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ブックティータイム「妖異金瓶梅」

透明なガラスポットの中に、種々の色彩がゆらゆらと揺れている。彼女が優雅な所作で取り出したのは、よく使うマグカップではなく白い花びらのように薄い磁器の湯呑だった。
注がれる液体の香りは紅茶に似ていたが、紅茶よりずっと色味の薄い金色がかった茶色であり、湯呑の隣に置かれた皿に乗っているのは、無邪気な華やかさに溢れた中華菓子だった。花や草木を象った月餅菓子は、気取った和菓子のような繊細さはない代わりに、親しみやすい遊び心がこもっているとそんな風に思う。
「頂いても?」
「どうぞ?」
にやり、と口の端を上げる人の悪い笑みを浮かべながら、彼女はロウテーブルの茶菓を指し示す。向かい側には俺の分よりも多い茶菓が置かれていて少しばかり苦笑したが、そのままソファに腰を下ろしてありがたく頂戴することにする。
自分の分の茶を注ぐ彼女を見ながら口に運ぶと、芳醇な香りと甘さが口の中に広がった。飲んだことの無かった味だが、上手い。
「味がダージリンに似てますね」
「君は舌がいいね。中国茶ではあるけれど、製法はダージリンに近いんだよ。どちらも味わい深くて私は好きなんだけれど」
にこ、と何処か人の悪い笑顔を浮かべながら、向かいに座る女性、都子もまた金色の中国茶を口に運ぶ。
「感謝したまえ、なかなかに値が張る代物だ。東方美人、と言う」
「へえ。そりゃまた変わった名前のお茶ですね」
「ふふ、そうかい?別名では五色茶とも言う。ガラスポットで淹れると実に美しいだろう」
確かに、とテーブルの上に乗ったままのガラスポットを見る。褐色・白・紅・黄・緑、と実に鮮やかな色の茶葉だ。
「東方美人と言う名といい、五色茶という名といい、中国茶であるという事といい、今日紹介する書籍には実にぴったりのお茶だと思ってね。わざわざ取り寄せたんだよ」
「…はあ」
そう言って都子は、彼の前に一冊の文庫本を取り出した。表紙には目を伏せる女性と、そして後ろ姿を見せる別の女性。中国の民族衣装らしいゆったりとした服をまとった二人の女性は、どこか艶めかしさとおぞましさを感じさせる画風であった。
「…『妖異 金瓶梅』…。山田風太郎作、ですか。名前だけは知っていますけど、作品は読んだことないんですよね、山田風太郎は」
健太が呼び捨てると、少しムッとした表情で都子はテーブルを指先で叩いた。剣のあるノック音が響くが、そこはあえて無視することにする。
「山田風太郎『先生』だ、敬意を表し給え。…彼の作品は実に素晴らしいよ。官能と残虐さとが遺憾なく発揮されているにもかかわらず、どこまでも引き込まれる筆致。おぞましくも美しい男女の愛。元々金瓶梅というのは古代中国の文学作品なのだがね、それを叩き台として全く別の作品――――…しかも、舞台が古代中国にもかかわらず推理小説という異色さだ。少しばかり荒唐無稽な部分もあるが、それすら飛び越えてとびきり美しい世界観を作り上げている」
「はあ」
立板に水と言った調子の言葉の羅列に平行するが、それだけ夢中になる作品ということだろう。はい、と渡されたそれを受け取ると、表紙をめくって目次に目を通した。
「連作短編と言う調子だから、読みやすいと思うね。尤も、先ほどのいったように随分官能的、残虐的な要素があるから――――…」
「平たく言えばエロくてグロいってことですか」
「そういう事だね。何しろこの中に出てくる主役の一人、西門慶と言う男がだね、八人の妻と愛人と一緒に暮らしているという話だから」
「はあ?」
「事実だよ。その上愛人は一話ごとに一人か二人増える」
「意味がわかりません」
「読めばわかるさ」
二杯目の茶を注ぎながら、都子はにっこりと笑った。やはりどこか人の悪い、人を食ったような笑顔だ」
「元々この金瓶梅と言うのは、話に出てくる主要な女性キャラクターの名前一時ずつから来ているんだ。西門慶の寵愛を最も受ける稀代の淫婦・金蓮。西門慶の子を宿す・李瓶児。金蓮の忠実な小間使いであり、西門慶の愛人でもある春梅。そしてこれはこの物語の最も重要な言葉を意味する物であってね。金は文字通り金、瓶は酒、つまり酒食、梅は色、つまりセックスについて。
この三つで構成されているといっても過言じゃない」
金茶色の液体が満たされた白磁を持ち上げ、健太は持っている文庫に捧げるような仕草をしながら彼女は言った。
「実におぞましい俗物の物語であり、同時に純粋すぎるような愛情で満たされた物語でもある。極彩色で描かれたような、原色が似合う話だと思うよ」

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