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チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』 3

児童虐待のニュースを聞くたびに、心を痛める。

思えば、この『オリヴァー・ツイスト』も、前半はただひたすら、児童虐待の現実が並ぶ。だからこそ、英国において、危険労働に従事する児童の保護規定が含まれた工場法のようなものが成立した、ことをなんとなく思い出した。

社会の児童に対する認識とは、そのようなものであろう。

良くて財産、労働力。国家としては、人口の数が必要なので、愛だのなんだのと子どもに対する社会の酷薄さをフィクションで塗り替えようとするが、エゴイストの集まりである社会にとっては、子どもの多くは厄介者にすぎない。

したがって反省しろと言われても、でき方とやり方を反省するくらいで、謝意や後悔というものは瞬時に消え失せてしまうのが、人間の本質なのではないだろうか。善意に頼るのではなく、善意を選択しないと不利になる社会設計を目論み、不利になる選択をすることに歯止めがかかるような人倫の参照項を作らないと、なんともならない気がしないでもない。

善意の少ない人間を非難し、排除し、隔離するだけでは、善意の少ない人間の善意をより削るような方向に向かわせる気がしてならないが、さりとて処方箋は見当たらない。

というわけで、結局何も言っていない。

さて、『オリヴァー・ツイスト』だが、3章に入って、ちょっと人生が動き出した。救貧院で虐待を受けているオリヴァーを、引き取りたいという人物がいく人か出てくるのだ。

あらすじ(3〜4)


オリヴァーは、おかわりをした罪で独房に入れられていた。そして、その罪を矯正するための折檻がなされていた。

そんな折、煙突掃除夫を探していたガムフィールド氏が、ポスターを見つけ、自分がオリヴァーを引き受けたいと名乗り出る。しかし、ガムフィールド氏は、児童労働をさせるだけでなく、その労働の中で児童が事故死してしまうことも多い、悪名高い人物だった。

委員会のメンバーは、ガムフィールド氏の申し出を検討するも、却下する。その理由は、5ポンドの支給金が妥当でないからだった。ガムフィールド氏は、果敢に交渉を始める。三ポンド十シリング、四ポンド、三ポンド十五シリング…。

白チョッキの紳士は、オリヴァーを厄介払いしたいために、ガムフィールド氏に奉公に出すことに決め、治安判事のもとへ連れて行った。

最初、治安判事は許可の書類にハンコを押すつもりだった。けれども、一瞬だけ、付き添いで来ていた教区吏であるバンブル氏の手が離れた瞬間に、オリヴァーの顔が嫌がっていることを見て取ったのだ。

そして、再度、治安判事はオリヴァーに聞く。本当に、煙突夫になりたいのかと。そして、オリヴァーは、勇気を振り絞って、嫌だという。

治安判事は書類にハンコを押さず、オリヴァーは救貧院に戻されることになった。


厄介払いをしたい救貧院の委員会は、オリヴァーの奉公先として、船乗りを考え、その予備調査に入った。しかし、その帰り道で、教区の葬儀屋のサワベリー氏に出会う。

教区吏のバンブル氏は、サワベリー氏に、オリヴァーという子どもを奉公に出したいと思っている旨を告げる。サワベリー氏は、それをいい提案ということで受ける。この会話のさなかに、救貧院の委員会がかつてやらかしてしまったことに関するあてこすりをサワベリー氏が述べたりするくだりがある。

サワベリー氏は、オリヴァーを一目見て気に入り、バンブル氏と話し合いの結果、引き取ることに決める。オリヴァーはびくびくしていたが、最終的にサワベリー氏の妻が飼い犬に用意していた肉をむさぼると、奉公に出ることに同意した。

そして、オリヴァーは葬儀屋として社会に出るのであった。

感想

男というのは不自由なもので、40も半ばになると政治の話が好きになる。

私の友人も永らくピアニストとして活動していたが、ここ2年の社会状況のせいで食い扶持がなくなると、政治活動に乗り出した。

私にとって、彼の困難は社会における問題によって生じているものであって、社会を変える活動の方が適切なのではないか、とアドバイスはしたものの、彼の中では社会=政治であった。

確かに、社会に対して一定の拘束力や変革を促す主体は政治ならびに政治家であるが、その変革をもたらすことのできる政治家を立法府に送り出すことに時間をとられると、そもそもの社会問題はいつまでたっても解決されない。

しかし、彼は政治活動の方に身を投げてしまった。この社会=政治の機能的混同をどうにも、40代男子はしがちなのである。

バンブル氏のような人物や、救貧院の委員会の人物たちは、確かに不快な人間である。しかしながら、この不快さは、経済原理や、社会における価値意識の正統性をバックに行われていて、これら人物たちに疚しさとともに認識されているわけではない。彼らは、自分たちは少なくとも、自分たちなりに役割を全うしていると思って、満足していることだろう。

バンブル氏が改心すれば、話は変わるのか、ガムフィールド氏がまともになれば、話は変わるのか。いや、おそらく、こうした子どもは適当に扱ってもいい、という社会通念に従って生きているわけで、社会通念の方をなんとかしないと、権威主義的なものに弱い人間たちの行動を変えることはできない。

社会通念を変えるための立法を行うのは、確かに政治家なのかもしれない。私は、彼の政治活動を決して邪魔はしないが、さりとて、やみくもに活動したところで、自分の資源を与えるだけ与えて、それで終わりということにもなりかねないと危惧する。

彼は、20代のころ、彼氏のいる思わせぶりな女性と仲良くなり、彼氏の愚痴を聞く役割を割り振られながら、彼女が別れるのを待っていた。そして10年がたち、彼女はその男性と別れるが、彼が告白しようと思ったとたんに、他の男性と結婚してしまうのである。

20代を通じて、時間と労力を彼女に与えるだけ与えて、それだけになってしまったことを残念に思う。あれだけ、脈がないからやめとけ、お前はただ振り回されているだけ、相談されるのは好きだからではない、という忠告をし続けていたにも関わらず、こういった結果になったことについて、忸怩たる思いもある。

おそらくその女性もやんわりとその気がないことを伝えていたんだと思うし、それでも友人で、と接する彼を断り切れなかったんだろう。彼女も災難である。彼にそのタイミングで社会的地位と金があったら、少しは変わったんだろうか。彼は、社会的地位と金にこだわらない自分がかっこいいと思っていたふしがあったが、やっぱり社会的地位と金がないと「こだわらない自分」は演出しきれないんだと思った。

おそらくいずれ、彼自身が一発逆転を狙って、自分が立候補することになるだろうが、その時には、友人として一言いわなければならないと思っている。

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