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第八章、第九章|「最強少女に懐かれた話」ハタガミ|第36回後期ファンタジア大賞 一次選考落選

今回は少し多めです。(1万7千字程度)


第八章 最強少女が泣きじゃくる話

「ぐあああっ!?」

「なんなんだ、この化け物……!?」

 ミリアムは屋敷に駆けつけた警官を皆殺しにしていた。

(……やっぱり私……最低だ……)

 広大な庭に駆けつけたパトカーがあり、運転席には射殺された警官が座ったまま息絶えている。屋敷に近づくにつれ死体の数は増えていき、今や瓦礫の山となった屋敷の上は殺戮の阿鼻叫喚。

ミリアムは遠方から発砲する警官に向かって斜めに駆け出す。

「あがっ!?」

 向かってくるミリアムに警官は照準を定めようとするが、その前にミリアムの投げたナイフが肩に突き刺さる。

「がっ!?」

 駆けながら、後ろに並ぶ警官に発砲。一人は眉間を撃ち抜き、即死。

「うぐっ!?」

 もう一人は膝を撃たれて、崩れ落ちる。

「くっ、この……!」

 ナイフを刺された警官は、何とか片手で狙いを定めるがもう遅い。

「っ!? あああああああ!?!?」

 弾切れとなった拳銃を投げつけられて怯んだ隙に、眼球に【人体発火】で燃え盛る指を突き入れる。流れるように拳銃を奪い、ミリアムはゆっくりと歩き出す。

「……くっ……や、止めてくれ……頼む……!」

 部隊が壊滅し、膝を撃ち抜かれ、戦意を喪失した警官が涙を溜めながら懇願する。

 ミリアムは拳銃を構え、静かに照準を合わせた。

「い、嫌だ……! 死にたくない! 死にたく――

 後の言葉は、発砲音でかき消される。

「……よくやった。衰えていないようだな」

 死角から警官を射殺したエディが告げる。

「……はい」

 今になってミリアムは、アメリアの言葉の意味を実感できた。

(……私、何の罪もない人を殺しているのに……)

 他人の命を奪っているというのに湧き上がる快感を、ミリアムは確かに感じていた。

(これが……これこそが……私の呪いだったんだ……)

 ミリアムはそんな絶望と共に、微かな安堵を感じていた。

 まるでパンドラの箱の底のような、逆説的な希望だ。ミリアムは自分の呪いが二人を傷つけることを知って、離れる決意を固めた。こんな結末には耐えがたい不満と未練が残る。

 だがそのおかげで二人を死なせずに、逃がすことができたのだ。

(これで……良かったんだ……)

 返り血を拭いながら、ミリアムは周囲を見渡す。

 ここにはミリアムとエディの二人しかいない。それ以外は死体だけだ。

「よし、警官は殲滅した。目撃者も粗方、始末した。研究室に入るぞ」

「はい」

 ミリアムは施錠された研究室の扉に触れながら【人体発火】を起動する。

 金属製の扉は高熱によって柔らかくなり、ミリアムはドアノブをこじ開けた。

「……誰もいないな。俺はデータを奪う。お前は外で見張っていろ」

「了解」

 エディが研究室の中を物色する数分の間。

 外を見張っていたミリアムは瓦礫の山のてっぺんで、小さく呟いた。

「……ごめんなさい」

「許すかバカ……心配させやがって」

 決して届かないと思っていたその呟きに、そんな間延びした声が掛けられる。

 ミリアムは驚愕と共に、声のした方向に振り向いた。

「……よう。ミリアム」

 そこには、白衣を纏った幸一が暢気に立っていた。

「……センセー、どうして……!?」

 ミリアムは泣きそうになるのを必死に押し殺しながら、声を掛けた。

研究室の扉は開いている。エディに会話を聞かれたら、殺すよう命令されるだろう。

「どうしてって……家出した子供を見つけるのは、保護者の務めだろ?」

「……ダメ……ダメです。センセー、今すぐここから逃げて……! お願いです……!」

 ミリアムはギリギリ幸一に聞こえる声量で、必死に懇願する。

「……俺は大丈夫だ。落ち着け」

 しかし幸一は全く動揺することなく、冷静に告げる。

「それよりもだ。……これをやったのは、お前か?」

 ミリアムは一切逃げる気のない幸一に観念して、質問に答えた。

「……はい。そうです……」

「そうか。……俺も、殺す気か?」

 幸一はミリアムの真意を確かめるように、真っ直ぐと見つめる。

「……わた、しは……」

 ミリアムが核心となる言葉を告げる直前。

「っ!」

 幸一は爆ぜるように横に飛ぶ。直後、銃声が響き渡る。

「……何……?」

 研究室の扉から、銃口を向けていたエディが怪訝そうに眉を顰める。

「……あっぶねぇ……おい、おっさん。不法侵入だぜ? 早く出てこい」

 瓦礫の一部が射線上の障害物となるように飛んだ幸一が、姿勢を低くしたまま呟いた。

「……その身のこなし。ただの薬剤師ではないのか?」

「そういうてめぇは頭が切れるな。エヴァが裏をかかれるなんて、久しぶりだ」

 ロクな武装もなく一人でテロリストの統領を相手にいているというのに、まるで余裕を崩さない幸一に、エディは警戒心を駆り立てられた。

「……ハヤセコーイチだな。何故ここにいる? しかも一人で」

 幸一は響子が来るまでの時間稼ぎのために、敢えて質問に答える。

「そりゃてめぇの策略のせいだ。エヴァどころか、俺や響子も策略に嵌っちまった。おかげで、俺は一人でここに来る羽目になった」

「……何故、ここに俺がいると分かった?」

「別にてめぇに興味はねぇさ。俺はミリアムに会いに来たんだ。……てめぇはアメリアと戦って生き延びた人間だ。只者じゃねぇことは分かっていたし、今回の事態から見ても、恐らくてめぇは俺よりも遥かに賢いんだろう。……だから、ここへたどり着けた」

「……なんだと?」

「単純な話さ。てめぇが俺より賢いなら、きっと俺の考えも簡単に読まれたはずだ。だから、その逆のことをした。……それだけのことだ」

 あっけらかんとそんな博打のようなことをやってのけた幸一に、エディは認識を改める。

「……ただの薬剤師ではないな……ファースト」

 警戒に足る人物であると認識したエディが、素早く命令を下す。

 そのコードネームに、ミリアムは怯えるようにビクッと体を震わせた。

「その男を、始末しろ」

 ミリアムはその命令に対して、動けない。

「……ファースト?」

 幸一はミリアムと目が合う。

 苦しそうに拳を握り締めるミリアムは、何かに怯えているようにも見えた。

「……ミリアム、心配すんな。そのおっさんの言いなりになる必要はない。……それより戻ってこい。お前なら、そのおっさんなんて相手にならないだろ?」

 幸一は勇気を与えるかのように、逆の指示を出した。

 もちろん、幸一も簡単にミリアムが引くとは思っていない。

(……さて、どうなる?)

 ずっと気になっていたことだ。何故ミリアムはエディに従っているのか。エディは確かに優秀だ。頭も切れるし、銃の腕も立つ。しかし最強少女兵たるミリアムを従えるには、何か足りない。その秘密が、この命令違反で解明できると幸一は考えた。

「……セン、セー……」

 ミリアムは涙を堪えながら、幸一の名を呼ぶ。

「……なんだ?」

「わた、し……は……――――

 核心となる言葉を紡ぐ瞬間。

 ピッ

 突如としてミリアムの身体が震え始め、同時にミリアムの全身が瞬く間に燃え上がる。

「あああああああああああっっっ!?!?」

「なっ!?」

 注射でもまるで痛がる素振りを見せないミリアムが、絶叫している。

 持っていた拳銃を手放して、身体をのけ反らせる。

「命令違反だ。次は無いぞ」

「てめぇっ!!」

 幸一がミリアムへ近づこうとするが、瓦礫から身を乗り出した瞬間。

「おっと」

 それを制するようにエディが発砲する。

「ぐっ!?」

 幸一は身を屈めながら、胸糞悪い真実を知って歯噛みする。

(クソッ! ……今のは激痛による筋肉痙攣……そういうことかよ……!)

 一瞬だがちらりと見えたエディの手。

 拳銃ともう一つ。リモコンのようなものがあった。

(あの感じからして、恐らく電気! 神経を直接電流で刺激して、強制的に筋肉痙攣を引き起こすことにより内部にある金属は摩擦を引き起こし、発火する……!)

 つまりミリアムの身体はエヴァの推測通り、【人体発火】を強制的に起動させられる状態へ改造されていたということだ。

(だがそれは……人間の神経を逆手に取った、最低最悪の力だ……!)

 人体への造詣が深い幸一は、その強制起動に伴う激痛が想像できる。神経に直接流すとは、もはや拷問の領域だ。気絶はおろか、ショック死してもおかしくない。

(……ミリアムッ……!)

 恐らくミリアムはそんな拷問を今までに何度も受けてきたはずだ。

だからこそ、エディに逆らうことの恐怖を魂に刻まれているはずなのだ。

「あああああああああああああああっっっ!!!!!」

 リモコンを操作して、エディは電流を止める。

「あ……あがっ……」

 炎が消えて、ミリアムが全身から煙を上げながら倒れた。

「もう一度言う。……その男を、始末しろ」

 幸一は自分の失態を恥じるしかない。

 ミリアムの謎解きなど、後からいくらでもできる。最初からエディを始末するべきだったのだ。大人の下らない好奇心が、子供を地獄に落とした。

 幸一は懐から、一つの錠剤を取り出して飲み込む。

「……ミリアム、ごめんな」

 薬が効くまでの間、届くはずのない謝罪を倒れ伏すミリアムに告げる。

「ファースト……気絶したのか? 久しいとはいえ、やはり衰えたのか……」

 しかしその謝罪が、ミリアムを呼び覚ましてしまった。

「……う……ぐ……」

「……む?」

 ミリアムは目を覚まし、未だ残る激痛の後味に苦しみながら、何とか拳銃を拾ってから起き上がる。

「……はぁ……はぁ……」

(ミリアム……! 寝ていろよ! ……起きたらまた……!)

 薬の効果が出るまでの間、幸一は動けない。

「はぁ……はぁ……セン、セー……!」

 ミリアムは幸一に訴えるように目を合わせた。

「おい、ファースト。もう一度だけ言うぞ。その男を――っ!?」

 エディが命令を下す途中で、ミリアムは拳銃を発砲する。

「ぐぅっ!? ちぃっ……!」

 銃弾は見事にエディの拳銃を弾き飛ばす。続く弾丸に、エディは舌打ちしながら研究室の奥へと逃げる。そして、その直後。

「……っ!? あがああああああああああああっっ!?!?」

 襲い来る激痛に、ミリアムは再び絶叫する。

(クソ……! なんで起きたんだ……!?)

 幸一は未だに効き始めない薬に苛立ちながら、止血剤を大量に飲む。

「あああああああっっっ……ぐぅああぁ……!!」

 ミリアムはその激痛に耐えるように、身を屈める。

「セ、ンセ……!」

「……マジ、かよ……」

 なんとミリアムは、そんな状態で激痛に耐えながら歩き始めた。

「私……もう、殺したくない……!」

 体を燃やしながら、瓦礫の山を下る。

「あぁ……分かってる……!」

「……傷つけたくないの……! でも、私は……!」

「知ってるさ! 大丈夫だ。俺が何とかする!」

 しかしその言葉に、ミリアムは首を振った。

「ダメなんです……それじゃあ……ダメ……!」

「なんでだよ!? お前は殺したくないんだろ!? 俺が殺さないようにしてやるって言ってんだ! 何がダメなんだ!」

 幸一は早くミリアムに倒れて欲しかった。これ以上、ミリアムの傷つく姿を直視できない。声を荒げたのは、目を背けたいという弱音の裏返しだった。

「私は……人殺しが……好きなんです……! 人殺しを……楽しんでいた……!」

 ミリアムの告白に、幸一は固まるしかない。

「ずっと呪いなんだって、思ってた! でも違った……私は……私こそが、呪いだった! お父さんとお母さんを始めて殺したときから、本当は分かっていたんだ!」

「……ミリ、アム……」

「あなたは温かい世界をくれた! でも、私はそこに居られないの! 見えるでしょ!? 周りに倒れている警官の死体! 全部私が殺したの! こんな私は、幸せになっちゃいけないんです! だからお願い……どうか、ここから逃げて下さい! あなただけは……殺したくないっ!!」

 ミリアムは歯を食いしばって、激痛に耐える。幸一を逃がすまで、決して諦めない。

 全身を燃やしながら歩く様は、もはや人間ではなかった。

「……どっか行ってよ……センセー……!」

 恐怖を煽るように、ミリアムは涙を堪えながら凄んで見せる。

 幸一は冷や汗が止まらず、恐怖で指先が震え始める。

「っ……」

 しかしそれでも、目を逸らすことはしなかった。

 そんな気丈な姿の幸一に、ミリアムはさらに踏み出す。

「……もう、私のために生きないでください……! ……お願い……!」

 手を伸ばせば届きそうな距離でも、まだ逃げようとしない幸一に、ミリアムは涙と共に意識が途切れ始める。

「……セン、セー…………っ!」

「あ……」

 ミリアムは膝をつき、絶望と共に意識が薄くなる。

 元々、人体発火現象は人に害を成す現象だ。故に燃えるのは戦闘の刹那。

 だがミリアムは【人体発火】の強制起動を続けた結果、肉体が崩壊し始めていた。

 もはやミリアムが焼死体となるのは時間の問題だ。

(……あぁ……終わ……る……)

 何もかも手遅れとなり、ミリアムが目を閉じる。瞼の裏に走馬灯のように映るのは、優しくしてくれた二人の姿。救いたかった。守りたかった。

だがそれは叶わない。

(……ごめん……な、さい……キョー、コ……セン……セー……)

 それはもはや、ただの子供のわがままだった。何かに突き動かされるようにミリアムは、ぼやけた視界の中で幸一へと近づいて、手を伸ばす。

 そんなとき、不意に幸一の手が動いた。

「――……っ!?」

 直後、痛みと共に炎は消える。代わりに首に異物感が走る。

「……届いた」

 見れば、首には注射針が刺さっていた。

「お前が……諦めなかったから、届いたんだ」

 幸一はミリアムの首にとある毒薬を打ち込んだ。

「……え……?」

「これは神経麻酔薬……痛覚を完全に麻痺させる。お前と出会った日に万が一のため……特製のものを作っておいた。……本当は使いたくなかったが、これで【人体発火】はもう起動しない」

 そう、幸一は初めてミリアムと出会った日の夜から、既にこの薬を作っていた。

 幸一の言葉にミリアムは驚愕するしかない。

「言っただろ。薬ってのは人体の働きを操作するものだって。鈍くすることも活性化させることもできるし……完全に停止することだってできる」

「……す、ごい……」

 薬というものの力を軽んじていた訳ではないが、こんな芸当ができるとは。

 しかもこれは、明らかに自分が暴走したときのための薬。

(……ただの薬剤師じゃ、無かったんだ……)

 幸一は炎が収まり、煙が噴き出すミリアムに告げる。

「……今だから言えるが、お前が殺戮の才能を持っていることなんて、分かっていた。アメリアがそうだったからな」

「え?」

「でも、俺達と過ごしていたとき見せてくれた笑顔は、偽物だったのか?」

「……それは」

「違うよな? お前は確かに、俺達との穏やかな生活を、心から享受していた。……何のことはない。お前はちょっとやんちゃな……ただの女の子だ」

 力強い口調に、ミリアムはほんの少し希望を感じた。

「さてと、んじゃおっさんが隠れているうちに……逃げるぞ。動けるか?」

 幸一は後ろを振り返って、逃げるルートを考える。

「……センセー……!」

 ミリアムが涙と共に頷いた……そのときだ。

 ぶしゃっ!

 ミリアムは血を浴びる。

「……そ、げき……だと……?」

 血塗られた視界の中で、幸一は肩に開いた風穴を抑えながらそう呟いた。

「……あ……」

 ミリアムは力無く後ろに倒れる幸一を抱き止める。

「……ふむ、狙撃着弾。一人は無力化した。次弾準備」

 通信機に話すエディの声が後ろから掛けられる。

「……万が一、お前が裏切ったときを想定して配置しておいた。終わりだ」

 エディ瓦礫の山を登り、ミリアムに拳銃を向ける。

 もうどうすることもできない。仮にエディを倒しても次の狙撃を避けられない。

終わりだ。

「あぁ……!」

 微かに浮かんだ希望が、今度こそ打ち砕かれた。

痛覚の無くなった世界で、これ以上ない心の激痛に襲われる。

ミリアムは幸一を抱いたまま、ただ泣いた。

「うあああぁ……!」

 子供のように泣き喚くミリアムに、エディは照準を合わせる。

「死ね」

 エディは何の躊躇いもなく、その引き金を引いた。 

第九章 最強少女よりも強い話

「うわああああっ!!!!」

 絶望的な戦力差に、半狂乱でマシンガンを乱射するテロリスト。

「ふっ!」

 そんなテロリストに対して、拳銃とナイフを構えた響子はその銃弾を避けながら駆ける。

 向かう先は、人質にマシンガンを向けるテロリスト。

「うおっ!? クソッ……!」

 引き金を引くよりも早く響子の投げたナイフが、テロリストの腕に突き刺さる。

 太股のホルスターからもう一本のナイフを構えて迫る響子に、テロリストは片手でマシンガンを撃とうとするが、響子はそれを軽く避けて流れるように斬り殺す。

 もう何度も繰り返されている瞬殺劇。

駆け抜ける響子を捉えられないと悟ったテロリストが、マシンガンを乱射しながらも、無数に散らばる人質へ照準を向けようとしたとき。

「なっ!?」

 響子の投げたナイフが、マシンガンに突き刺さり、衝撃で照準は大きく外れる。

「くぅ……はっ!?」

 体勢を立て直すまでの一瞬の内に、響子は踏み込み再び斬殺。

 響子は止まることなく、無数のデスクが並ぶ事務室を駆け抜ける。

地の利、人質、多人数、完全武装、迎撃戦。

 上げればキリがない圧倒的有利でありながら、戦況は一方的だった。

(なんでだ!? 何故こんなワンサイドゲームを強いられているんだ!?)

 優秀なテロリストたちは、混乱の極みに陥っていた。

頭の切れるエディに託された戦法は、広い事務室内のいたる場所に人質を配置して、それぞれ別の場所から響子を集中砲火するというもの。唯一の脅威である響子を調べたエディは【未来予知】が感覚に関わることを知り、さらに響子が善良な倫理観を持つことを理解していた。故に四方八方に人質と共に武装したテロリストを配置すれば、多少の犠牲を払おうが確実に勝てると踏んでいた。誰もがそう納得した。

 だが、結果はこの通り。

 エディの作戦にはなんの不備もない。響子の能力が、悉くその上を行くのだ。

 響子は普段、幸一から渡された感覚神経の働きを鈍くする毒薬を服用している。解毒薬により解放された本来の感覚……もはやそれは人間の常識では測れない力であり、当然【未来予知】の力も以前とは比較にもならない、反則的な能力へと昇華される。

「撃て! どんどん撃てぇ!」

 この場で指揮を執っていた男は、ガトリング式の大型マシンガンを持ち出していた。

 連射速度、威力共に先程までの銃撃とは比較にならない。

 流石にこの銃撃の嵐を前に、人質を守り切ることは不可能。

 響子は一人のテロリストを斬殺した瞬間に、マシンガンの弾倉をいくつか奪い取る。

「死ねぇ!」

 物陰から飛び出した響子に、男はガトリングの引き金を引く。

男の大声に反応して他のテロリストも響子に狙いを定める。

 その未来を読んでいた響子は奪った弾倉を投げつける。

 飛来する弾倉と交差するように、ガトリングが発射される。

「っ!」

 それを見ていた人質は、息を呑んだ。

 まるで踊るように体を旋回させながら、四方八方から襲い来る銃弾を全て避け、さらにガトリングの銃弾をナイフで弾き、テロリストへと跳弾させる。

「!?」

 そして投げた弾倉がガトリングを撃つ男の間近へと迫ったとき。

 飛び上がり天地が逆さ、さらに回転している状態の響子が、目にも止まらない早撃ちで投げた弾倉を撃ち抜いた。

 爆発と共に男は絶命。ガトリングの跳弾を喰らった周りのテロリストも、全滅した。

 響子は軽やかに着地して、周りを見渡す。

「……なっ……!?」

 残るテロリストは、ただ一人。

(あ、あり得ない……どういう芸当だ!?)

 通常、弾倉は銃弾が着弾しても爆発しない仕組みとなっている。

 なので響子は、投げた弾倉の弾が露出している上部を撃ち抜いて、中の銃弾を飛び散らせて、火薬が大量に積まれているガトリングの弾倉に引火させた。

 複数のマシンガンによる集中砲火を避けながら、ガトリングの銃弾をナイフで敵方向へと弾き、高速で飛来する弾倉の一部を正確なタイミングで撃ち抜く。

「あ……うぁ……!?」

 もはや人間では理解が追い付かない偉業に、テロリストは戦意が消し飛んだ。

「……おい」

「っ……うっ!?」

 響子に呼び掛けられて、何とかマシンガンを構え直そうとした瞬間。

 ナイフが肩に突き刺さり、マシンガンを落としてしまう。

「あ……あぁ……!」

 今更になってテロリストは、この怪物と戦うことが間違いだったのだと悟った。

「このビルにいるテロリストは、あと何人だ?」

 響子の緩やかな歩みに、絶望を感じていたテロリストは震える声で答えた。

「も、もういない……俺で最後だ……!」

 響子には感覚から嘘を吐いていないことを確認する。

「そうか」

 それだけ言うと、響子は腕を振りかぶる。

「ひっ!?」

 恐怖に顔を歪ませながら、テロリストは腕を交差して顔を守る。

「せいっ!」

「がっ!?」

 直後、響子は全力でテロリストの股間を蹴り上げていた。

「……ふぅ」

 響子は息を吐いて、人質を解放していく。

「あ、ありがとうございます!」

「本当にありがとう!」

「命の恩人だ!」

 口々に告げられる感謝に、響子は返事をすることはなかった。

(……先生はきっと、分かっていたのでしょうね……)

 敵の戦法から、響子は自分が嵌められたことを理解していた。そして幸一がそれにいち早く気付いて、自分を止めたことも。結果として見ず知らずの大勢を助けられた。

 だが本当に助けなければならない、身近な人間は危険に晒されてしまう。

いつもそうだった。

 治療費を立て替えても、テロリストから人質を解放しても、響子は感謝される。

 しかしもし、これでミリアムや幸一が死んでしまったら?

 そう不安になることもある。

(……でも、それ以上に信じられることがある)

 人質を解放してから、響子は再び屋敷へ向かう。

 その最中……遥か遠い主人から、図り知れない膨大な力を響子は感じていた。

 響子は幸一がその力を作り得て、後悔していることを知っている。

(先生……あなたにこの素敵な名前を頂いたときに、私は確信できました)

 遠い過去。まだ黒人差別が色濃く残る時代。

地獄のような人体実験の果てにこの感覚を手に入れた改造人間。過剰に研ぎ澄まされた感覚では、常に周囲の人間のどす黒い感情を肌で感じ取り、過敏すぎる聴覚のせいで眠ることすらできなかった。そんな壊れていく自分を、幸一が助け出した。

幸一が苦肉の策として調剤した、感覚を鈍くする毒薬。響子にとってそれは、副作用が一切ない完璧な治療薬だった。故に憧れた、こんな風に人を救いたいと。

だから響子は、ときに自分の正義を何よりも優先する。

(あなたは認めないのでしょうが、あなたには【特別】な人を救う力があるんです。その力は、確かに悪用されてしまう可能性を秘めているのかもしれない)

 響子が独善的なまでに正義を自由に行使できたのは、いつだってその力を振るう主人が、誰よりも頼りになることを知っていたからだ。

(それでも、信じられるんです……あなたの【限界突破】は、いつだって……どんな逆境も跳ね返せる……そんな力だと……!)

 響子は遥か遠くにいる主人が、間違っていないと信じていた。


「……なっ!?」

 引き金を引いた。確かに引いた。だが直後、エディの太腿を銃弾が貫通していた。

「ぬぐっ!? ……貴様……今……何を……!?」

 エディは脚の力が抜けて、崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。

「……セン、セー……?」

 ミリアムの後頭部へと発射された銃弾は、被弾することは無かった。

 いつの間にか、幸一が敵から奪ったナイフを握っていた。

「……ふぅ……なんとか間に合ったぜ……全く」

 幸一は立ち上がる。まるでスナイパーの銃撃など、無かったかのように。

いつの間にか、出血も止まっていた。

「センセー……どうして……?」

「言っただろ? 薬は人体の機能を操作するもんだってな。止血剤は血液凝固を促進させて、出血を防ぐ。気つけ薬は刺激によって意識を覚醒状態に繋ぎ止める」

 幸一は手頃な石ころを一つ拾って、立ち上がる。

「今回俺が使った薬は……人体のリミッターを完全に解放する薬だ」

「リミッター……」

 そして、遥か遠くを見据えて腕を振りかぶる。

「ん~と……よっこら、せっ!」

 幸一が石ころを投擲した瞬間、空気を切り裂く破裂音が木霊する。

「うわぁっっ!?!?」

 直後、エディの通信機からは悲鳴が聞こえてくる。

「な、何があった!? 応答しろ!」

「ぐ、あぁ……! な、何者かに狙撃されました! ぐっ、ライフルは破砕されました。腕も……ぐぅ……! もう狙撃はできません!」

 エディは驚愕に目を剥きながらも、通信機を切る。

「クソ!」

 派手に出血しながら震える足に鞭を打って、エディは拳銃をミリアムに向ける。

「あ……」

 幸一に取られていたミリアムは、その銃口に気付いて死を覚悟する。

エディはミリアムが動く前に発砲する。

「よっ」

 だが発砲音とほぼ同時に金属音が鳴り響き、エディの肩が派手に出血する。

「ぐあぁっ!?」

 崩れ落ちるエディの肩は、銃弾によってえぐられていた。

「……え?」

 何が起こったか分からないミリアムは、間抜けな声が出た。

 幸一はナイフを振り終えた体勢から、ポキポキと骨を鳴らしながら呟く。

「っと。……あれ……やっぱ久しぶりだから、上手く弾けねぇな……」

 エディの優れた動体視力は、幸一の挙動の一部を捉えていた。

(間違いない……この男は、銃弾を目で見て弾いた……! しかも、スナイパーを逆に狙撃した! 石ころ一つで! ……奴は確かに狙撃を肩に受けたはず、何故あんなにも平然としている……!? どうなっているんだ!?)

 エディはそのあり得ない事態に混乱しながら、幸一を睨む。

「センセー……」

「ん……? 焦げた皮膚が割れているな。……止血剤だ。飲んでおけよ」

 幸一は錠剤をミリアムに手渡す。

「いえ、そうじゃなくて……センセー、その力は……」

 ミリアムの言葉に、幸一は少し目を細める。

「あぁこれか? さっきも言ったが、人体のリミッターを解放しているのさ。人間が生来持ちうる能力を限界まで引き出せば、銃弾を捉えてナイフで弾くことも、狙撃手をこっちから狙い撃ちすることも朝飯前さ。これはそれを強制的に引き出す薬だ」

 そして罰が悪そうにそっぽを向いて、告げた。

「まぁ要するに……【限界突破】……俺が作り上げた、俺の力だ」

 瓦礫の山の上に居ながら、崩れ落ちたエディを幸一は見下ろす。

「最後の警告だ。投降しろ、エディ・クレイ……!」

 その構図は、まるで戦況を表すかのようだった。

「くっ……!」

「賢いてめぇなら分かるだろ? チェックメイトだ」

 幸一は敵から奪った拳銃を取り出して、ゆっくりと照準を定めた。

「この距離なら、薬が切れても外さねぇぜ?」

 幸一の言う通り、エディにはこの深刻な状況がどれほど絶望的か理解していた。

「ふん……まさか、貴様相手に使わされるとはな。薬剤師」

 だからこそ、即決できた。幸一がこの【限界突破】という隠し玉を用意していたように、エディもまた隠し玉を用意していた。

 エディに投降する気がないことを悟った瞬間に、幸一は発砲する。

 カンッ

 直後に響く金属音。エディは射線上に前腕を持ってきた。ただそれだけだ。

なのに、銃弾を弾いた。

「……きん、ぞく?」

 幸一は強化した視力でそれを見た。前腕に開くはずだった穴の奥には、金属があった。先程撃った肩にも、金属が露出しており、血塗られた光沢が乱反射していた。

「行くぞ、薬剤師」

「っ! 離れてろ!」

 エディは全速力で幸一へ踏み込む。幸一はミリアムを芝生へ突き飛ばしながら、拳銃を何度も発砲する。だが先程と同じように、前腕で塞がれる。

「ちぃっ!」

 幸一は舌打ちをしながら、拳銃を投げつける。

「っ!」

 先程の石ころと同じく凄まじい威力の投擲であり、エディの前腕を吹っ飛ばす。

 踏み込みの勢いも殺され、無防備となったエディに幸一が踏み込む。

 ナイフで斬りかかる幸一にエディは前腕を構え、凄まじい金属音が響き渡る。

「……ま、マジかよ……! どうなってんだ、その身体!?」

 ギリギリ、とナイフを深く切り込もうとしているが、まるで人体を切っている感触ではない。文字通り、金属の塊にナイフを突き立てているようだった。

「くっ……聞きたいのはこちらの方だ。なんだこの腕力は……!」

 幸一が【限界突破】により強化した腕力は、尋常ではない。防刃防弾の服を着ているとはいえ、筋肉のリミッターを解放した斬撃を受け止めるなど、まずありえない。

「……まぁ、後で聞かせて貰うぜ?」

 幸一は不意にエディを蹴り上げる。

「っ!? ぐおっ!?」

 尋常ならざる威力の蹴りは、エディの身体を軽く吹っ飛ばした。

(……自分から後ろへ飛んだか……あん?)

 幸一はナイフを見る。刃こぼれ、ではない。溶けている。

 エディは背中から落ちるが、何とか受け身をとって立ち上がった。

「く……はぁ……はぁ……う、おおおおおおぉっっ!!」

 雄叫びと共に、エディの身体は赤熱し始める。

「……なるほどな。人体実験の成果を、既にてめぇらは実用化させていたってわけだ」

「はぁっ!」

 気合と共に、エディは両腕を上下に振った。

「【人体発火】……だよな? それは」

 直後、一瞬だが確かに発火していたエディの腕を見ながら幸一が呟いた。

「はぁ……はぁ……おぉ!」

 エディが幸一に向かって突進する。先程までとはまるで意味が違う、触れるだけで大火傷だ。エディが拳を引いて、間合いに踏み込む。

「シッ!」

 避ければ今度はミリアムが狙われるので、幸一はナイフをしまって、石ころを拾う。

 エディの拳が、発火しながら幸一の顔面に迫る。

「よっ」

 ガンッッッッ

「っ!? ……あ、が……」

 幸一は軽くその拳を見切り、石ころをエディの側頭部に猛速度でぶつけた。

 一瞬で脳震盪を起こし、エディは崩れ落ちる。

「あちち……ん? すげぇな。まだ意識あんのか」

 拳が頬を掠め、軽く火傷した幸一が感心したように呟いた。

「す、すごい……」

 ミリアムはエディの実力を知っている。ミリアム程ではないが、確かに【人体発火】の力を使うことができ体格にも優れ、武術を修め頭も切れる。屈強な軍人だ。

 そんなエディを、幸一は一瞬で沈めた。

(……センセー……本当に何者なの……!?)

 崩れ落ちたエディは、朦朧とした意識の中で幸一に手を伸ばす。

「……何のつもりだ?」

 エディは幸一の足首を掴んで、【人体発火】を起動しようとする。

 だが、それよりも早く幸一がエディの手首を踏みつけた。

「ぐっ!?」

「てめぇらの【人体発火】のカラクリは、内部に仕込んだ金属の摩擦だ。動かないように固定すれば、起動できない……違うか?」

 その言葉通り、【限界突破】の尋常ならざる筋力で踏みつけられているエディの手首が発火することはなかった。

「いい加減眠っていろよ。おっさん」

 流石に殺すのは気が引けるので、気絶させようと幸一が拳を構える……そのときだ。

「……?」

 幸一は耳から入ってくる情報を疑った。

(足音、じゃねぇ……警察は機能していないはず……軍隊が出動するには早すぎる……それになんだ? この喧しい音は……車の音じゃねぇ……)

 幸一は【限界突破】で聴力を強化して、さらに音を深く聞いた。

(……っ!?)

 遠い記憶。自分がまだ戦場へいた頃、よく耳にした音だ。

 その発射音に気付いた幸一は、全力で駆け出した。

「俺に掴まれ!」

「え?」

 ミリアムを抱き上げながら、幸一は庭の隅へと欠ける。

 直後、瓦礫の山で大爆発が起きる。

 ミリアムを抱きながら、幸一は何とか爆風から身を守る。

「セ、センセー……!」

 だが背中には、瓦礫の破片が突き刺さっており、白衣が赤く滲む。

「クソったれ……いくら警察が動けないからって……あんなデカブツ、街中によく持って来られたもんだ……! ミリアム、研究室へ逃げ込めるか!?」

「は、はい……!」

 ミリアムは何とか歩き出そうとするが、その歩みは老人のように遅い。知ってはいたが、ミリアムの身体は既に満身創痍だ。痛覚を止めているから意識を保っていられるが、手遅れになるのは時間の問題だ。

(……あのおっさん……どんだけ周到に用意してやがる……!)

 ここへ来て、またエディの策略に嵌ったことを幸一は理解する。

 凄まじい重量を支えるキャタピラ。特大の砲弾を射出するための巨大な砲塔と、極太の砲身。駆動音を響かせながら、それはやってきた。

 戦車の登場である。

「……あれは……ティー一四(イチヨン)か……」

 幸一は瓦礫の一部に隠れて、戦車から見えない場所へ避難していた。

(ソビエト製か。……研究室の壁は簡単には壊れない。最低でも、あと二発は耐えられるはずだ。……だが中にはミリアムがいる。壊れずとも、衝撃で死ぬかもしれない)

 ミリアムが研究室へ入ったことを確認してから、幸一は警官の死体から拳銃を奪う。

(リボルバーか……ま、弾が入ってりゃ何でもいい)

 弾が装填してあることを確認してから、戦車が来るのを待つ。いくら遠方とはいえ、ミリアムの遅い歩みは戦車からでも確認できたはず。そしてエディからこの戦いの情報を聞いていたとするのならば、戦車が次に狙うのは研究室だろう。

 戦車が門扉を突き破り、警官の死体を踏みつぶしながら、庭を進む。

研究室へ向かう戦車に、立ち向かうかのように幸一は瓦礫から飛び出した。

「……ぐっ、ゲホッ……貴様は、終わりだ……!」

 そんな幸一に、エディが後ろから声を掛ける。

「あん? まだ生きていたのか? 見た目通り頑丈だな」

 内部の金属はかなり頑丈らしく、未だに意識を保っていた。

 幸一の後ろで、エディは勝利を確信していた。人間が戦車に敵う道理はない。近代大型兵器は、人間一人が為せる領域を遥かに超える。その最たる例が核兵器だろう。スイッチ一つで、何万人を死に至らしめる。この時代の戦車は既に、そういう領域に入っていた。

 故にこのティー一四も、対人ではなく対物。兵器や建物を破壊するためのものだ。

 だが幸一は逃げる気も策を弄する気もなく、毅然として戦車の前に立ちはだかる。

(……こ、こいつ……本気で戦車と戦うというのか……!?)

 戦車は幸一を見つけてゆっくりと照準を定める。砲身の巨大な銃口が、たった一人の人間に向けられている。

幸一は【限界突破】で、聴力を最大にする。その気になれば数百メートル離れた人間の心拍音すら聞くことができる聴力であれば、戦車の中など丸聞こえだ。

(よく聞こえるぜ……てめぇらの声もな……!)

 車内にいる、操縦士やその補佐をする戦車兵たち。

「おい、なんだあいつ……」

「確か、ファーストを匿っていた薬剤師だ」

重たい砲弾が装填される音。

(あとはタイミングだが……)

 戦車は既に幸一を捉えている。いつ発射されてもおかしくない。

「人に撃つのは気が引けるが……」

「我々はテロリストだ。……今更だろ」

 幸一はナイフを取り出して【限界突破】で視力を極限まで研ぎ澄ませる。

戦車の砲弾が発射される。

「っ!」

受け止めることは不可能。なので幸一は、ナイフで砲弾を弾いた。

 高速で動く物体は、横からの力に弱い。鼓膜を叩くような金属音が木霊する。砲弾は屈折したように方向を変え、研究室とは別方向の塀に着弾して爆発した。

「うおっ!? ……がはっ!?」

 爆風で吹っ飛んだエディが血を吐く中、幸一は一歩も動かず立っていた。

「ってぇ~……久しぶりだから、結構きついな。耳いてぇ~」

 パラパラと、崩れたナイフの残骸が足元に落ちる。

ナイフを捨てながら、幸一は痛めた手首を振っていた。

(……人間が、戦車の砲弾を弾くだと……!? ……人間ではない……!)

 エディは【限界突破】のことを知る訳ではない。ただ一つ分かることは、もはやエディの常識ではこの男を計れないということ。痛む体に鞭打って、なんとか動き始める。

「……よし……覚えた……」

 幸一は懐から拳銃を取り出し、戦車へ向ける。

「……な、なんだ? 今、何が起きた?」

「分からない……! だが、撃つしかないだろ!」

「落ち着け……! 相手は拳銃だ。こっちの装甲には通らねぇよ」

 砲身が再び照準を合わせ、微かな駆動音を響かせる。

 程なくして、戦車は砲弾を発射――

 

 ドガァアアアアアンンッッッッッッッ!!!!!!!

 

 ――した瞬間、戦車は爆破した。

「……ふぅ」

 幸一は砲弾が発射された瞬間に、砲弾に銃弾をぶつけて、砲塔内部で爆発させたのだ。

 戦車内部の音を聞き分け、砲弾が発射されるタイミングを見極め、そのタイミングに合わせる拳銃の精密操作。その発想と、それを為す度量。

それら全てが、拳銃で戦車を倒すという人外の偉業を成し遂げた。

 戦車に背を向けて、ミリアムを迎えに行こうとして――気付いた。

「……まさか戦車を拳銃で仕留める男が、この世にいたとはな」

 エディが気を失ったミリアムの頭に、銃口を当てている。

「っ!?」

 戦車に全ての意識を割いていたせいで、幸一はエディに気を払えなかった。

 エディは警官の拳銃を拾い、研究室へ侵入しミリアムを人質としていた。

「……おっさん……しぶと過ぎたろ……」

 幸一は冷や汗を浮かべながらも、どこか余裕そうに呟いた。エディが自分より賢い以上、何をしようともその前に引き金を引かれる。いや、そもそもミリアムが限界だ。

「……何、大した要求はしない。私を逃がせ」

「いいぜ? 好きにしな」

 そんな状況で、幸一は即答する。

「……何を狙っているか知らんが、私には通用しない」

「別に何も狙っちゃいねぇよ。ただ……信じているだけさ」

 幸一が空を見上げながら呟いた直後、一つの銃声が鳴り響く。

 明後日の方向からやってきた銃弾は、見事にエディの拳銃を弾き飛ばした。

「っ!?」

 エディが驚愕に目を剥いた数瞬、勝負は決した。

 幸一が拳銃を投げつけて、エディの顔面を吹き飛ばす。

「ぐおっ!? くっ……!」

 何とか体勢を立て直そうとしたところに、上から衝撃が走る。

「はぁっ!!」

「がっ!?」

 後ろから響子が、エディの後頭部にナイフを突き立てた。

見事に運動神経を司る小脳に突き刺さり、エディは痙攣しながら倒れた。

どうやら、流石に頭に金属を仕込んではいなかったようだ。

「あぶねっ」

 手放されたミリアムが地面に落ちる前に、幸一が抱きかかえて響子に短く告げる。

「響子、救急車を」

「もう呼びました」

それから幸一は、返り血にまみれている響子を観察する。

「……無事か?」

「はい……先生は?」

「なんとかな。後で痛い目を見るだろうが、取り敢えず生きている」

 二人の緊張が解け始めた頃、エディが呻いた。

「く、クソ……私の……負けか……」

 間違いなく脳に傷を負っているはずだが、エディは言葉を紡いでいた。

「……貴様は、一体何なのだ……!」

 倒れ伏してもなお、眼光で射殺さんとこちらを睨むエディに、幸一は静かに答えた。

「……軍用薬剤師。……元、だけどな」

 その答えに、合点がいったようにエディは笑い始める。

「……貴様が……そう、か……なる、ほど……勝てる訳が……無かった、な……」

 心から腑に落ちたように、エディは目を細める。

「俺も聞きたいんだが……てめぇ、何でテロなんてやってんだ? ……てめぇほど頭が切れる男なら、分かっていたはずだ。例え俺達を殺しても、『ソリッド・シールド』には逆立ちしても勝てねぇってよ」

 それは純粋な疑問だった。幸一も響子も、確かに人外の力を持つ怪物だが現役ではない。

アメリアを筆頭に『ソリッド・シールド』はそんな怪物の巣窟だ。この程度のテロ組織で

は、天地がひっくり返っても勝ち目はない。実際にアメリアと戦ったエディならば、それが骨身に刻まれているはず。

「それに……てめぇは【人体発火】を実用化できていねぇよな? てめぇが【人体発火】による激痛をおくびにも出さねぇから、分かりにくかったが……てめぇは【人体発火】で身体を燃やしながら戦っていた。あれは間違いなく失敗作だ。……違うか?」

 金属が体内に混入すれば、金属アレルギーにより時期に死ぬ。そうでなくとも、人体発火現象はミリアムのような特殊体質の人間でなければ、ただ大火傷を負うだけの自滅技だ。

 幸一はエディも特殊体質か、それを克服する何かがあると思っていたが、違う。エディはデメリットを受けている。ミリアム以上に命を削って【人体発火】を使っていた。

 つまり幸一が倒すまでもなく、エディは死ぬ運命だったのだ。

「ソ連の事情は知らねぇが、てめぇならこうなることを予測できただろ?」

「ふん……アメリカに、ダメージを、与え、る……それが……任務……だ」

 やけっぱちのテロリストらしい答えに、幸一は呆れたように眉を顰めた。

「そのためにアメリカのストリートチルドレンを兵士にして……身体に金属をぶち込んで、こんな下らないことに命を賭けたってのか?」

「……あぁ」

「……そんなにアメリカが憎いか?」

 だがその言葉に、エディは生気を取り戻したように幸一を睨む。

「ち、違う……! 我々が雇ったのは、ソ連とアメリカのストリートチルドレンだ……!」

「……なに?」

 エディは吠える。

「ごほっ! ……我々が憎いのは……ソ連とアメリカ……その両方だ!」

 いつからか、エディは血の涙を流していた。

「日本の……日本人の、貴様ならば……分かるだろう……? 我々小国の人間は、いつだって……大国の、言いなりだ……! ただ、私は守りたかった! 我々は、祖国の人々を守りたかった……だから、どんな悪党に成り果てても、子供を利用してでも……我々はテロを遂行するしかない……! いずれ大国が滅ぶ、そのときまで……!」

「……悪いが、俺は生まれも育ちもアメリカだ。貧しい国のことなんて、知らねぇよ」

 エディが極悪非道のテロリストに成り果てた理由など、幸一は知る由もない。

「けど……子供は関係ねぇ、それだけは分かる」

「……な、に……?」

「どこで生まれようが、どんな人種だろうが、何を持っていようが……子供は関係ねぇ」

 この時代では稀有な話だが、幸一は子供にこそ平等であるべきだと考えていた。

「議論するつもりはねぇさ。……ただ、俺はそうあってほしい。それだけだ」

 話は終わりだと言わんばかりに、幸一はエディから目を逸らした。

「……そう……か……」

 エディはそう呟いて、眠るように絶命した。

「……っ!? くぅ……!?」

「先生!?」

 その直後、崩れ落ちそうになる幸一を響子が支える。

「く、薬が切れた……超いてぇ……!」

 リミッターとは本来、身体を守るためにある。命の危機においてのみ、被害を抑えるために発揮される人間の能力を、【限界突破】で強制的に解放していたのだ。

 当然、その負担は計り知れない。

「ミリアムは私が持ちます。先生は寝ていてください」

「あ、あぁ……響子、ここで起きたことを手短に伝える。エヴァとノアに伝えろ」

 幸一は瓦礫を枕にして、倒れる。

「かしこまりました」

 幸一はここで起きたすべてのことを伝えて、力尽きたように意識を手放した。

「……お疲れ様でした」

 近づいてくるサイレンの音は、この事件の終わりを告げていた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回でこの物語の山場は終わりです。執筆中は気づきませんでしたが、主人公である幸一の活躍が少なすぎますね。それに敵もあっさりしすぎている気がします。もっと幸一に頼り切る状況を作ればよかったのかもしれません。それからエディについても、くどかったように感じます。エディの策略が明らかに後出しのように感じるので、もっとエディについての伏線を張っておいた方が自然だったと思います。

とりあえず、次で最後です。
では。

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