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祖父、戦地で納豆を知る。

NHKで#あちこちのすずさんがやっていた。
戦争時代の日常を大変丁寧に取材をし、番組を作成されている。絵が実写でなく、日本昔話に出てきそうな味のある、優しい絵なのがいい。実写は俳優の演技が良すぎて、その時代の厳しさを必要以上に感じてしまうことがあるから。

戦時中、私の祖父は旧国鉄に所属し、戦地で軍隊に補給するための線路を、東南アジアのどこかで作っていたと聞いている。そのどこかが思い出せないのだが、祖父が戦地へ赴くにあたって面白いエピソードが一つある。

祖父は山口県の出身で、九人兄弟の次男だった。進学したかったが、金銭的に難しく、働きながら夜間学校に通っていたという。数学が大変できる人で、その夜間学校では数学の問題を解き終わった人から帰れるのだが、祖父は毎回一番に帰っていたそうだ。

ハンサムで、スポーツもできた祖父は、負けず嫌いでもあった。
旧国鉄で軍に委託された戦地の線路づくりを行う隊を組むとき、くじ引きがおこなわれた。祖父が引いたくじは2番。2番隊で、ある島へ行く予定だったのだが、祖父の悪い癖が出た。

「わたくしは、2番は嫌であります!1番隊で行かせてください!」

数字の若い古いは関係ないと思うけれど、こういう人は好かれる時代だった。祖父は1番隊になり、1番に日本を出て、せっせと赴任地で仕事をした。赴任地では、どうも関東出身の人がいたらしく、その人が竹筒に大豆を詰めていたという。新しい物好きの祖父が、「おう、それはなんじゃ?」と聞くと、「納豆だ」と返答があった。当時、祖父が住んでいた広島や山口へ納豆はまだ流通していなく、美味しそうに見えたんでしょうね、「わしも食べたい。作り方教えてくれ!」と祖父は戦友にお願いをした。祖父曰く、戦後に納豆が中国地方に広まったのは祖父がきっかけだそうだ。
(今思えば、大豆って食べられないくらい貴重だと思うんだけど、その辺はよく分かりません。)

一方、祖父が所属していたはずの2番隊はある島へ行き、玉砕した。
つまり、全滅だ。たった一つのことで、生きるか死ぬかが左右される時代を負けず嫌いで彼は乗り切った。運がいい。

ただC級戦犯にはなり、他国でお勤めをしていたと聞く。刑期が終わり、日本に帰るとき、象牙の麻雀牌が売られていて、買って帰った。日本に帰っての第一声は「お~い、麻雀やろうよ」だったそうだ。妻と子が待つ荒廃した広島を見て、思っていたこともいっぱいあっただろうに。

ここまでのエピソードから、祖父の人柄が伝わると思う。

頭がよくて、天真爛漫。

でも戦争から帰ってきたら、変わってしまったところもあった。子どもたちへの折檻だ。厳しすぎるほどのしつけを子どもにし、時には妻が子どもをかばう時もあった。
孫たちが生まれるころにはそんなことは一切なかったが、祖母はその時を振り返り、「こんな人ではなかった。戦争の影響だ」と言っていた。

多くの人に慕われ、愛された祖父は戦地で何を見ていたのだろうか。

人は誰しも、心の中に凶暴な獣がいる。
その獣がきちんと教育を受けて、大人しくしていたらいいのだが、飼いならすことができないと、自身も、自身の周囲も傷つけてしまう。戦場は祖父の中の獣が暴れだしてしまうような無法地帯だったのだろうなと思う。人が粗末に扱われ、また人を粗末に扱うこともあっただろう。かわいそうに。

話はずれるが、以前に手相を診てもらった時、「あなたは窮地に陥っても、どこかで誰かが助けてくれることが多い。それは祖先に大変行いがよい人がいるからだ」、と言われた。占い師の言葉に、「うそこけ、そんな人は一族にいません。」と思ったが、祖父も似たような性質を持っているので、結構前にそういう人がいたのかもしれない。占い師よ、できれば、何代前の何さんが何をしたのかくらいまで教えて欲しいです。あと100歳まで私生きるそうです。100なんて滅多にないから、縁起良い。



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