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ダンディズム・ノート 3 ~生田耕作『ダンディズム 栄光と悲惨』~

ダンディズムの祖であるジョージ・ブライアン・ブランメルについての事実性がイマイチフワッとしているのは、ウィリアム・ジェスの『ブランメル氏の生涯』が邦訳されていないからだろう。邦訳なんて必要ない、と思う人が多いのだろうか。でも、邦訳があってもいいと思う。

ウィリアム・ジェスの伝記を安いKindle版で購入したけれど、読みにくいのと、英語が古い。ここまで「史料」じゃなくていい。現代英語に直してほしいという感じがする。拾い読みしかできない。‟The life of George Brummell commonly called Beau Brummell by William Jesse: In 2 voll Volume 1 (English Edition)”という奴ね。

ジュール・バルベー=ドールヴィイの"Du Dandysme et de George Brummell"も、邦訳はなさそうだ。生田耕作氏のこの本が、それらを読んだ上で書かれているので、ここで①を読むといいかもしれない。

①ボー・ブランメル
②落日の栄光
③ブランメル神話
④冷たい偶像
⑤ウィリアム・ベックフォード小伝
⑥老いざる獅子
⑦ダンディズムの系譜
⑧付記

バルベー=ドールヴィイは書く。

ヤームース、バイロン、シェリダン、そして様々な種類の栄誉において名をあげた、当時の他の多くの連中は、ダンディであるとともに、それ以上の何物かであった。或る者においては、情熱または天才、他の者においては高貴な家柄、莫大な財産であったその何物かを、ブランメルはまったく持ち合わさなかった。その欠如から彼は得るところがあったのだ。というのは自分を際立たせるものの力だけに還元され、彼は一つのものの高みにまで己れを高めたのである。すなわちダンディそのものになったのだ

スタンダールの『赤と黒』もそうだけれども、伝統や名声、財産をもたぬ人物が才覚のみでのし上がる時代。ブランメルはまさにその身だしなみについての徹底的なこだわりによって、社交界の華となった。これは、一種のYoutuber的立身出世と同じものなのかもしれない。

有名だから影響力を持つ。有名性という力。お騒がせセレブリティと同じ。

でも、そんなブランメルがどう生きたのか。

年表。

1778 生誕
12歳 イートン校入学
   卒業後、オックスフォードに進学
   在学中にのちのジョージ四世と出会う
1794   近衛第10軽騎兵隊へ配属
18歳 大尉に
1795   皇太子と結婚したキャロラインの付き添い役の騎士としてブランメルが指名
21歳 騎兵隊がマンチェスターに異動するにあたって、除隊
1816   ロンドンから借金のために逃亡
1840   フランスで死去
(小林章夫『イギリス精神 「紳士の国のダンディズム」』PHP研究所1994)

このざっとした流れを知らないと、生田本は飛び飛びで書かれているので、理解が難しい。

生田を加えた年表。

1778  生誕
1790  12歳 イートン校入学
    卒業後、オックスフォードに進学
    ジョージ三世から所領地の管理を引き受けたサール夫人の館にて、のちのジョー 
    ジ四世と出会う
1794  近衛第10軽騎兵隊へ配属
1795  皇太子と結婚したキャロライン(カロリーヌ)の付き添い役の騎士としてブランメ
         ルが指名
1796  18歳 大尉に
21歳 騎兵隊がマンチェスターに転駐するにあたって、退職

 ーおしゃれな男たちがイギリス宮廷や社交界に出現ー
         〜1810くらいまで流行界の王者として、君臨
    のちのジョージ四世と仲違い、王宮を出禁となる

1816   ロンドンから借金のために逃亡
1840   フランスで死去
(小林1994に生田1999原著1975を追加)

早すぎたセレブ、ブランメル。


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