://note.mu/neetbuddhist/n/nc395912b5baf

研修生だったときに心理部屋の同期に勝手に試されたことがあって
当時のスタッフは自分たちが扱っている症状や障害を持っている人を差別している空気があって
その傾向がある治療者は負け犬扱いだった
この業界、負け犬は割と多い

年取ることと毎日生きること

年取ることと毎日生きること

だいたい月に1度ほど土曜日の午前に父から電話がくる

再婚した姉さん(離婚後戸籍抜いてないから10歳から書類上の母だけどそう呼んでいる)のいないときに

雪が溶けたら庭にピザ釜を煉瓦で作るのが楽しみだって

年取ったから楽しみは作らないとって

後15年くらい生きればいいなと

(実の母は10年くらい生きたいって言っている)

私は死ぬまで仕事しないとな、

と返事した

自分がやってる仕事は自分

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ママどの 忘れないで たも

昨日ひとつ年を取りました
仕事行くバスの中で
TWEEDEESのa la mode というアルバムを聴いていて
https://youtu.be/losOXaKJ9A8
Birthday Songというのがかかって
なんかタイムリーだと思って
バスがトンネルくぐって

いつか 死ぬときが きても
エンドロールまで お楽しみに

という歌詞が刺さり
そのあと
このアルバムのラストの
プリン讃歌
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何が原因かはよくわからず
昨日は何度寝かしたあと
仕事に出ても傾眠してその数秒で夢をみる
変な状態でした
空いた時間は仕事先のベッドに横にならせてもらって
予定の時間は意識はしっかりして仕事はしたけれど
なんだったんだろう

そんなんで写真は行きつけのお店の晩ごはんです生き返った

じゃあね、また来週

じゃあね、また来週

普通の会社で働くのが苦手で今の仕事をしている。苦手と言うか向いていなかった。

去年で、昔、数年間カウンセリングを受けていた彼女と初めて出会った時の年齢と同い年になって、あのとき彼女はどんな思いで自分に会っていたのか時々考えるようになった。話をしている間、分析も洞察も要求されることもなかった。

はじめの日は「じゃあまた来週ね、それまで死なないでね。」と玄関先で言われて別れた。当時の仕事を辞めて今

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