徒然物語48 「化け物 VS. 銀杏」

昼下がりの事務所は、陽気な気候に程よい気温、昼食後の満腹感も相まって、何とも言えない穏やかな空気に包まれていた。
 
普段はガミガミうるさい上司も、今日は出張でいない。
 
何とも言えない幸福感が周囲に漂っているかのようだ。
 
けれど、好事魔多しというやつで、こんな時に限って、あいつは現れる。
 
“睡魔”という名の危険な化け物。
 
あいつは気が付くと隣に現れ、甘い言葉をかけてくる。
 
「この場で、ほんの5分でも舟を漕いでみろ。サイコーに気持ちいいぞ~」
 
コクリ。
 
一瞬意識が飛ぶ。
 
いけない、いけない。
 
慌ててキーボードを叩く。
 
「無駄無駄。そんなものを強く叩いたって、おれには勝てないよ。ほ~ら、目を瞑ってみろ。そこは、別世界だぜ~?」
 
化け物が、おれの耳元で囁く。
 
ダメだ!耐えろ!耐え…る…ん…だ…
 
意識が遠のいていく。化け物が発する魔力になす術なく、その身を委ねようとした、その時だった。
 
「銀杏、食べます?」
 
後輩の浅見沢くんが、さっきまで化け物がいた場所に、いつの間にか立っていた。
 
おれははっとして浅見沢くんを見上げる。
 
「ですから、“ぎんなん”ですよ!うちの裏山で採れたんで、さらっと揚げてみたんです。とっても美味しいんで、皆さんに食べてもらおうと思いまして。」
 
状況が呑み込めないおれに、浅見沢くんはなおも続けた。
その顔には照れ笑いがぶら下がっていた。
 
彼は、どこか天然で憎めない、愛されキャラ。
仕事での失敗は多いが、持ち前の明るさで何とか乗り切ってきた後輩だ。
 
「は?銀杏?これを、おれに…?」
 
まだ状況の整理が追い付かない中、かろうじて言葉をつなぐ。
 
浅見沢くんはにんまりと笑顔でうなずき、銀杏の乗った小皿を差し出してくる。
 
「口うるさい部長がいない今日くらい、羽を伸ばしましょうよ!」
 
周りを見渡すと、受け取った奴と、受け取っていない奴、半々くらいか。
 
なんで銀杏なんだよ…
 
丁重にお断りしたい気持ちが先立ったが、睡魔を吹き飛ばしてくれたお礼に、いただくことにした。
 
「あ、ありがとう。いただくよ。」
 
添えられた爪楊枝で一つ口に運ぶ。
 
浅見沢くんが期待を込めた目線を送ってくる。
 
「う、うん。まあ、美味しいよ。料理好きなのか?」
 
よく噛まずに飲み込んでから、かろうじて言葉を吐き出した。
 
「いや、そんなに得意ではないんですが、銀杏余ってたんで、はりきって作ってみました!喜んでもらえて嬉しいです!」
 
浅見沢くんは、にこりと笑って、次のターゲットを探し始めた。
 
おかげで睡魔はきれいさっぱりいなくなった。
 
それにしても、この銀杏、恐ろしく不味いなんて、口が裂けても言えないよな…
 
おれは、浅見沢くんにばれないようこっそりと、飲み物を求めて冷蔵庫へと向かった。


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