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だれもが嬉しさを表現できる日が来ますように #36

 来年の干支は、辰です。実は私には、この「辰」にまつわる思い出が一つあります。(辰なのか竜なのか微妙な違いはあるのですが‥‥)それは12年に一回巡ってくる私の淡い「思い出」でもあります。今回は、その話を思い出して書いてみます。
(昭和57年末  今回は一教員の話です。)

 それはルース・スタイル・ガネット作 「エルマーのぼうけん」の お話から始まります。(上の左の絵の話です)
 今から41年前。私はI小学校の担任として教員をスタートさせました。私が教員経験が全くなく、また工学部の出身でもあったので、当時の校長先生は(だいぶ心配されて)私を一年生の担任にされました。初めての担任、素人同然の教員の私に子ども達はよくついてきてくれたと思いますが、経験不足の担任で申し訳なかったと今でも私は思います。
 それにしても入学式からのスタート。子どもと一緒の新人教員のスタートでした。

 その年の2学期。図工の「お話の絵」を描く単元で題材決めで困っていた時に、2年生のK先生からこの本がいいよと言われて紹介されたのが、上記の「エルマーのぼうけん」でした。
 そこで私は、次のような授業の展開を考えました。
 まず毎朝、朝の会の後に子ども達にこの「エルマーのぼうけん」(10話)の読み聞かせをする。そして最後の10話目を図工の時間の始めに読み、その感想の絵を子どもに描かせるという流れでした。
 最初の第一回目が終わった時、予想通り子ども達の興味・関心は高く、案の定、次の話が早く聞きたいという雰囲気でした。(都合のいいことに、この本を読んだ子はクラスにはいませんでした。それは私が図書室からしばらく全ての本、続編も外していたからです(笑))この時は、本のイメージを大切にするため、本は見せない、当然、挿絵も見せませんでした。ただりゅうのことは最初の第一話(下記の一文)にあったので子どもはみんな分かっていました。
「りゅうは、ながいしっぽをしていて、からだにはきいろと、そらいろのしまがありましたよ。つのと、目と、足のうらは、目のさめるような赤でした。それから、はねは金いろでした。」(上の左のりゅう)

 最終回、第10話目を読み聞かせる日。
 子ども達全員が私の前に集まって、話を聞いてくれました。そして、読み終えた瞬間、子ども達から拍手が沸き起こり、「よかった。」「よかった。」の声と共に安堵の気持ちで一杯になりました。そこでおもむろに私は、「今日まで10話を読んできました。皆さんが一番印象に残った所を絵に描きましょう。」と私が話すと、子ども達はおもむろに画用紙に向かい出しました。
 子ども達の絵は、全話を通して描いていましたからいろいろな場面がありました。
 ・エルマーがりゅうのひもをナイフで切っている所
 ・エルマーがりゅうの背中に乗っている所
 ・エルマーがワニの尻尾に棒付きキャンデーをつけている所…等
 それこそ十人十色と言う位、画面一杯にエルマーとりゅうとの様子を描いてくれました。(上の左の絵の構図ですが、りゅうの姿は日本の竜でしたが)
 ところがある一人の男の子の絵は他の子の絵と雰囲気が全く違っていました。それが右の絵です。(実物がないので私が思い出して描いてみました。)

 私の淡い「思い出」の絵は、実は上の右の絵でした。
 今年で41年になりますが、この時の「りゅう」の絵は今でもとても印象深く忘れられません。

 この子は、りゅうが開放され嬉しくて空高く突き上げて飛んでいく姿に惹かれこの絵を描いたのでしょう。私は、その絵に、その時とても感動したことを覚えています。
 辰年が来るたびに(12年ごと)、私はこの子の絵を思い出し、その絵の嬉しさを感じます。これが私の淡い思い出ですが、今回、その絵をやっと再現してみました。

 図工の絵は、心象表現の表れと言われます。
 その子の絵は、私を釘付けにしましたが、その嬉しくてたまらない姿は、今の時代にも通じるような気がします。

 戦争が世界で続く現在。
 だれもが早く「嬉しさ」を一杯に表現できる日が来ますように。(令和5年12月9日)


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