いい顔してたい時ってあるよね、人間
まあ、それだけが現実じゃないんですけど。って心の中で呟くオチ。
SNSで人気のあいつらに溶かされる数えきれない時間
人って綺麗な自分を見せたがるじゃないですか。
いい側面に憧れて群がるじゃないですか。
「朝は5時に起きて、ランニングしてから一日を始めます」とか
「移動中はスマホでネット見ずに、英単語やってるんです」とか
「夜に30分だけでも勉強するようにしてて」とか
「月に◯冊は本を読むようにしてます」とか
「半年で◯◯kg落とした私のモーニングルーティン✨」とか
みたいなのが、TikTokとか、Instagramとかでは人気じゃないですか。
自己啓発系のショート動画とか、こうしたらこれができるようになりました!みたいなコンテンツって、見ちゃうじゃないですか。しかも理由も区切りもなくだらだらと。
それで、「いやーーそうだよねーーふむふむなるほどね、やってみるかぁ」って脳では思いながら、指は次の動画をスクロール。その時にはさっきの「ふむふむなるほどね」なんて忘れてるわけですよ。学んだ気がしただけで何ひとつ学んでないんですね。それで残るのは、またよくわからないものに時間を溶かしてしまったという罪悪感。
人は何回これを繰り返すんでしょうか。
(次でやめよう、あと何分で終わろう、って思っても、気づいたら30分過ぎてます、みたいなことなんてザラにある。それで睡眠時間削られたりする。自分にとって実質不利益しかないのにコントロールしきれないまま半分意識的にループにハマっていけるっていう。ほんと面白いっすよね人間って。バカ。)
あ、ここで言ってる人・人間って全部矢印自分なんすけどね、ハハ.…
毎年やりたいことリスト上位にいるやつ
なんの制限もなしにやりたいことを書き出す時、出てくるのってだいたいそういう「結果論」なんですよね。特に年始に出すバケットリストとか。
(今年こそ)生活習慣を身につける
(今年こそ)英語の勉強をする
(今年こそ)バンジージャンプに行く
(今年こそ)犬にちゃんと毎日会いに行く
(今年こそ)エトセトラ・・・
こんな感じのことって、今年こそ!と思って書くし、今年こそ!と思ってそれをしている時/その後の自分を想像してわくわくするんだけど、結局消化されることはなく、また次の年のバケットリスト上位にランクインするんですよね。なんなんでしょうか。
結局今年も成仏させてあげられてないな。
ついついいい顔しちゃうんだよね
自分のいいところは積極的に外に出すけど、そうじゃない面は基本的に出さない。
調子がいい時しか、外に見せない。
調子が悪い時は、いい面だけを切り取って外に出す。で、ちょっと自分が負けてるような気がしてるような人の毎日充実してます話が耳に入ってきて、劣等感と嫉妬心に苛まれる。
「け、住む世界が違うんだ」って、環境のせいにする。
最近は早起きの習慣がついてきたり、歩いたり走ったりできて体の調子がよかったり、本を読めていたり、人の話を素直に聞けていたりと、なんか自分いいなって思って、嬉しくなってそういうことばかり誰かに話したりSNSに載せますが、
ひとりでいる時はSNSのどうでもいいコンテンツに時間溶かされてるし、お腹も空いてないのに甘い物食べちゃうし、二度寝するし、昼寝もするし、たいてい部屋の床に靴下転がってますもん。
そんな「いい顔じゃない自分」をさらけ出して、「あははーーそうだよねーーー!!」とか言い合える存在を求めていたりするのかもしれない。
2023/11/5 Sun @右側には鼻を噛んだティッシュの山があります
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