あかなめ

北陸在住です。北陸がイケてない点はデニーズがないことです。デニーズでまったりしたいです…

あかなめ

北陸在住です。北陸がイケてない点はデニーズがないことです。デニーズでまったりしたいです。デニャーズに会いたいです。ココスはいくらでもありますが、しょせんはすき家、行く気なんかしません。メッセージは 𝕏 までお願いします。

最近の記事

精読「ジェンダー・トラブル」#046 第1章-6 p67

※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  唯物論者がフーコー派から批判を受けたという話の続きです。  カント以来、〈物自体〉が決して認識できないことは哲学の常識です。  生物学的に見て男女が異なるのは明白ですが、人はその違い自体を直視することは不可能で、必ず〈物自体〉を覆う〈意味のヴェール〉ごしにしか違いを知ることはできません。そして大事なのは、その意味でなくてはならない必然性がないことです。原

    • 精読「ジェンダー・トラブル」#045 第1章-6 p66

      ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  二元的な性的アイデンティティはどのように撹乱されるのかについての、唯物論者とラカン派との比較の続きです。  法の「まえ」というのは前エディプス期における未分化の性欲動、あるいはそれがエディプス期を経た後、無意識からひょっこり現れることを指します。法の「あと」というのは唯物論的な革命のようなものが起こった後を指します。「支配のただなか」というのはそのいずれ

      • 精読「ジェンダー・トラブル」#044 第1章-6 p65

        ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  ローズもギャロップも私の知らない人です。ネットで調べてもあまりよく分かりません。二人ともフロイトやラカンに詳しい人のようです。  「物象化されたセックスの二極を精神を介在させずに繰り返す」とは、男女という二つの実体が、家父長制(女へのラベリングと性別役割分業)により自動的に再生産される、ということです。  このような考えはあまりにも硬直的で、実体の形而上

        • 精読「ジェンダー・トラブル」#043 第1章-6 p64

          ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  今回はアカデミズムの世界において〈ラカンわからん〉で有名なラカンが出てきます。  私は思想家の考えを学ぶとき、とりあえず原典(の日本語訳)を開いてみることにしています。内容が一部しか分からなくても、解説書は見ずに、とりあえず読み進めます。思想で大事なのは、結論ではなく、あーでもない、こーでもない、という思考のプロセスだと思うからです。また、原典はやはり文章

        精読「ジェンダー・トラブル」#046 第1章-6 p67

          精読「ジェンダー・トラブル」#042 第1章-6 p63

          ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  同性愛が抑圧的な「セックス」という虚構を破壊する、というウィティッグの主張の続きです。  前頁(#041)の内容が頭に入っていれば、この文の意味については説明は不要でしょう。  セクシャリティを生殖の観点から組織化することが女の抑圧につながっているのだから、それをやめればいい、という主張です。  しかしこれでは解放はおろか、批判しているはずのフロイト的な

          精読「ジェンダー・トラブル」#042 第1章-6 p63

          精読「ジェンダー・トラブル」#041 第1章-6 p62

          ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  「たしかに〜同調している。」の部分は、それに該当する説明が本書内にないので、そうなんですか、と言うほかないです。  言語というものは人が生まれる前から存在します。ソシュール曰く、言語は基本的に保守的で、シニフィアンと別のシニフィアンの関係性や、シニフィアンとシニフィエの対応がコロコロ変わったりはしません。言語は保守的であるからこそ、人は意思疎通ができるので

          精読「ジェンダー・トラブル」#041 第1章-6 p62

          精読「ジェンダー・トラブル」#040 第1章-6 p61

          ※ #039 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  「与件」は哲学において、無前提に使えるものの意味です。一般にセックスとは、自然なもの、誰でも(赤ちゃんでも)見て触ってそれと分かるもの、元々身体に備わっているもの、と考えられているーーというのが文意です。  しかしそれは「精巧につくられた神話的な構築物」であり「想像上の組成」だとウィティッグは主張します。  「強制的異性愛」の下では、人の抱く「欲望」は異

          精読「ジェンダー・トラブル」#040 第1章-6 p61

          精読「ジェンダー・トラブル」#039 第1章-6 p60

          ※ 全体の目次はこちらです。  今回から第1章「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」の最終節「六 言語、権力、置換戦略」を1ページずつ精読していきます。  ウィティッグについては 50頁(#030 参照)に出てきました。  「実体の形而上学を批判」とあるのは、ジェンダーを幻想の産物だと主張していることが当たります。  「人間主体や個人を温存」とあるのは、レズビアンが男と同様の主体となるのだと主張していることが当たります。  男根ロゴス中心主義がジェンダーという幻想を作り

          精読「ジェンダー・トラブル」#039 第1章-6 p60

          精読「ジェンダー・トラブル」#038 第1章-5 p58-59

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  二元的ジェンダーの虚構性が暴かれるためには、不調和な属性の戯れが必要だ、という議論の続きです。  1950年代生まれの私の母は、赤ちゃんをおんぶする大人の男の姿を見て〈男が赤ちゃんをおんぶするなんてかっこ悪いからやめてほしいよね〉と小学生の私に言っていました。当時の母の中では(そして当時の社会では)〈男〉と〈おんぶ〉は調和しないものでした。専業主婦が主流

          精読「ジェンダー・トラブル」#038 第1章-5 p58-59

          精読「ジェンダー・トラブル」#037 第1章-5 p57

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  両性具有者エルキュリーヌは、医師や法律家の介入を受けるまでは、「アイデンティティのない幸福な中間状態」にいた、とフーコーは記しています。詳しくは次の hiyamasovieko さんの記事を参照ください。  〈われ思う〉は実際は〈思うのはわれ〉であり、まず思考が発生し、あとから、あくまで文法上の制約により、〈われ〉という主語が生じる、という議論がありまし

          精読「ジェンダー・トラブル」#037 第1章-5 p57

          精読「ジェンダー・トラブル」#036 第1章-5 p56

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  この直前の文で、バトラーはフーコーの主張をこう結論づけています。  フーコーによれば、異常性欲の発見と治癒を使命とする性科学を根拠として、健康促進・子孫繁栄のために「性的な経験や行為や欲望」を科学的・客観的・解剖学的に調べようとするセクシュアリティのあり方が、性器の相違をすべての根本原因であるとみなす考え方を生み出しました。  法は、法が生み出した現実を

          精読「ジェンダー・トラブル」#036 第1章-5 p56

          精読「ジェンダー・トラブル」#035 第1章-5 p55

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  「この三者」とは、セックス、ジェンダー、性的欲望のことで、これらが〈男:オス=男らしい=ストレート〉〈女:メス=女らしい=ストレート〉という形で統一されていると前提することが「形而上学的な統一」です。  これら二つの「対立するジェンダー」は、「対立的な関係をとおしてそれ自身を差異化」(54頁 #054 参照)しようと「欲望」します。それが「異性愛の形式のな

          精読「ジェンダー・トラブル」#035 第1章-5 p55

          精読「ジェンダー・トラブル」#034 第1章-5 p54

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  「女のように感じる」、「男のように感じる」などと日本語では言わないので、慣用句なのかな?と思い〈I feel like a man.〉を DeepL で翻訳してみると、〈男になった気分だ〉〈男らしくなった気がする〉と翻訳されました。  男が〈男になった気分だ〉とは言わないでしょうが、〈男らしくなった気がする〉なら言ってもおかしくありませんので、「意味のない

          精読「ジェンダー・トラブル」#034 第1章-5 p54

          精読「ジェンダー・トラブル」#033 第1章-5 p53

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  この「ジェンダー」は文法的ジェンダーのことです。月は女性名詞、太陽は男性名詞、というやつです。  フランス人は何を考えるにしろ文法的ジェンダーからは逃れられないので、男女二元論的なジェンダーが「自明の事項」のように見えてしまう、とウィティッグは考えます(視野狭窄的な考えですね。日本語や中国語にはジェンダーはないというのに)。  英語の be 動詞にあたる

          精読「ジェンダー・トラブル」#033 第1章-5 p53

          精読「ジェンダー・トラブル」#032 第1章-5 p52

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  ミシェル・アールとはどんな人なのか?とググってみると、男装カフェ・ミシェルのあーるさんしか出てきません。いやぁ、世の中いろんな職業があるもんです。  中立的・客観的に見える〈ひと〉という〈実体〉は、どのような経緯で生まれ、現実にどのような影響を与えるようになり、誰に便益を与え、誰を排除しているのか、といったことを探るのが「系譜学」です。それによって「破壊」

          精読「ジェンダー・トラブル」#032 第1章-5 p52

          精読「ジェンダー・トラブル」#031 第1章-5 p51

          ※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。 ※ 全体の目次はこちらです。  イリガライは〈ひと〉に異議を唱えましたが、ウィティッグは、女ではなくレズビアンこそが〈ひと〉になるのだ、と主張することで、〈ひと〉を追認しました。  ウィティッグは唯物論者、イリガライは本質論者の傾向があります。  唯物論であるマルクス主義フェミニズムおよびその派生形であるラディカル・フェミニズムの考えを至極大ざっぱに言うと、男女の区別が革命のようなもの

          精読「ジェンダー・トラブル」#031 第1章-5 p51