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「樋水の流布」 第七話 (最終回)

 ドアは、引いても開かない。押してみようかな・・・。少し、力を入れると、事も無げに、その開かずの扉は開き、明るい光が、差し込んできた。


「流布?!」


 えっ?・・・ここって・・・?・・・えーっ?!


「全く・・・」


 わあ、凄い、好い顔して、見降ろしてる。クスクスしながら、近づいてきて、扉の中から、私の手を引き、身体毎、引っ張り出してくれたのは、当の竜ヶ崎先生だった。つまりは、この私の部屋の斜め上に、先生の仕事部屋があった、ということだった。

「なんで、裏を書く。そういうことは、作品上でやってくれないか?」
「裏なんて、書いてません」
「せっかく、貴女の部屋に、ここから、迎えにいってやろうと、模様替えをして、この扉を隠していた本棚までどけて・・・僕の苦労は、水の泡だ。暖簾に腕押しなことばかりだね。貴女は」
「えー、ひょっとして、それって、サプライズみたいなことですか?」
「最近では、そんな言い方をするらしいね」
「えー・・・ごめんなさい」
「ほらあ、半減したでしょう?こんなことになると、・・・なんで、今、昇ってきました?」
「思い出したので」
「何を?」

 いいのかな、言っても。武内のことなんだけど・・・。

「あの・・・この扉が不思議だな、と思って・・・っていうことは、一番遠い同士の部屋が、一番近い部屋だったっていうことですか?」
「その通りです」
「えー、・・・そういうことだったんだ、ここって・・・はぁ・・・」
「貴女の返事を聞いて、僕が貴女を迎えにいく、というシナリオは、どうしてくれますか?丸潰れですね」
「先生、ごめんなさい。遣り直したら、ダメですか?」
「ダメでしょう。でも、貴女のフライング、ということにはできますね」
「え、あ・・・それは?」
「たまには、自分で考えなさい、・・・すぐ質問するのは、幼い子だけで結構です」
「あ、あの、そうです。メールは皆の手前、ってことでしょうか?」
「ああ、そうですね。ややこしくなりますから、第三者を搦めたドタバタ劇にはしたくありません。・・・が、ドタバタには、なりかけてはいるようですね」
「なんか、すみません」
「いいえ・・・で?」
「あの、・・・本当に、居てもいいんですか?私」
「貴女は、どの立場で、そう言っているんですか?」
「あ、はい。本当は、・・・本当は、欲張りですから。二つとも、適えばいいなと」
「・・・」

 先生はまた、腕組みをされた。薄く笑って、私を見ている。

「誰が、二択を提示しましたか?」
「いえ、はい、違いました」

 肩を竦めて、上目使いで、ごめんなさい・・・と、表しているつもりですが・・・

ことごとく、噛み合わない。でも、大事な所は、きちんと合わせてもらえると、期待してはいます」

 何々?えーっ、・・・飛躍したぞ。急に。・・・大事な所、って?・・・多分、私の頭の中だ。それは。また、先生は、淡々とされているから、私が勝手に、パルファム部門に飛んでいった。あああ。ヤバい。

「何、真っ赤になってるんですか。まあ、いいですよ。そういうシチュエイションの筈ですから、しかしながら、微妙に、頭の中で、時期尚早な展開をしていませんか?」

 バレてる・・・のかな?・・・はぁー。

「では、ちょっと、真面目な昔話をしても、いいですか?」
「あ、はい」

 軌道修正してくれてるんだ。先生、きっと。・・・あー、暑い、暑い。

「まあ、これで、この家が変わった、絡繰り忍者屋敷みたいなことが解った、と思いますが。地形の関係で、先々代が、このように建てました。この部屋と、下の部屋は、この家の当主と妻のものです。どのように使ってもいいのですが、例えば、僕は先妻と、貴女が今、寝ている部屋で、寝ていました」

 えー、そうなんだ。

「まあ、想像が付くと思いますが、つまりは、貴女のいる側に入ることが滅多にない、弟子たちも、この家の作りを知りません。知っていたのは、安行―――武内だけでした。これは、貴女も知っているね。安行は、千代美の連れ子だったことは」
「はい」

 ああ、だから、武内は、この家の作りを、家族として知っていたから、成程ね。

「先生、武内さんが、ここを出て行く時、私は、まだ、このドアをフェイクだって、思っていたんですけど、そう言うと、武内さんが、まだ、そういう風に、先生から聞かされてるのか、みたいなことを言っていて。・・・意味が解らなくて」
「ここが、妻の部屋だから。安行は、いつ、貴女が僕の、になるか、様子を見ていたみたいですね」

 つまりは・・・

「まあ、門下生たちは、この特殊な作りを知らないから、秘密裡に、僕が貴女と恋仲になれるのに、と思っていたのでしょう。それが、『まだ』の意味でしょうね。ここは、私達の寝室兼、安行の母親の趣味部屋だったんですよ。病弱で、最後は、あの黒墨の病気で亡くなったんですが、とにかく、愉しく過ごしてほしかったんで、できるだけ、多くの趣味をするように勧めたんです。彼女は手先が器用でしたから、洋裁は勿論、和裁もお手のものでした。僕の着ている和服も、何着かは、彼女の作品でしたしね。そもそもが、諸芸百般に秀でた女性でしたから、お茶に、お花も師範級でした。旧華族の家の方なのですよ。本当に、彼女に出会った時は、私の元に、天照が降臨したのかと思いましたね」

 武内は、この部屋の作りを知っていた。そして、「まだ」と言うべき理由も。なのかな?

 って、先生は、今は、前妻さんのお話をしてるよね?結構な、惚気のろけ具合だし・・・、

「まあ、貴女が同じくかどうかはわかりませんが・・・、趣味で、僕を礼讃してくれるなら、それは、大歓迎なんですよ。でも、あれを出したら、もうダメです。何度も言ってるけど、ここまでの感じになれば、解るでしょ?まだ、ダメかな?」
「えーと、先生の弟子といいながら、先生と同じことを書くこと、ですよね?」
「そうです。それが、字面だけの理解でないことを祈りますよ」
「じゃあ、」
「なんの、『じゃあ』ですか?世の中、そんなに上手くはいかないんですよ。貴女はもう、既に、僕から、破門されているんです。いいじゃないですか。ここで、趣味で、僕の作品もどきを書けば。いくらでも読みますよ。作品には、貴女の気持ちが、溢れているからね」

 うーん、今、気づいたのだけど、なんか、話してる内に、先生は、いつもより、距離が近づいてきてる。多分、こっちから入ってきた、この部屋はもう、公じゃないんだ。きっと。これは、私室なんだ。先生にとっても、そして、そのお相手―――まあ、ここでは、私なんだけど―――からしてもね。不思議だけど、そんな雰囲気。全然、違う部屋に感じるものね。そして、お返事したら、もう、下から上がってくる行き来専門になる。

 空間の演出って大事なんだな。
 あああ、今更、・・・いいや、覚えておこう、っと。

「はい、昔話は終わりです。で、今の話ですが、メールとか、ケチなことを言わずに。貴女には、赤い唇がありますから」

 あ、これ、剣客の台詞?剣客に気持を告げた、大店の娘の・・・。

その時、小さな赤い唇が、静かに動いた。俺だけがそれを見ていた。それが、加江の声にならない気持ちを示していた・・・彼女は、何と言ったか?」
「でも、お別れしたのでしょう?」
「娘は、その町の武家の総領に見初められた」
「化粧じた唇は、形は、お武家さんとの祝言の為だったけど、本当は剣客に、綺麗になった自分の姿を見せたかったんですよね」
「・・・良い解釈ですね。だから、貴女の書評は、僕の気に入りです。好きですよ」
「答えですか?」
「あー・・・そのつもりはありませんでしたが。これは掛詞的でしたね」
「やっぱり、一言、呟いたんだ」
「呟いてないです。息も乗せていない」
「あああ、そう、唇を、密かに、動かしただけ」
「剣客しか、そう、読めないんですよ。だから」
「・・・そうなんだぁ・・・♡」

 聞いちゃった。作者から、本当のこと。
 あああ、すごいっ。どうしよ。上がってしまった。

「あの、私で、いいんですか?本当に、こんなことしか、多分、できませんが」

 ほぼ、衝動的だった。この時、私は、先生の足元に跪いて、三つ指をついていた。

・・・・・・・・・

能福「カレー鍋なのに、流布さん、お腹痛くしたらしい」
渡会「先生も、今、プロットが乗ってるそうだ、今、メールが来て、皆でやっててくれと」
池田「そういう時もありますね。今を逃せないんですな。先生も」
能福「残ってれば、明日の朝でも、流布と食べる、って、こっちにも来ましたよ」
渡・能「あ・・・」
池田「さあさあ、食べましょう。こちらは、餅を焼いたりして、入れましょうか」

 流石の池田さんだ、と、渡会は、声を出して笑った。能福も、ニヤニヤしながら、鍋の汁を啜った。

能福「餅は、こっちの分だもんなあ」
池田「能福、沢山、食べられるなあ、良かったな」
渡会「・・・そうかあ、いつから?」
池田「さあ」
能福「嘘、・・・池田さん、知ってたんだ」
池田「知ってた、というか、最初から、そのお心算だったんでしょうね」
渡・能「えーっ?!」
能福「やるなあ、先生・・・だって、最初、女子大生だったじゃんか、彼女」
渡会「狡いなあ、実は、職権乱用だったんじゃないか?」
能福「だって、よく働くし、上手いの、書いてたのに、取り上げたの、レビューだけだもんね、先生、なーんか、変だったよね。今、思えば」
池田「いいですな、剣客のように、ずっと、秘めてきたのかもしれませんよ」
渡・能「うーっ・・・」
池田「これ、こんな時の為に」
能福「大吟醸南大地だ・・・わあ」
渡会「いいの?・・・池田さん、これって、デビューしたら、飲むやつじゃなかったの?」
池田「なんかね、いいじゃないですか・・・たまには、祝杯です」

・・・・・・・・・

 不思議なのだが、なんとなく、全作品読破していたからだと、自負している。

「なんで、こういう感じを・・・先生は、絶対、書かないのに」
「そう、それを、補完してほしかったのかもしれません」
「えーっ、そんなの狡いです」
「何を書いても、僕のコピーのように描く貴女が、こんなシーンを、僕に成り代わったら、どう描いてくれるのか?」
「そんなの、もう、要らないのでは・・・ないの?」
「変なとこで切りますね。台詞を。・・・全く、参考になりませんね」
「先生が、描いて」
「・・・いいですね。今のなら、合格です」
「・・・」
「とても、可愛かったですよ」

 唇から温みが遠ざかる。目を開けると、すぐ傍に、彼の顔があった。はにかむように、私の肌を晒した肩越しを指さす。振り向くと、古い重そうな置時計の針が、ローマ数字のⅫを指していた。

樋水流布著「竜ヶ崎幻想」香蘭舎パルファム文庫より 


「日にちが変わりました。今日から、僕の気に入り、になりましたから。わかりましたね」


・・・・・・・・・

 流布が再び、竜ヶ崎に筆を執ることを許されたのは、この三年後のことだった。その時は、香蘭舎では、ジャンル問わずに、パルファム部門で、打って出ることになった。これは、竜ヶ崎の強いアドバイスから、来たものだった。しばらくは、親見が、そのまま、渋々と、担当を熟していた。流布の大転身に、親見は、始めこそは驚いたが、かつての恋人は、その内に不思議と、納得させられることとなる。

 当然、取材元は、竜ヶ崎そのものであり、香蘭舎における、パルファムという位置づけとはいえ、アカデミアとも言える評価を得た。流布は、第三代の伽陽畸神育成をテーマとした「椎麝の施し」で、御伽屋文学賞で、新人賞をもらう傍ら、同時に、大賞も受賞をしている。これらのシリーズは、爆発的な人気を得、月城紫京率いる「月城歌劇団」でも、舞台化された。

 以来、樋水流布は、若くして、竜ヶ崎の後妻の座に収まりつつ、異例の御伽屋文学賞受賞者でもありながら、女流官能小説家の第一人者となったのである。

                        「樋水の流布」~完~


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