見出し画像

学業におけるやる気の話

どうも、ハタガミです。

今日は勉強のやる気について少し語ろうかと思います。
まぁかなり個人的な意見なので、あくまで参考程度に読んでいただければ幸いです。

私はやる気がある状態も、それが年単位で継続できたときも、逆にやる気が全くないときも経験しています。その差はなんなのか? という疑問を自分なりに考察していきます。

あなたは学生時代、学業のやる気はありましたか? 勉強時間などはどうでしたか? 娯楽よりも優先順位は高かったですか?

私は中学時代だけ、あの時代だけは確実にやる気が満ち溢れており、優先順位が高く、人生で一番学業に打ち込んでいた瞬間だったと思います。
逆に高校時代。あのときは本当にやる気がありませんでした。受験勉強として頑張っているフリをしていましたが、ぶっちゃけ何もしていないと言って差し支えない程に自分の中で優先順位が低かったです。

恐らく周りも気付いていたと思います。それほどこの二つの時期はやる気が違っていました。

当時私は高校受験に失敗したので、燃え尽き症候群のような形だと感じていたのですが、今考えるとそれは少し違う気がします。

一番やる気が変わってしまったのは、努力の先にあるものに対する価値観の変化だと思います。
私は中学時代、勉強ができる人こそが優等生であり、世の成功者や億万長者は全て勉強ができる人なんだと思っていました。本気で。
しかし高校時代、億万長者と呼ばれる人を調べてその経歴や過去に行ってきたこと、学生時代にしてきたことを知り、社会における成功やお金を稼ぐための能力と、学業とは別のものだと知りました。

もちろん、学業が無駄になることはありませんし、鍛えられる能力もあります。特に数学はあらゆる業界で必要な能力でしょう。ですが少なくとも、学業だけで大金持ちになったという人を私は知りませんでした。

というわけで、学業とは別の技能が必要だと知り、色々と別の勉強を始めてしまったわけです。そうなると頭の中はそっちのことで一杯です。テキストを開こうが、参考書と睨めっこをしてようが、単語帳を眺めていようが自分が求めているものが違うと、びっくりするほど頭に入ってこないんです。

もちろんゲームしたい、漫画読みたいという分かりやすい煩悩もありましたし、それらに打ち勝てるほど自制心が無くなっていたので、中学時代とは打って変わって、サボりまくりの受験でした。我ながら情けない……。

そうしてまぁ、大学受験も見事に失敗したわけです。
つまり、やる気は自分の価値観に根付いた意欲ってことだと思います。
価値観が変わったり、自分にとって目指すものが学業で手に入るものではないと気付いてしまえば、やる気は途端に崩れ去ります。
勉強が必要だと知っていようが、学業で素晴らしい能力が身に付くと分かっていても、歌手を目指している人に力説してもやる気はでないと思います。

もちろん、受験はやる気と関係なく頑張らなければなりません。
将来に関わる大切なことです。手を抜くべきではないでしょう。
親の期待もあるでしょうし、きちんと勉強をしましょう。

まぁ要するに学業に対してやる気が出なくても、あなたは何も悪くないし、割と当たり前のことってわけです。
それでも頑張ってください。

というわけで、今日はここまで。
また次の記事でお会いしましょう。

では。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?