くら

男 23歳 58kg 少しの友達

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男 23歳 58kg 少しの友達

最近の記事

初めましての人には必ず自己紹介をする。 初めましてが連続すると段々と辟易して来る。 ミュージシャンが代表曲を毎回ライブで披露すると飽きるものなんだろうか。

    • 文章もなまもの。 書いた文を翌日見返すともうコレジャナイ感が出る。 いつかはある程度コレダ感が出るのだろうか。

      • 自分の鼻水に嫌悪感を抱くように 自分から流れ出る血に恐怖を抱くように 自分から揺り落とした筈の言の葉が他人色に染まっていく 本当の自分はどこにあるの?

        • 萩原朔太郎  官能的にきらびやかな觸感が、當初に發見された時分の鮮新な香氣を稀薄にしてしまつた。

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          プレゼントを素直に喜べない

          私はプレゼントという名前がでたら構えてしまう人間である。 あげる側だとなんの問題はない。 問題は、もらう側に立ってしまった時である。 友達なり先輩なり後輩なり、人様が私にプレゼントをくれるというのは大変喜ばしいことである。その好意は素直に嬉しい。 だが問題は、その内容物である。 食べ物のような消費できる物ならまだしも、ちょっとしたインテリアや本などといった、下手に扱わなければ恒久的に残る物となれば話は別だ。 私は特段キレイ好きではないし、ミニマリストでもない。 しかし自

          プレゼントを素直に喜べない

          私と馬鹿で魅力的なA

          私の数少ない気が置けない友達に「A」というやつがいる。 中学生だった頃に同じ部活に入部したことからその関係は始まった。 家は学校を出てすぐの交差点から真反対の方向、中学生の頃は休日に常に一緒に遊んでいたわけではない。 性格もまったく違う。 ある同級生の女の子に対する認識を比べてみると、Aは「ぶりっこみたいな話し方でムカつく。」一方私は「ぶりっこというよりも、人と話すのがあまり得意ではなくぎこちなくなってるだけだよ。」と言う。 どうやら私は、人の目に着く部分をポジティブに捉

          私と馬鹿で魅力的なA

          「推し」はすれど自分を下げるな

          「尊い」という言葉に加え嫌悪を感じる言葉、「推し」 自分が応援してる人、尊敬してる人、見守りたい人などを指すときによく使われているイメージである。 一見すると別段大した問題のない言葉のように思う。 だがこれも「尊い」と同じように抱き合わせて使われる文脈に、人としての堕落を感じる。 例えば、 「推しに、貢いだせいで生活費がギリギリだ。」とか、 「推しに会うだなんて恐れ多い」 など。 なにかアーティストや、アイドルなどのパフォーマーを応援するだとか、支援するということは大変

          「推し」はすれど自分を下げるな

          「尊い」はもはや尊くない

          「尊い」という言葉が嫌い。 厳密に言えば、巷でよく言われる「〇〇さん尊い」、「〇×〇尊い」、「推しが尊い」とかいう、いわば用法が嫌い。(推しという言葉も嫌い。) 尊いとはそんな軽いものだろうか? 尊い日々、尊い過去、尊い仲間とかもっと普遍的で美しいものを称える言葉じゃないか? まぁ、当方言語学者でも国語教師でもないので正しいのかどうかなんてわからないが… 詩人の萩原朔太郎が著書「靑猫」の序文でこう述べている。 …然るにその後『憂鬱なる××』といふ題の小説が現はれたり、

          「尊い」はもはや尊くない

          Flower Power

          Flower Power

          好き=得意 この風潮が好きじゃない。 好きなら得意でないといけないのか。 得意でないなら好きとは言えないのか。 そんなことはないはず。 下手の横好きだろうがなんだろうが自分の好きなもの好きだし、得意かどうかで言えば得意とまではいかない。 それでもいいじゃん

          好き=得意 この風潮が好きじゃない。 好きなら得意でないといけないのか。 得意でないなら好きとは言えないのか。 そんなことはないはず。 下手の横好きだろうがなんだろうが自分の好きなもの好きだし、得意かどうかで言えば得意とまではいかない。 それでもいいじゃん

          差別と差別化 ものさしの使い方

          昨今では多種多様な価値観もとい、ものさしが溢れかえっている。 「外見至上主義」と「内面至上主義」 「ミニマリスト」と「マキシマリスト」と「シンプリスト」 「フェミニズム」と「反フェミニズム」 「ヴィーガン」と「ベジタリアン」と「ミータリアン」 などなど ことインターネットが発達してからというもの、上記に記したものを含め、多くの価値観が溢れかえっているのが現状である。 そして、それらの価値観の善し悪しはしばしばネット上での論争の種となり、やがて炎上することも少なくない。

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