応援の品格 ~雑記・雑感 37~

きっと起きたら勝利のニュースをヤフーの一面で見られるかもしれない、という気持ちで、サンタクロースのプレゼントよろしく、早めに眠りにつきました。

サッカー応援してないんかい!と言われそうですが、応援すると品格がなくなる人っているじゃないですか、それが私です。

クロアチア戦というと、伝説の「QBK」(「急にボールが来たので…」)を思い出すので、血圧に悪そう。ですので、ブラジルのワインも買ったし、それなりに身銭を切ったなと思い、寝ることにしました。

応援の品格というと、子どものころの話があります。

まだドームになる前の後楽園球場に、父が私を連れて行ってくれました。超満員の巨人×広島戦。父親はアンチ巨人でしたが、チケットを買えたのがライトスタンドの一番奥という過酷な場所。私はそこで肩車をされながら、試合を観戦していました。

広島には高橋慶彦という選手が当時いました。「夜の盗塁王」と言われたほどモテたそうです。確かに、高橋慶彦選手が打席に入るたびに、内野席から「黄色い声」が飛んでいたのを、子ども心ながら覚えています。セカンドゴロなのに、キャーキャー言われている、そんなイメージでした。

そんな慶彦選手が第二打席に入った途端、肩車している父の隣にいた、長髪でメガネをかけた赤軍崩れっぽい若い男性が、「慶彦死ね~!」と大声を出し始めたじゃありませんか!私は、満員でぎゅうぎゅうになっている球場にも辟易しておりましたが、その妬み嫉みを含んだ重たーい声援を今でも覚えています。

高橋慶彦選手は、いまや「ヨロピコ!」で著名なプロOBチャンネルの代表の一つになっています。私も、デーブ大久保コーチ、慶彦さん、古田さんのチャンネルは面白くて見ています。しかし、それを観るたびにいつも、あの赤軍派みたいな外見のアンちゃんが腹の底から絞り出した「慶彦死ね~!」が、思い出されてしまうのです。

その後、野球を観戦することはなくなりました。この経験がきっかけだったというわけではなく、昭和の観戦スタイルに、自分があっていないと感じたからです。TVで見る分にはイイのですが、現場での観戦は、興奮が同調行動によって拡がって行くのがわかります。それが怖いので、現地の観戦を避けるようになりました。これは実はライブや集会でも同じです。したがって、私は観戦と応援一般についていつしか臆するようになっていました。

ギュスターヴ・ル・ボンという19世紀末に活躍した著述家がいて、流行論の元祖として取り上げられます。主著は『群集心理』。講談社学術文庫に入っています。

ル・ボンは、どちらかというと警察官僚OBの立場から、群集がいかにして感情(不満や怒り)を伝染させていくか、という問題を追究し、群集行動の心理的な解釈を提示しました。心理内容が、集合した状態で身体的所作を同期させることによって、伝染するという説を唱えています。

ざっくりしすぎた紹介ではありますが、このル・ボンの解釈と同じような現象が、先日の梨泰院や一部のフーリガン的な観客行動に現れているように思うので、たぶん私は観戦しての応援や、集合行動それ自体に対する怖さが生まれてきてしまっているのだと思います。

ル・ボンの『群集心理』を読んだ時、私がなぜ集合、集団、群集の一人に含まれる状況をいやだと思うのかがわかったような気がしました。

もちろん、これはポジティブな心理内容の感染にも応用できると思います。フェスやクラブのような空間で、ある種のアッパーな心理内容が感染していくというのも、その一種ではないかと思います。

ル・ボンの本は100年以上前の本なので、今はあまり専門家以外に読もうとする人は多くなさそうですが、群集行動を解釈した本としては、意外に納得できる内容が多いです。ただ、多くは観察のみに基づいておりますので、エビデンスは俺の感想!となっている点は否めませんが。

まあ、純粋な感想ではなく、事例を多数見て、その上で解釈をしているので、悪くはないんじゃないでしょうか。

応援そのものが嫌いなわけではありません。

ただ、人は「裏方を積極的に希望する人」と「演者を積極的に希望する人」の二種にまずは別れるような気がしてなりません。その中で、グラデーションをとっていったとき、私は「演者を希望したいんだけれども、人に望まれていないとやりたくない人」という、たぶん一番面倒なタイプなんだと思います。

観客というのは究極の裏方であり、売り上げを支えることで業界の存続に不可欠な支援を与える存在です。「推し活」と言われるように、単なる消費者であることをやめて、支援者でもある消費者という存在へと変化しているのが昨今です。支える、支援する、応援する喜びというものが、観客の品格として備わっているのがベストだと思います。

しかるに、私はといえば、その品格が備わっていないと、痛切に自覚するわけです。本当は俺だってそこに出たいよ、と身の程も知らずに思うタイプの私は、永遠に観客の品格を身につけられないのだと思います。できもしないくせに、「何やってんだよ、おい吉田!」と言ってしまいそうだからです。それはいけない、本当にいけないことだと思います。

いずれにせよ、私が注文したブラジルワインの赤(バルベーラ)と白(シャルドネ)は、水泡に帰しました。ブラジル南部のリオグランデ・ド・スル州あたりは、イタリア移民によって、イタリアワイン的なものが生産されているそうです。なので、私もイタリア品種のバルベーラを敢えて頼んでみました。

韓国のために飲んでやれよ、と思うのですが、到着日は「9日」に設定してあるので、せっかくですからクロアチアに塩を送ることにしましょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?