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レンガの中の未来(九)

(九)出会いと別れ


 いつもの昼休憩がやってきた。シノーは一人、配膳係が支給した昼食を口にしていた。今日は晴れであったので、外での昼食とした。

…これからどうしようか。これで本当の独りぼっちか。自嘲気味に心の中で呟いた。ははは、これはこの前も独り言で言ったな。何をするにもうわの空だった。

 昼食の殆どを食べ終え、まったりしていた時でだった。遠くから監視員の声が聞こえた。

「ここに、G六五五という者はいないか~?」

シノーは、最初は監視員が何か言っているな位にしか感じていなかった。監視員は、複数の作業員に声を掛けているようだったが、G六五五というものを探し出す事はできていないようだった。

ししばらくすると、シノーのそばまでやって来た。

「おい、お前はG六五五か?」

シノーは自分の札を確認し、はっとした。

「あ、すいません、私がG六五五でした。」

監視員は、安堵感からふぅと声を出した。

「先ほどから声掛けているんだ、何ボーっとしているのだ。それはそうと、あちらにお前に会いたいという者が来ているから、面会するように。少し位は休憩時間をオーバーしても良い。」

シノーは一瞬戸惑った。これまで自分に客などが来た事はない。

「はて…?私にお客ですか?どのような方でしょうか。」

「そんなことを私が知るわけないだろ、さっさと行け。あちらの小屋付近にいると聞いている。」

数分掛けて監視小屋のそばまで監視員に連れられて行くと、一人の女が立っていた。

シノーはその女に面識はなかったが、近づくと軽く会釈した。先に口を開いたのは女のほうだった。

「ああ、突然にすいません。あなたはシノーさんでお間違いなかったでしょうか?」

「そうですが、あなたはどちら様でしょうか?」

「私はエセンス家に出入りしておりました、家庭教師の者なのですがご存じないでしょうか?」

「私には家庭教師の知合いはおりません、人違いではないでしょうか?」

しばらく互いに疑問形の遣り取りが続いた。監視員は素知らぬふりをしつつ、二人の会話に聞き耳を立てていた。ポケット内では、女から渡された千ビースが握られている。

「ああ、すいません。エセンス家と言ってもピンと来ませんね。私はイリン君に定期的にお会いしていました、家庭教師の者です。」

「あ、イリンの。」

シノーは、はっとした。と同時に、ロギンの顔も一緒に思い出した。

「やっとお話がかみ合ってきたようですね。」

「あ、はい。その節はイリンが大変お世話になったようで。私はイリンとは数か月に一度しか会えなかったものですから。それにしても、態々私にどのような用事でしょうか?」

「ええ、実はエセンス家に先日訪問した際に、イリン君の事を伺いまして、居てもたっても居られずにお兄さんのあなたに会いたいと思っており、今日やっとここまで来る事ができたんです。事情はエセンス家の方に伺っております。」

「そうでしたか。これまではどうも有難うございました。」

例の監視員はいつの間にかいなくなっていた。

 イリンは即死に近い状態だった。老馬の脚膝と顔面衝突が致命傷であった。衝突と同時に道端に放り出され、イリンは即座に近くの小屋へシノーによって運ばれた。

シノーは衝突の状態からイリンの回復は絶望と感じながら、気がつくと小屋まで運んでいた。

薄暗い小屋内には粗末な藁敷があるだけで、あとは数人がいるだけだった。突然シノーがイリンを担いで中に入ると、彼らも状況を理解したようだったが、同時に次の事も想像していた。

シノーは藁敷の上にイリンの身体を寝かせた。衝突からこれまで呼吸をするのを忘れていたようで、シノーは一気に咽出した。

しかし、次の瞬間、一定間隔で微かに動くイリンの複数の指の動きがシノーから確認できた。もしかして…。

-もしかして助かるのか?シノーは一瞬そう思った。

「よし、戻ってこい、戻ってくるんだイリン!」

シノーはイリンに話かけ始めた。昨日も握りしめたもみじのような手は今は砂にまみれ、シノーはじゃりじゃりとした感覚を覚えながらその手を両手で強く握りしめた。

その度にイリンの指は微かに反応した。

「そうだ、その調子だ。おい、水だ!誰か水を持ってきてくれ!早く!」

数分後、周囲にいた一人が、井戸から僅かなからの水を木桶に汲んできた。

「ほら、水だぞ。」

水を口に含ませた所で助からないかもしれないのは何となくわかる…。しかし、イリンなら奇跡が起こるかもしれない。

だって、自分の弟なんだから。再びシノーはイリンの左手を握った。

先ほどからイリンの反応が弱くなっていると感じた。

「そっちに行くな、行っちゃだめだ、こっちに戻ってくるんだ。」

上唇にあった水滴は歯間を通じて、イリンの口に入っていった。同時に、イリンが微笑んだように感じた。

「そうだ、その調子だ。このあとキャッチボールをしよう、お前が投げる藁玉を兄さんにぶつけてくれ、それからあれだ、お前の好きなお星様のお話もしよう。それから、明日は一緒にお勉強だ。兄さんにお勉強を教えておくれ。少し位仕事なんか休んだっていいんだ。」

滅茶苦茶な事を言っているのは自分でも分かっていたが、自身の口からどんどん言葉が発せられた。周囲の人は無言で二人のやりとりを聞いていた。

「お願いだ、お前まで行かないでくれ。兄さんを一人にしないでくれ。」

しばらくして、馬車の持ち主がその小屋にやって来た。

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