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精読「ジェンダー・トラブル」#028 第1章-5 p48

※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。
※ 全体の目次はこちらです。

フランスのフェミニズムやポスト構造主義の理論領域を見わたせば、セックスのアイデンティティ概念を生みだすと理解されている権力体制はまちまちであることがわかる。たとえばイリガライのように、セックスは男のセックスひとつしかなく、それも《他者》を生産するなかで、それをつうじて、作りあげられるという説と、フーコーのように、男のセックスであろうと女のセックスであろうと、セックスというカテゴリーは、セクシュアリティを次々と規制していく機構エコノミーによって生産されるという説のあいだの隔たりを考えてみればよい。

「ジェンダー・トラブル」p48

 イリガライについては #015 を参照ください。
 フーコーは、性科学と生権力のタッグにより、性についての言説が爆発的に生み出された結果、性に取り憑かれたような近代的セクシュアリティが成立したと言っています。
 たとえば寄宿舎では、寝起きする少年たちがオナニーをしないようありとあらゆる策がとられ、その結果少年も教師もオナニーのことしか考えられなくなるような空間が生まれました。
 このように、まず「機構エコノミー」(フーコーの言葉では〈装置〉)がどーんとあり、その舞台の上で老若男女が「磁場」(フーコーの言葉では〈生権力〉)に翻弄される、というのがフーコーの基本的な世界観です。
 このフーコーの世界観は、女たちを排除した男たちが好き放題やっている、というイリガライの世界観とは全然違います。
 ですが、両者ともにセックスのことを語っているのです。

また、セックスというカテゴリーは強制的異性愛の条件下ではつねに女である(男性的なものにはしるしがつけられず、それゆえ「普遍」と同義となる)と主張するウィティッグの説を考えてみればよい。

「ジェンダー・トラブル」p48

 「ウィティッグの説」は少し後で出てきます。
 ウィティッグという人ですが、Wikipedia を見ると彼女はウーマンリブの世代のラディカル・フェミニストだということが分かります。が、それ以上のことについては私には分かりません。ウィティッグは私が図書館で借りてきた「フェミニズム大図鑑」という本に扱いがないため、それほど有名な人ではないのかもしれません。それに、この後バトラーはウィティッグを酷評しかしていないので、なぜバトラーがこの人を採り上げたのかもよく分かりません。

今挙げたさまざまな説明モデルは、権力の磁場をどう分節化するかによってセックスのカテゴリーの理解が大幅に異なることを示している。こういった権力の磁場の複雑さはそのままにしたままで、それらの生産能力をひとつにまとめて思考することは可能だろうか。

「ジェンダー・トラブル」p48

 イリガライとフーコーの世界観はずいぶん違いますが、それらは「権力の磁場をどう分節化するか」によって見え方が異なっているだけで、バトラーは両方ともおおむね正しいと考えています。たとえば円柱を上から見ると円に見え、横から見ると長方形に見えるが、どちらも同じ円柱だ、という話です。
 この、いろいろな見え方をする「複雑」な「権力の磁場」から生じる権力を、「ひとつにまとめて思考する」ことをバトラー は画策しています。円柱で言えば、それを3Dモデルとして理解できれば、そこから上から見た図も横から見た図も共に求めることができます。そんなモデルは何か、を以下議論していきます。

(#029に続きます)

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