見出し画像

国道の二人 【第4話】

 国道の二人 【第1話】

 葉子さんは熟睡してしまった。

 そして、トラックの運転手は私達を見捨てて去った。少なくとも私にはそのように感じられた。

 単調に伸びる真夜中の国道、右を向いても左を向いても黒い森に囲まれている。これが昼間であったのであれば、夏の昼下がりの柔和な木漏れ陽などに抱かれ森林浴を楽しみながらゆったりとドライブをしてゆくことも可能であったかもしれない。

 何故、セントルイスで一泊しなかったのであろうか。

 あの街は美しかった。中西部の中では大都会であったのであろうが、荒廃している雰囲気は感じられなかった。あの街で一泊して、朝早く出発していれば、これほど小気味の悪いドライブを経験することも無かったであろう。街の観光を兼ねることも出来たはずであった。二人とも夏休みであったため、予定が一日ぐらい延びたとしてもさほど支障はなかったはずである。

 葉子さんの旅行費用が底を突いたのである。彼女にはもう一泊出来る予算が無かったのだが、私にもそれほど余裕があるわけでもなかった。

 路上に動物の死骸を認めた。車両に轢かれたものである。ハイビームに照らされた縞々模様から判断をしたらおそらく狸であろう。

 死骸をさらに轢かないように車を多少左に寄せたら、葉子さんの上体が運転席の方へ倒れて来た。私は彼女の上体を窓側に押し戻した。それでも彼女は目を覚まさない。

 この森の中に狸が生息していたのだとしたら、おそらく狐も生息しているであろう。他にはどのような動物が生息しているのであろうか。熊なども出没するのではないかと思われる。

 私は、疲労の度合いが限度に達していることを感じた。このまま路肩の一時停止場に車を停めて、せめて一時間でも仮眠を取れたなら、随分と頭もスッキリとなるのでは、と何度も考えた。

 しかし、先程の狸の死骸を目撃してからは考え直した。車体の頑強なポリス・カー。果たして熊等の大型の襲撃にも耐えうるものであろうか。するどい肥爪でタイヤでも傷つけられてしまったら、それこそ身動きが取れなくなる。

 やはり、せめて一軒でも人家があるところまで、私の腕と脚にはなんとか持ちこたえてもらわなければいけない。普段、トレーニングをして来なかったことが悔やまれる。

 ラジオからの音楽が一旦休止し、ラジオのパーソナリティの語りが入る。この森の中でも人の声が聴こえて来ることがありがたい。静寂の中にては地の果てにいるような錯覚を起こしてはいるが、ここまで電波が入って来ると言うことは、仮に上空から見下ろしてみたら、すぐ近くに村があるのかもしれない。

 ラジオのパーソナリティは、視聴者が応募して来た電話番号の一つにランダムに電話を掛けて談話をするところであった。

 視聴者の一人が応答した。彼女は電話が掛かって来た喜びのあまり絶叫をしていた。

「Oh my god! Oh my god!(えー信じられない、なんて嬉しい!)」

 やはりアメリカである。人々の感情表現が明解である。生放送であるので、こんな時間でも他に起きている人がいたことが心強い。

「今晩は、貴方の名前とお住まいは?」

「パトリシア、ジェファーソン・シティ(ミズーリ州)」

「ハイ、パトリシア、パティって呼んでいいかしら?今晩はどんな気分?」

「最高、と言えればいいところだけど、あいにくそうとは言えないの。I am devastated(打ちのめされているのよ)」

 パーソナリティは大袈裟に「Oh」と悲観の声を挙げる。

「パティ、何があったの、差し支えなければ話してくれる?」、パーソナリティは、静かに寄りそうような声調にて訊ねる。
 
 何があったのであろうか。家族に不幸でもあったのであろうか。パティという人の声から判断をすると30歳前後ではないかと思われた。好奇心は私にラジオの音量を上げさせた。葉子さんは多少の雑音があっても決して目を覚まさない。

「昨日、車の塗装を塗り替えたばっかりだったの。それなのに雹(ひょう)が降って来てしまって、滅茶滅茶になっちゃったのよ。20万円も掛かったのに」

 電話の向こう側からはパティのすすり泣きが聴こえて来た。ラジオのパーソナリティも必死に慰めようとしている。

 パティという人の家族に不幸があったのかと危惧していた私は、多少拍子抜けしたような気分であったが、本人にとっては「打ちのめされる」、という程度の重大な事件だったのであろう。歓喜したり、その直後には泣いたり、直情的なところはアメリカ人特有なのであろうか、一概にそうとは言えないかもしれない。

 国道の勾配は、今のところ緩やかではあるが、次第にその頻度を増していた。そのつど葉子さんの上体は私のほうへ倒れ込んで来る。

 しばらくはラジオのパーソナリティとパティの会話にて気を紛らわせることが出来た。

 パティの車の塗装を損壊したという雹(ひょう)の語彙でふと想起したことがある。

 数日前、ルイジアナ州に南下している途中、アーカンソー州メンフィス市のモーテル6に宿泊した時のことである。


motel-1650418_1920_Falkenpost


 出発の朝、レセプションのある建物で宿泊料を払って部屋に戻り、ドアを開けた時、部屋の中では想像もしていなかった光景が繰り広げられていた。

 部屋の洗面所から水が溢れ出ており、辺りの絨毯が水浸しになっていたのだ。

 葉子さんは、ベッドの上に立って、飼い主が帰宅した時の犬のような無防備な表情で私の顔色を窺っていた。

「葉子さん、一体何があったのですか?」、私が部屋を離れてまだ30分間も経っていない。

「トイレが詰まってしまって」、葉子さんが呟くように説明した。

 私は、靴を履いたまま絨毯の上を進み、洗面所のドアを開けた。便器の中には果たして大きめの生理用ナプキンが二枚投げ入れられていた。

 トイレタンクの蓋を開けてみると、タンクの排水弁が閉まらなくなっており、水は詰まった便器に流れ出し続けていた。生理用ナプキンが排水を遮っているため、流れ続けている水が便器の外に溢れ出していたのだ。

 その瞬間、私はすべてを投げ出して、一人でアイオワ州に戻りたくなった。何故、これほど常識外れな人と一緒に旅をすることに決めたのであろうか。「葉子さんには関わらない方が」、という親友の由美子の言葉が脳裏から突如飛び出す。

 しかし、このモーテルの宿泊費は私の小切手で払っている。損害賠償が課されるとしたら私の方である。何とかしなければならない。

 受付に座っていた高齢の男性の不愛想な表情が脳裏に浮かぶ。東洋人に対して好ましい感情を抱いてないのかもしれない、と思わせられる態度であった。この状態をあの人に目撃されるまえに始末しなければならない。

 とにかくトイレタンクの水を止めなければならない。タンクの浮玉がプカプカと浮いているままなので、排水弁も下まで降りずに排水溝は空いたままであった。

「葉子さん、生理用ナプキンを取り出して下さい。何でこんなものをトイレに流そうとしたんですか?」

「そんなこと掃除の人がやってくれるわよ」

 状況をまったく把握していないとも思われる葉子さんの悠長な態度に私は愕然とした。

「葉子さん、状況が見えていないんですか?モーテルから損害賠償金を請求されたら、私は一銭も払いませんから」、私はほとんど叫んでいた。通常私は大声を出すことをしないため、葉子さんはようやく状況を理解しつつあったようである。

「わかったわよ」、観念した様子で、葉子さんは靴を履いて洗面所に入って来た。

 そのあと私達はなんとか、排水弁を固定させ、流水を止め、タオル、足拭きで絨毯の水を何度も拭き取り、バスタブにてその汚水を絞り出した。

 二時間後、絨毯の染みがそれほど顕著でなくなった時、私たちは逃げるように車に飛び乗った。

 葉子さんは何度か謝罪をしたが、私はしばらく口を利かなかった。出来れば顔も見たくない心情であった、「グレイハウンドバスでも何でも乗って勝手に一人で帰って下さい」、という言葉が喉元にまで上がっていた。

 じきにルイジアナ州の沼の多い地帯に差し掛かり、運転に非常に集中を要した。そのためか、私の怒りと苛つきも沼地帯を通過した頃には多少収まっていた。この出来事は数日前に起きたことであったが、未だに鮮明に記憶している。

 ラジオのパーソナリティは次の応募者と電話で話をしていたが、私の思考はメンフィスのモーテルに飛んでいたため、ラジオの語りにはまったく集中出来ていなかった。
 
 今も熟睡をしている葉子さんの横顔を一瞬盗み見た。半分口を開いて窓に寄り掛かっている。

 この人はどのような生き方をして来た人なのであろうか。若輩の私にでさえ理解出来る常識さえもわかっていない。甘やかされて来た令嬢か何かで、自分でいろいろと努力をする必要がなかったのであろうか。

 それはおそらく違う。屋根裏部屋で、お金を分けたビニール袋を数えていた悲愴な後ろ姿が髣髴された。そこには、令嬢の纏うオーラのようなものは一抹も感じられなかった。

 結局、ニューオーリンズでは、ハックルベリー・フィンの小屋は訪れることが出来なかった。この小屋は旅行の究極の目的地であったはずである。

 それさえもこの人の責任ではないだろうか。そう考えてみたいものだが、そうとは断定できない。あるいは、私自身の責任だったかもしれない。しかし、実現出来なかったことの責任を今さら追及しても不毛である。いずれにせよ、無事に帰宅が出来たのなら、今後、この人と何かを一緒にするということは無いだろう。

 
 国道の勾配は徐々に厳しくなって来る。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?