見出し画像

138億年の時間の中で☆第32話☆「光の差す方へ③」            

 2学期が始まるとまもなく、進路担当の先生と11月の結合実習先を決定する話し合いをしました。結合実習とは、進路先を決定する最終段階に位置する取り組みです。一般的な就職活動の最終面接にあたるか、またはインターンかな。夏休みの体験を通して、本人の反応が一番よかった事業所にしました。この事業所がいいとかいやだとか言葉で表現できなくても表情や身体が正直に反応してくれるので、私はそれを拾い上げるだけ。普段の生活の中での彼の表現にアンテナを張っているから判断はすぐにできました。こんなにあっさり決めちゃって大丈夫なのかな?と不安がないわけではないけど。
 わたし達は言葉をつかって気持ちや考えを表すのだけれど、なんだか上手くいかないことがよくあります。発信者と受信者のバックグラウンドが異なれば、微妙に差異が生じることは分かっているのに。言葉が上手く使える知能がある人は、言葉によって物事を理解するからどこか感じる力が浅いし、口の上手さがかえってコミュニケーションを阻害している気がするなんて思うようになったのは長男のおかげ。彼は言葉に騙されないし、悪意ある嘘はつかない。「みんなと同じことができないのはしかたがない」のではなくて、「同じことができないからこそみんなが出来ない事ができちゃうんだよ」と心の底から思えることが嬉しい。
 仕事とお金の関係だってそう。どんなに好きな仕事に取り組んでいても最低賃金の額と価値を理解できるからこそ、労働の対価が妥当かどうかと自動的に判断してしまうのが私。稼げれば稼げるほど、ついつい自分自身の価値すら数値に置き換えて測ってしまいがち。あげくに苦しむ。数値に踊らされる。誰かに煽られた過剰な欲望の罠に囚われて、もっともっとと際限なく大きな数字を求めちゃう落とし穴。だとしたら、経済的脆弱性と引き換えに数値の罠には引っかからない力をもっているのが重度の知的障害者の強みなのかもしれない。6月からオープンしたT‘sカフェの無料コーヒーは彼の気まぐれに振り回されながらも細々と続いています。気鋭の組織マネージャーの友人が長男に眩しさを感じているのだから、この世界って面白い。
 さて、結合実習の話に戻すと、彼が選んだのは座学や体験をとおして色んなことを学ぶ自立訓練事業所。夏休み中に3日間の体験を通して、街に出て買い物をすることが楽しくなった様子。予定の無い日曜日にハーバーランドのピタゴラスイッチ見に行きたいと言い出しました。自動販売機でジューズを買いたいと言い出しました。連れて行ってもらいたい、買ってもらいたいというスタンスから、自分で行きたい、自分が買いたいへと変わったようです。これは大きな変化だし、成長です。ジュースの170円は読めないし、数値の量的な価値は理解できない。できる日がくることは期待してないのが本音だけど、わたしは教えます。これが100円。これが10円。100円玉1枚と10円玉7枚で170円になれば買えるんだよ。説明をうけて理解した風に頷くのだから笑っちゃう。こんな毎日を重ねていけば、なんとかなるのだろうなと思いながら、お財布から出ていくお金の勘定をしてしまう私がいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?