佐久間ナオヒト
長かったホテル療養も明日の朝で終了。 やらなきゃいけないこともホテルの外に置いてきてしまったりしたので、とりあえず、VOD(なんと無料)を見まくろう!と決意。 とはいえ、カーアクションのすごいものと他数本を見ただけで力尽きました。 でも、まぁ本当にすごいなぁ。 一人で作ってるんならまだしも、共同作業としてあれを作り上げるのって、どうやってイメージの伝達と共有をしてるんだろうか。 推測としては、ミニカーを使って、一コマ一コマ、アングルやカット割を決めていって2時間
日付入りの写真を撮っている。 世の中がコロナ禍になってから、公私共に写真が撮れていなかった自分に対して、とてつもない焦りを感じつつ、なかなか思考のループから抜け出せないでいた。 考えて考えて考えた結果、理由はないけど、「日付入りの写真」を撮ろうと思った。 そして毎日を写真に収めていく生活が始まって約1ヶ月、まさかのホテル療養。 「・・・また写真が撮れないじゃないか。」という不安は、不思議となかった。 食事に不自由があれば、味覚や嗅覚が鋭くなる。 移動ができな
と、いつもは使わない命令形でタイトルを書いてみましたが、今回ホテル療養ということで、普段の生活と比較すると圧倒的な制限の中での生活を強いられます。療養ですから当然です。 例えば食事。 僕の場合、初日は夕飯から始まりましたが、二日目の夕飯が前日ととても似ていたので今後の想像がつきました。きっと明日の朝食は食パンだ、と。 予感は的中。でも大丈夫。朝はご飯派の僕だけど、きっと大丈夫・・・。 ・・・で、どうする。 普段はお腹が空くとイライラしてしまうんですが、実
noteの更新頻度が少なくなったのも、書く時間がなくなったって言うより、書くことが思いつかなかったことの方が理由としてはしっくりくる。 そんな僕にまたnoteを書かせることが起きてしまった。 コロナ陽性。ホテル療養中。 週末に発症し、諸々の手続きが済んでようやくホテル入れたのが週が明けて火曜日の午後だった。 前日に療養先のホテルが決まったので、アメニティや生活のルールなどを都のHPで調べ、最低限の必要なものをカバンに入れてきた。 火曜日のお昼に、都が用意した
もう長いこと仕事で写真を撮ってきた。 依頼があることで、今まで行けなかった場所、普通なら話す機会もない人と出会い、その経験が僕にプライベートな作品を作る助けになっていたように思う。 でも、仕事の写真を撮れば撮るだけ、手垢のようなものがついてきている気がしてならなかった。 「手垢」について別の言い方をすると、 「他人の価値観による上手な写真」 なのかもしれない。 写真のリハビリとは、写真をうまく撮ることではなくて、20年近くの間にこびりついてしまった手垢から
5月19日(月)〜6月16日(日)の間、「公益社団法人 東京都看護協会」で個展「Daydream Believer 2021」を開いていました。 新型コロナワクチンを打つ目的も、当初は「かからない」と「うつさない」という二つの意味があったように思いますが、ワクチンを打ってもかかってしまうという事例が多く知られてきた今、重症化リスクを下げる「自分のためだけ」の意識が強くなっているように思います。 でも果たしてそうでしょうか。 重症者の増加は医療の逼迫を招き、新型コロ
この話は、どこが勘違いなのかが自分にもわからないので、正解を知っている人がいたら教えて欲しいんですが・・・。 20代半ば、僕がまだアシスタントだった頃、深夜の映画を紹介する番組をぼけっと見ていたら、「華氏451」という映画を紹介していた。 少し未来のその世界では、国が国民の思想を管理するために読書を禁止していた。当然ながら一部のレジスタンスは、はずれにある隠れた村でこっそり本を読むわけだが、そこの村長が言ったセリフが僕の心に突き刺さった。 「人として生まれたからに
昨晩、写真家の青山祐企さんに誘われて、「写真を仕事にする方法」というテーマで対談したのですが、どうもうまくまとめることができなかったので、noteに自分の考えを今一度整理しておこうと思います。 ちなみに聴講者はこれから写真を始める、もしくは駆け出しのフォトグラファーでした。 大分類として、「写真とは」「仕事とは」の二つを考える必要があると思っていて、さらにそれぞれが「マインド」「スキル」に分かれると思います。で、その下に具体的なあれこれが並ぶわけですが、 ●写真とは
ヴァレンティノの広告についてちょっとっだけ話したいです。 批判する人、どちらでもいい人、擁護する人などいろいろな意見があって、どれもそうだよねって思いました。 変遷を細かく書いていたら文書が途方もなく長くなってしまったので省力しますが、最初にこのニュースを小耳に挟んでから、自分の中で咀嚼していく中で、僕の気持ちは「どちらでもいい」→「擁護」→「批判」→「・・・」へと変わっていきました。 で、最後の僕の行き着いた「批判」は、もし自分がこの帯(布)の職人だったら、嫌だ
専門職であれば必ず経験したことがあると思うんですよね、この問題。 例えば、フォトグラファーである僕においてはこんなこと。 「佐久間さんってフォトグラファーなんですよね。私もカメラ好きなんです。」 写真とカメラを同義で語るパターンですね。 『「写真」はカメラによって映された「イメージ(像)」』 『「カメラ」は写真を作るための「機械」』 です。 最近気になるのが、「マーケティング」という言葉について。 本当にこの人わかっているのかな?って思うケースが多々ある。こ
もうずっと前のこと。友人のコピーライターが、こんなコピーを書いてTCCの新人賞をとった。 うちの子、いじめられてたらどうしよう。 いじめてたら、 もっとどうしよう。 親になったばかりの僕はこのコピーにすごくハッとさせられて、コピーってどうやって作るのって聞いたことがありました。 彼から返ってきた答えは、「作るんじゃなくて見つけるんですよね。」的な言葉だった。そしてその後すぐ、彼は有名なコピーライターになったわけです。 が、彼の言葉を聞いた後に、大御所のコピーラ
フォトグラファー・佐久間ナオヒトです。 今日は僕が駆け出しのフォトグラファーだった頃の話です。 もう10年以上前の話なのですが、これはいつの時代にも変わらないことだと思うので書いてみたいと思います。 仕事上の写真に限定していうと、「いい写真」とは「必要に応じられる写真」のことだと思います。 その企業は毎年株主向けに、年次報告書を作成していて、その報告書用の社長のポートレート撮影をご依頼いただきました。 僕はテザー撮影(カメラとパソコンをケーブルで繋いで、すぐ
今日からトップ画、作品「Floating Blue」の桜の写真に変えました。 フォトグラファー・佐久間ナオヒトです。 さて先日の大雨の週末、母方のおじさん・おばさん達を撮影しました。 母には7人の兄弟がいて、いとこの数を合計すると15人。子供の頃は毎年お正月にはみんなが集まって大騒ぎでした。 それでもいつからか、顔を合わす機会も減り、もう数年会っていなかった人もいます。 僕には同い年のいとこが二人いて、子供の頃、劣等感からいつも比較されているような気持ちで
今日の話はフリーランスになりたて、もしくは、なろうと考えている人には真剣に考えてもらいたいことです。 大人になれば、ゆで卵でも、インスタントラーメンでも、サラダでも、自分が食べるものを何かしら一つは用意できるはずです。 プライベートにおいてこれを「料理ができる」と言っていいかどうかはそれぞれの基準があると思いますが、もしこれが仕事上の会話であるなら、「できる」と答えていいでしょうか。 僕が思う「できる」の定義は「実績」だと思っています。 ただそれは賞をとるよう
英語的で広義な意味では、プライベートな作品も、クライアントワークも「仕事(ワーク)」ではあるけれど、今日は日本語的ないわゆる「仕事」を前提に話をします。 クリエイティブな仕事に関わらず、おそらく3人以上のチームや会社であれば「ビジョン」を掲げるべきだと思っています。 緊急の用事確認事項が発生して、リーダーに確認をしなければいけない時、リーダーは飛行機の中で音信不通。でももしメンバーにビジョンが浸透していれば、その確認は不要かもしれないし、その上でさらに確認が必要であ
前回も少し話をしましたがプロとアマチュアでは何が違うかというと「再現性」というスキルにおいてだと思います。 では何を「再現」するのでしょうか。 「写真を作る」には簡単にいうと一人で作り上げるタイプとチームワークを必要とするタイプとがあります。そして仕事のほとんどは後者です。 その際まず、打ち合わせ」とうプロセスを必ず経ます。 「打ち合わせ」とは言い換えるなら、自分の頭の中を相手に理解してもらう行為です。 ここでまず、「頭の中のふわっとしたイメージや考えを言葉