見出し画像

短編小説Vol.26「こんな世の中でこそ、反戦を謳わない」

去年の苦い思い出を掻き立てるように蝉が騒ぎ始めた頃、1年前と変わったことは、俺たちの聖域を我が物顔で畜生が闊歩し始めたことと、他人の価値基準でしか生きられないと証明された大人が跋扈し始めたくらいであった。
去年の悪夢の真夏に、典彦の中にいた神は観念的に殺された。
神は国民を熱狂させ、一人一人に生を強烈に印象付ける大変ありがたい存在であった。
それがたったの1日で変質し、神は存在しないのだと人々はどこには存在しない誰かに迎合し始めた。
「私たちが行ってきたことは間違いだった」「これからは民主主義の時代だ」そんなことを、神を誰よりも崇拝しているかのように振る舞っていた大人たちが、隣人様の顔色を伺いながら言い始めた。

典彦は、そのすべてに心中で武装した。
ただ典彦は決して事の真偽がわかるような年齢ではなかった。
が、ここ1年の人々に見る畜生本願な姿勢は間違っている。それだけは絶対の心理として、典彦の心の中に結晶していた。

そんなある日の午後16時過ぎ、晴天に魘されるような雰囲気をかき消すかのように、激しく冷却水が降り始めた。
典彦は下校途中に遭遇し、近くのアーケード商店街に駆け込んだ。
いつもは閑散としている商店街も、夕立のせいか入れ違いにくい程に人が歩いていた。
そんな中人を避けながら、帰路を急いでいると背丈が高い2人組が商店街の真ん中を歩いてくるのが見えた。
その畜生はその高い背丈のせいで誰も見えていないのか、猪のようにただ真っ直ぐとこちらに向かってきていた。

典彦は畜生にも武装した。
足を止めて、商店街の真ん中に、大きく足を広げて立った。
何も怖いことはない。あいつらは、神様なんかじゃない。ただの悪魔。
そう心の中に言い聞かせた。

15メートル。10メートル。5メートル。そこで畜生は止まった。
周りの人は、怪訝な眼差しで3人の様子を見ていた。
すると、2人組はゆっくりこちらに向かってきて、持っているうちわで典彦の頭をポンと軽く叩いて、横を過ぎていった。

だんだんと足音が遠ざかっていく。
その歩調に合わせるかのように、典彦も商店街の真ん中を歩き始めた。
ただ絶対に後ろを振り返ってはいけないと思い、ただまっすぐ前だけを向いて、進んだ。
典彦の手は、汗を強く握り締めていた。

翌日、典彦が電車に乗っていると、隣客が
「大丈夫だったか?喧嘩したんだって?」と急に話しかけられた。
どうやら噂が変な方向に回って、典彦が畜生と喧嘩したことになっているようであった。
典彦は、
「喧嘩なんかしてないさ。ただ俺はお前らと違って、自分の価値基準で生き続けているだけさ。」
と、その隣客に吐き捨てた。
その言葉に、隣客は何の言葉も返せず、再び新聞に目を通し始めた。
そして、またしても典彦の拳は硬く締まっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?