搾取する側とされる側、

 私の時間は、眠ること、食べること、働くこと。そして、細かな小用に趣味で埋まっている。ほとんどの人間がそうだろう。

 誰かの発信した内容、動画……。

 今の世界は、知らないうちに自分の時間を誰かに奪われている。数分から数十分、一時間以上……。

 気が付けば画面に捕らわれている。


 働くこととは、「時間を割いてお金をもらうこと」としよう。


 時間が切り抜けるようになったこの世界。

 時間を分割してお金を貰えるようになったこの世界。


 働いたあとに、誰かの割いた時間を覗き見る時間が作られた。


 動画サイトで人気のある動画を見続ける。

 面白いとそれに染まる。

 気が付けばのめり込んでいる。


 自分の時間も、自分の考えも、自分のための時間も、すべてが誰かに奪われていく。

 私はこの感覚が、とても不安で、不愉快で、怖くて、自分は何をしているのか分からなくなる……。


 なにかの動画を見ることが幸せで、それだけで生きていけるというなら、それは素晴らしいことだと思う。


 でも、私はその先を考えてしまう。

 時間を使って覗き見た誰かの時間は、私にどんな価値を生み出すの?

 誰かの割いた時間は、その誰かのお金になるけれど、その動画を見るために割いた自分の時間は何にもならない。

 いや、多少の何かはあるのだろうけれど、ほとんどその価値は残らない。

 見た後に、過ぎ去っていく時間は、もう二度と戻ってこない。


 テレビも新聞も、動画も、情報というものはいつでも形を変えて、自分たちの時間と価値観を捻じ曲げていく。

 自分で考える時間を減らし、何が大切で何が必要なのかを考えさせる時間を与えようとしない。

 働き、食べ、眠り、誰かの時間を覗き見て、その場しのぎの幸福を得る。


 それでいいのか、それがいいのか。

 自分の考え、価値観とは。

 何かに染まることが、本当に幸せなのか。


 私は嫌だ。

 誰かに奪われるだけというのは、自分の価値を見失う行為に等しく思うから。


 趣味に生きる人、それがその人にとっての、人生の幸福ならそれでいい。

 ただ、振り返った時、立ち止まってしまった時、その背中に背負った荷物はどのくらいの重さだろうか……。


 搾取する側とされる側。


 どちらも等しく嫌悪感を抱くけれど、誰かに奪われるくらいなら、私は私の時間を、思考することに使おう。

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)